「ん……」

明らかに寝不足感満載な心地で朝目が覚めた。
昨晩開けたカーテンの隙間から朝日が差し込んで眩しい。右手にスマホを握ったまま、私は眠っていたようだ。
寝ぼけ眼でスマホの画面を開こうとした。が、昨日アプリを開いたまま眠ったため、スマホの充電が切れている。仕方なく画面を開くことをやめて充電ケーブルに繋いだ。
朝食を食べに行こうとベッドから立ち上がると、明らかに何かがおかしいことに気がついた。いつもなら、バタバタと一階で母が動き回る音がするのだが、今日はシンとしている。ふと部屋の時計に目をやる。

「8時半……」

HRが始まるのは8時45分。しかも、学校まで遠く、バスで30分ほどかかる。
ダメだ。完全に遅刻だ……。
スマホの充電が切れていたせいでアラームが鳴らなかったのだ。多分お母さんも起こしに来たのだろうが、忙しい母は一度私が起きないと分かると、すぐに自分の支度に戻ったらしい。父はとっくに家を出た。
私は食卓の上に用意したあった朝食を摂らずに、急いで身支度をして家を飛び出した。バス停でいつもとは違うバスに乗る。乗客の顔ぶれまで違っていて、私が通う星川学園の生徒はいなかった。
なんとか学校までたどり着くも、時刻は9時半。1時間目の授業が始まっている。確か今日は英語なはずだ。恐る恐る教室の扉を開けた。

「遅れてすみません」

ぱっと全員の顔が上がり、遅れてきた私に注目した。でも、それ以上のことは起こらない。皆すぐにさっと視線を下へと下げ、視線をノートに移していた。

「座ってください」

「はい」

英語の中川先生は遅刻について特に咎めることもなく、授業を再開した。まあ、そりゃそうだろう。高校生にもなっていちいち遅刻について言及されることなんかない。成績だって部活だって、大事なのは「生徒の自主性」だ。勉強しなさいなんてガミガミ言ってくるのは親だけ。特にうちの親は自分たちが優秀だからって、子供にも同じレベルのことを要求してくるから面倒くさい。
窓際の一番後ろの席に座った私は、ゴソゴソとカバンから英語の教科書を取り出した。ふう、と一息ついて顔を上げ、黒板を見る。中川先生がチョークで文字を書くたびにはらはらと粉が落ちていた。
しばらくはじっと授業を受けていたのだが、授業が終わる5分前に、私はある違和感に気づいた。
なんだろう。
何かが足りない。
正体が分からないのに、不安の水たまりが胸の中でどんどん滲んでいく。
ノートと黒板に視線を行ったり来たりさせていたけれど、突如襲われた不安に、思わず顔を上げて教室を見渡した。一番後ろの席だから、一眼で教室全体を眺めることができる。

「うそ……」

不安の正体にようやく気がついた私は、誰にも聞こえないぐらいの音量だが声を上げてしまった。
遠藤柚乃が、いない。
私とは真逆の廊下側の4番目の席にいるはずの彼女がいない。「いない」だけならば欠席ということも考えられたが、明らかにそうではない。だって、彼女の机と椅子ごと、教室に存在していないから。
よく見れば廊下側の列だけが5列になっている。36人クラス、縦横6列の私たちのクラスで、1列だけ机が5台しかないなんてありえない。それこそ、この間私の机が隠されていたときのようだ。
しかしその時とは決定的に違うことがある。遠藤柚乃自身がいないということ。もしかして、いろんな人の恨みを買いすぎて彼女の机が隠され、彼女自身は学校に来ていないだけ? でも、「机を隠す」という嫌がらせ自体、前回の件で相当注意されているし、そんなことをするのは柚乃以外に考えられない。
だとすればどうして……。

「はい、今日の授業はここまで。号令」

疑問が解消されないまま、授業終了のチャイムが鳴った。柚乃がいない事態にこんなにも心を惑わされているのは、クラスで私だけのようだ。もしかしたら朝のHRで柚乃について何らかの話があったのかもしれない。皆事情を知っているから、何とも思っていないのかも。ああ、そうだ。きっとそうに違いない。
私は自分に言い聞かせ、胸にたまる水たまりがこれ以上広がらないようにと努めた。
そうでもしなければ、昨日の夜アプリに打ち込んだ「遠藤柚乃」という名前が、私の脳を覆い尽くしてしまう気がしたから。