六時間目の眠たい授業。私は必死に目を開けて、おしょうの授業を受けていた。
 黒板に書いてある事をノートに写しているときだった。左側から強く視線を感じる。私が振り向くと、広瀬君が、潤んだ目で私を見ていた。
 ふと、足元がスースすることに気がついた。そっと机の下を見れば、私はドキッとする。あっ、上履きがない。
 そこでやっと気がついた。
「お、か、え、り」
 声を出さずに口パクで広瀬君に知らせた。
 やっと、会いたかった広瀬君に会えた。
 広瀬君は私の足を見て上履きの事を気にしていたけど、机の隣にかけてあった鞄からその上靴を取り出した。
 いつかこんな日がくると思って、私はちゃんと用意していた。もちろんこの上靴はあの悪夢から戻ってきた時に履いてたものだ。それをずっと持っていた。
「あれ? 竹本、いつからそこにいたんだ? さっきまでその席空いてたように思えたんだけど」
 おしょうが教壇で喋っていた。
「先生、私ずっといましたよ」
 比呂美がすっとぼけている。私はくすっと笑った。
「そうだっけ?」
 おしょうは、半信半疑ながらくるっと振り返って黒板を見た。
「えっ、なんだこれ?」
 悪夢の中に入ってしまったメンバーの名前が書かれていた。あれは和泉の字に違いない。和泉に視線を向ければ、失敗したといわんばかりに肩をすくめていた。
 おしょうは首を傾げながら黒板けしで消していた。
「まあ、いい。それじゃ、不定詞についてだけど……」
 おしょうは深く気にせず、授業を再開する。
 私も喋りたそうにしていた広瀬君を無視してノートをとった。
 胡内君、一之瀬君、ミーシャ、和泉、比呂美、そして広瀬君、あの悪夢の世界からお帰りなさい。
 私はこの日をずっと待っていました。そして本当にありがとう。

 あれは今から一年前のこと。クラスの嫌な女子グループに目をつけられて、私は虐められていた。
「かわい子ぶって、ちょっと男子に人気があるからっていい気にならないでよ」
 いい気になった覚えなどなかった。たまたま理科の実験で同じ班だったから、男子と一緒に協力していただけだ。
 その中のひとりがクラスで一番もてる男の子、舟岡(ふなおか)君だったから、好きな女の子たちが私に嫉妬した。
 その男の子はもてるだけあってかっこいい。気さくで話も面白いから、つい彼の話術にはまって笑ってしまった。それが仲良くしてたと見えたのだろう。
 そこから積み木が崩れるように嫌がらせが始まった。不幸だったのは、唯一私と仲がよかった有里奈(ゆりな)ちゃんが、私から離れて違うグループに入ったことだった。中学一年の子供じみた友達関係には熱い友情など全くなかった。昨日まで普通に喋っていたのに、急によそよそしくなって私から去っていく。これも仕組まれたことなのだろう。
 私はひとりぼっちになり、教室に居辛くなっていく。そのうち、誹謗中傷がネットの裏サイトで流れたみたいで、私の評判はどんどん悪くなっていった。
 私の知らないところで誰かが私の悪口を言う。何もしてないのに、気に入らないと立場の強い者が言えば、それに同調していく。誰ひとり、おかしいことだといわなかった。
 気の弱い私は、被害妄想でどんどん悪い方向に考えてしまい、自分で自分を追い詰めてしまう。
 先生に相談したくても、クラスには虐めがないと思い込んでいるから、私の話に耳を傾けてくれそうにない。
 虐めといっても、無視や疎外され、誹謗中傷を隠れてされているから直接的な証拠が得られない。精神的に追い詰められているだけだ。
 気持ちが落ち込んで、自分はダメだと思いこみどんどん暗くなっていく。そのうち鬱になってしまった。学校に行こうとすると原因不明のめまいや吐き気に襲われることも度々だった。
 どうしてこんな目に合わないといけないのだろう。楽になりたくて、私は自分が消えてしまう事を安易に望んでしまった。
 学校が嫌い。人間が嫌い。自分が嫌い。どうしようもなく、死ぬことばかり考えていた。
 そんなある日、家に手紙が送られてきた。差出人が封筒にかかれてなく、何かの嫌がらせかと思ったけど、とりあえず封を開けてみた。すると一枚の紙がでてきた。そこには蜘蛛の巣のような変な絵が描かれ、一言添えられていた。
「夢は見たのか?」
 何これ? その時は訳がわからなくて、その手紙は放っておいた。そしてまた暫くして鬱っぽくなり、どうしようもなく死にたいと思い行動を起こしてしまう。
 クローゼットの服をかけるところに、延長コードを引っ掛けそれをわっかに結ぶつもりでいた。首吊りだ。そこでクローゼットの引き戸を開けた時だった。目の前に広がる光景に私は驚いた。なぜならそこはいきなり教室だったからだった。
 この時、初めて広瀬君たちに会った。そこでも、問題が発生していた様子で、クラスのほとんどが動かず、動けるものだけで訳のわからない論議がされていた。
