その風土病にはだいたい五年から二十年の潜伏期間があって、感染してから何年も後に発症するの。皮肉な話よね。医学者自身が発表した論文に、そう書いてあったのだから」
「きみは、ライラック医師の娘さん、か……」
 ヤマトが返答を求めるわけでもなく呟くと、女はゆっくりと立ち上がり、朝日がわずかに差し込むだけの暗い荷台を出て、御者台へと腰かける。
「それは?」
 女が抱きかかえるようにして持っている赤い麦わら帽を見て、ヤマトは訊ねた。
「昔、正直村を訪れたとき……記念にもらったんだって」
「……そう。……持っていかなくて、よかったのかな」
「いいんじゃない」
「そうだね。それに、その帽子を届けにいっても、あまり良いことは起こらない気がする。なぜだか分からないけれど、そういう気がするんだ」
 ヤマトはセナのことを思い浮かべた。ライラック医師を疑い、毎朝大沼の前の分かれ道に立ち続けた、正直村の少女のことを。
「ライラック医師だ」
 やがて二人の旅人は、眼下に広がる大樹海の、崖近くにある焼き払われた集落跡に、小さな小さな一人の人影を見つけると、その人影がほとんど這うようにして密林の中へと入っていくのを、ただ黙って見届けた。