あくびを噛み殺したような声と共に、荷台からその眠たげな顔を出してきたのは、誰あろう本物のライラック医師だった。
「おお、旅人さんじゃないか。会えてよかった。実はな、きみと酒場で話した翌日、私は病院を追い出されてしまった。ひどい話さ。追い出すと決めてからは早い。派閥争いも末期だ。本当はもっと、ちゃんと引き継ぎをしてから出ていきたかったのだがね。まあ仕方ない。
 それで? 正直村はどうだった? 私の偽者はどんな評判だったかな。私はあの村に入っても大丈夫そうかい?」
 矢継ぎ早に訊ねてくる医師に、ヤマトはどこから話すべきか、そしてどこまで話すべきかを思案する。
「まあ、まあ、乗りたまえよ。運転も交代しよう、ご苦労さん」
 医師は女と入れ替わるように御者台(ぎょしゃだい)へ腰かけた。女はヤマトを疑わしげに一瞥(いちべつ)してから荷台の幕の中へと消える。
「彼女は?」
「あんたと同じ、旅人さんさ。向かう方角が同じだったんで、乗せていってやることにしたんだ。……なんて言うと聞こえは良いが、用心棒だね。ああ見えてめっぽう強いから、怒らせないほうがいいな」
「はあ、そうでしたか」
 ヤマトは気のない返事をして医師の隣に腰かける。
「正直村へは、今は行かないほうがいいと思いますよ。順を追ってお話ししますが、いろいろあったもので」
「……そうか、残念だな」
 医師は心底落胆した様子で言うと、馬をうそつき村への道に向かわせた。
 ヤマトは御者台で馬車に揺られながら、手短に正直村での出来事を説明する。細かな部分を省いて、医師に伝えるべき点だけをかいつまんで話すと、それはあっけないほど簡単な説明となった。
 偽ライラック医師は確かに実在し、その人物はちょうど村に訪れてきていて、村人からの評判は概ね良かったこと。
 しかしどうやら偽ライラック医師はうそつき村から来ているらしいこと。
 ――そして、何者かに殺されてしまったこと。
「どうやらひどい目に遭ったようだね、きみは」
 医師は濡れ衣を着せられたヤマトを気遣った。
「ひどい目に遭うことのない旅なんて、図書館で本を読んでいるのと同じです。それはもう、旅ですらないんだ」
「そうだな。……そういえば、正直村の図書館には、ろくな本がなかっただろう。実用書ばかりで?」
「ええ。でもそのぶん、郷土史に関する展示が充実していました」