「いや、王都へ帰るなら、あの湿地帯を抜けないとダメでしょう。だったらやっぱり、早朝じゃないと……」
 ヤマトが反論すると、男は怪訝そうに「湿地帯?」と口にする。この男はろくに村から出たことがないのか。もっとも、この村の住人の多くがそうなのかもしれない。
「湿地帯だかなんだか知らんが……ともかく、前提から違うんだよ。王都からわざわざ、医者が毎月来るもんか」
「……まあ、王都から来ているという前提から疑うとするなら、おっしゃる通りですね」
 ヤマトが条件付きながら同意すると、店主が「あんたらね」と鋭く言う。
「先生のこと悪く言うんなら、出てってくれないか。下手なうそで先生を貶(おとし)めようってのは、許せないんでね」
「なに言ってんだ。うそついてんのはあのヤブ医者だ。あいつはテキトー言ってやがるだけなのさ。病気のことなんざこれっぽっちも分かっちゃいねぇ。バカ高い診察料とって、『安静にしていればじきに良くなりますよ』って、そう言うだけじゃねぇか」
「だが実際に、うちの娘の病気は治った」
 低い声で言う店主の言葉に、端の席の男は目に見えてひるんだ。だがそれでも男は負けじと反論する。
「そりゃ治る奴だっているだろうさ。死ぬまで病気してるわけじゃねんだから。そりゃいつかは治る」
「治らず死ぬ者だっている。あんたのお袋さんのように」
「……待てよ。おかしいじゃねぇか。じゃあなんでおれのお袋は治らなかったんだよ。お袋だってあいつに言われたんだぜ。『安静にしていればじきに良くなりますよ』って! だがお袋は……お袋は、死んだじゃねぇか!」
「それは、あんたのお袋さんが、安静にしていなかったからだ」
 店主のその一言で、議論の大勢は決した。
「みんな知ってる。あんたのお袋さんは、病気だっていうのに無理して働きすぎたんだ。あんたが普段、ろくに働きもせずに遊んでいたから、貯(たくわ)えがなかったんだろ。それが原因だ」
「違う! お袋が働かなきゃいけなかったのは、あいつがバカ高い診察料をとったせいだ! あいつがお袋を殺したんだ!」
 店主はなにも反論しなかった。しかしそれで天秤の傾きが変わることはない。
 ややあって、端の席の男は酒代をカウンターへ乱暴に叩きつけ、大股で店を出ていった。