先ほどまで流暢(りゅうちょう)に話していた医師の声が、突然酔っぱらったかのように呂律(ろれつ)が回らぬものとなり、そして身体の震えも痙攣(けいれん)と呼ぶにふさわしい病的なものとなって……やがてそれが収まったときには、医師の表情は薄く笑みを浮かべた状態で固まっていた。
「くふふっ、……燃やされて、しまったのか……あの集落は……、そこにいる人々も……いや、しかしライラック医師が……、ライラック医師……? ライラック医師は、私じゃないか……?」
「ライラック医師? 大丈夫ですか?」
 ヤマトは訊ねるが、医師は表情を変えずヤマトに問い返す。
「ライラック? ライラック医師は、死んだのだろ? 正直村で?」
「……あなたは、ライラック医師ではないのですか?」
「きみがそう言ったんじゃないか? ライラック医師は死んだと、そう言ったじゃないか?」
「ではあなたは誰なのでしょう?」
「私? 私か? 私はライラック医師ではないな? なぜなら、私は死んでいるのだから?」
 医師はわけの分からないことを言うと、御者台からほとんど倒れ込むように降りて、よろよろとおぼつかない足取りで坂を下り始めた。ヤマトはそんな医師の背中を呆然と見送ってから、荷台にいるはずの女に話しかける。
「少し馬車を任せていいですか? ライラック医師が……」
「……なくていいわよ」
 荷台から聞こえてきた予想外にか細い返事に、ヤマトは御者台から荷台の幕を開け、中を覗き込むようにしながら訊ね返した。
「なんですって?」
「追わなくていいって言ってるの!」
 女の叫びが荷台の幕内に響き、そのこもった空気の中へ霧散し終えたところで、ヤマトは慎重に言葉を選び、外套のフードを目深に被りうずくまるように座っている女に、「説明してもらえないかな」と話しかけた。
「……簡単な話よ。さっきあの男がした医学者の話には、続きがあるの。
 病院を追われた医学者のもとに、長らく旅に出ていた彼の一人娘が帰ってくる。でも医学者は、自分に娘がいることを忘れてしまっていた。はじめは冗談かと思ったわ。でも本当に忘れているの。健忘症(けんぼうしょう)だと診断されたわ。でも病院の人たちはみんな分かってた。医学者はうそつき村にいたときに、人間の脳を食べてしまったんだって。