「シエラ。私は君との婚約を破棄することを今、宣言する」

 これが噂の婚約破棄のシーンか、と思ってみる。よく乙女ゲームとか、乙女ゲームの世界に転生しちゃった話とか、そんな世界のワンシーンでよくあるやつ。まさか、自分がそれをリアルに目撃できるとは思ってもいなかった。

 ここは、リアストという名前の国であり、さらにその国にある王立学校の大広間である。そして今日は、その学校の卒業記念パーティ。
 そこで、今年卒業を迎えるこの国の皇太子が、婚約者である公爵令嬢に向かって冒頭のセリフを放ったところであった。

 それを傍観しているのは隣国のトビンセンから留学している少女、名をユカエルと言う。
 しかしこの娘、実はどっかの世界の地球という惑星にある日本という国に住んでいた記憶を持つ娘。その記憶によると、どうやらこの世界は剣と愛が咲き乱れる乙女ゲームと呼ばれる世界らしい。そしてその記憶によると、こんな婚約破棄のシーンは珍しくもなんともなくよくあること、らしい。そして、たいてい婚約破棄された令嬢のほうはとっても極悪令嬢で、婚約破棄した皇太子のほうには、とっても可憐なヒロインがもれなくついてくる、らしい。

 ああ、よく見たら、そのクソ皇太子の後ろに可憐で儚げな少女がいるではないか。金色ともオレンジ色とも言えないような微妙な色の髪の毛を肩までの長さでふわふわにしたままの少女。

「皇太子殿下。理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 一般的には極悪令嬢的ポジションに位置するシエラが背筋を伸ばし、凛とした声で尋ねた。このシエラはこのリアスト国の三つか四つかいくつあるかも忘れてしまったけど、公爵家のうちの一つに属する公爵家の令嬢だ。公爵令嬢らしく、金色で長くて真っすぐな整えられた髪。それをこのパーティに合わせて、みつあみにして彼女の瞳と同じ色のシュシュでまとめ髪にアレンジしてある。少し垂れ下がる後れ毛が、微妙に色っぽい。

「理由だと? 君はあれだけのことをジェシカにしておきながら、それを問うのか」

 始まったのか、クソ皇太子の令嬢に対する断罪シーン。
 一体シエラは何をしたのか。
 この断罪シーンは見逃せない。

「はい。あえて問います。私は、ジェシカさんに何をいたしましたか?」

 カッコイイ、カッコイイよシエラ。悪気を一切感じていないところ、自分が正しいと思っているところが、まさしく悪役のようだ。

「君は、ジェシカの教科書を投げ捨てた」
 皇太子殿下の名前を紹介するのを忘れていた。このクソ殿下はルミューと言う。

「そうですね」
 彼の言葉に、シエラはニッコリと肯定する。

「認めるのか」

「認めるのではありません。事実です。事実ですから今ここで言われても、痛くもかゆくもありません。それから、私は何をしましたか。まさかそれだけのことで婚約破棄されるわけではありませんよね」
 両手を前で重ね、優雅に尋ねるシエラ。少し切れ長の目、そしてやや吊り上がった眉。黙っていれば、その顔つきから誰もよりつくことができない、と言われている。でも、ユカエルは知っている。

「もちろんそれだけではない。このジェシカに何をしたか覚えていないのか」

「はい、覚えがありません。人の道として外れるような振る舞いはしておりませんから。何をもってジェシカさんへの仕打ちと判断されたのですか」
 姿勢を崩さず、まっすぐとクソ皇太子を見つめるシエラ。自分に対して自信を持っている姿はやはりカッコイイ。極悪令嬢はこうでないと。頑張れ、とユカエルは心の中で応援する。

「君はジェシカが孤立するように、自分の取り巻きを使って仲間外れにした。茶会の招待状が届いていない、とジェシカは泣きながら私に言ってきた」

「そうですね。ですが、それはジェシカさんの身から出た錆というものではないのでしょうか。ジェシカさんはそちらの生徒会の皆様と仲良くされておりますから、私のお友達とはご縁が無いものと思っておりました」

 シエラのその言葉に、クソ皇太子の脇にクソ生徒会メンバーがずらりと顔をそろえていたことに気づく。この生徒会メンバーは皇太子の親衛隊で構成されているからか、男子ばかり。女子は可憐で儚げなヒロイン一人。
 そんな彼女はクソ皇太子の背中で身体を震わせている。ついでにそのふわふわな髪も揺れている。

「それから私のお友達に対して、取り巻きという表現はおやめください。皇太子殿下の品が問われます」
 そうだそうだ、とユカエルは思った。自分もシエラの友達の一人なのだ。あのクソ皇太子から見たら取り巻きというものに分類されるのか、悔しいわ。

「他にもありますか?」
 凛とした声が響く。「それだけですか? それだけのことで婚約を破棄されるのですね?」

 でもユカエルにはシエラの心の声が聞こえたような気がした。

 ――破棄するなら破棄してもらってかまわないんだけど。どうでもいいし、こんな奴。

 実際、シエラはそんな風には言っていない。ちょっとしたお茶の席で、婚約者について愚痴っただけだ。留学生という立場のユカエルには愚痴を言いやすかったのだろう。

 ――シエラは頑張っているもの。いいのよ、いくらでも愚痴を言ってちょうだい。私には愚痴を聞くだけしかできないけど。それでシエラが楽になるなら、それだけで嬉しい。

 そう言うユカエルにシエラはびっくりして、少し目尻に浮かんでいた涙をその白くて細い指で拭っていた。

 いかんいかん、過去を懐かしんで思い出してしまった。そして目の前の現実を見据える。
 現実ではクソ皇太子の演説がまだ続いていた。シエラがジェシカに対して数々の嫌がらせを行ったというその嫌がらせを羅列しているのだ。それがどうもくだらないし、胡散臭い。
 というのもユカエルは知っている。そのいじめられっ娘を演じているジェシカの自作自演である、ということを。