 私だけが裸足でピンクのスウェットを着ていた理由。私はさっきまで自分の部屋に居たからだ。私の部屋のクローゼットと教室のドアがなぜか繋がってしまった。
「どうして、私がそこに座ってるの?」
 しかも知らない制服を着て、知らない生徒に囲まれて、知らないクラスで授業を受けている。ここは自分の通っている中学ではないのに。
 なぜこんなことになっているのか、私は混乱していた。
 そのうち広瀬君が動かない私が履いていた上靴を持ってきてくれた。履かないわけにはいかない。でも一度足を通せばとても履き心地よくて驚いた。
「あの、一体何が起こってるんでしょう。ほとんどの人が動いてないなんて」
 みんなも混乱し、状況が分からず話が噛み合わない。そのうち私はみんなから記憶喪失にされてしまった。記憶を失っているわけじゃなかったのに。
「何をどう考えたらいいのかわからない。ただ私は……」
 ――自殺をしようとしていた。その先はもちろん言えるわけがなかった。
 和泉とミーシャが私に寄り添って心配してくれる。友達がいない私にはそれがとても不思議だった。でもふたりに優しくされて私は温かいものを感じていた。
 みんなは色々この状況について話し合い、感情をぶつけ合っていた。和泉は冷静にこの場のまとめ役を勤め、ドリームキャッチャーの事を言い出した。
「私、同じようなのを見たことある」
 教室の後ろに飾られたドリームキャッチャー。あれは手紙に書かれていた絵と同じものだった。その時、初めてそれがドリームキャッチャーという事を知った。そしてこの不思議な状況はあの手紙のせいだと私は気がついた。
 広瀬君もドリームキャッチャーに反応して、私の手を取って教室から飛び出したけど、あれは私が仕掛けたことだ。でもあの時はそのからくりなど私は知る由もなかった。
 違う空間に移動し、私たちはそこでショーアさんを追いかけ美術室に行った。そこでひとつ謎が解けることになる。
「僕たちは中学二年生の生徒だ」
 ショーアさんと話をしようとした広瀬君がいった言葉に私ははっとした。
 中学二年生? 私はまだその時、中学一年生だった。そこでそれを説明しようとしたのに、広瀬君は聞いてくれなかった。
 私だけ一年早くあの世界に訪れていた。だからまだみんなのことを知らなかった。だけどまだあの時は半信半疑だった。なぜ私は二年生からこの中学に来ていたのかがわからなかった。私も自分でこの状況について考えながら、悪夢の世界に身を置いていた。
 広瀬君がショーアさんとしゃべるうち、この世界は広瀬君が作った悪夢と結論付けようとした。でもショーアさんはそれを否定し、自分にも作った可能性があることをほのめかした。その時、私も同じ事を考えていた。
 つい口に出してしまったから理由を聞かれたけど、自分が自殺しようとしたことでこの世界が開いたなんて言えなかった。うまくショーアさんが言ってくれたけど、今を思えばショーアさんは私の状況に気づいていたんだと思う。
 そこからここが死後の世界かもしれないと議論された。そう思うのも無理はなかった。ショーアさんはすでに自殺を図ってたからだ。
 ショーアさんが自殺したことを言ったのは衝撃的だったけど、あのあとスクリームの殺人鬼が出てきてパニックになってしまった。そのせいで私たちの話は中途半端に終わってしまい、逃げることに必死になった。
 そこで一之瀬君とミーシャに出会い保健室に逃げ込んだ。ミーシャと出会ったとき、抱きつかれたお陰で私は少し落ち着きを取り戻していた。
 お互い何かに追いかけられているという事を知り、殺されるんじゃないかと怖くなった。そこで私はハッとする。自殺しようとしていたのに、死を恐れていた事を。
 私は自分自身で考えていた。自分はなぜここに一年早く来てしまったのか。みんなを見ながらその理由を見つけようとしていた。
 おしょうの話が出たとき、私もいい先生だと感じていた。ショーアさんも同じように思いながらも会うチャンスがない事を悲しそうにしていた。私はなんとかできないか思案していた。
「ちょっと、みんなそこにいるの? 私よ、和泉よ。開けて」
 ここで和泉が現れた。
 和泉は真っ先に私の事を心配してくれて寄り添ってくれた。ミーシャもそうだけど、こんな素敵な人たちが本当に私の友達なの? なんだか信じられない。でも私はすでにふたりの事が大好きになっていた。
 和泉が時系列で何があったか説明する。それが終わった時、私は質問した。
「私は何か学校の問題に気がついていたの? 例えば、虐めがあったとか、学校に来なくなった生徒がいたとか、そういうことを探していた?」
 未来の私は何か特別な事をしてないか確認した。もし私が元の世界に戻れたのなら、きっとショーアさんについて調べていると思ったからだ。
「よくわからないけど、私にはドリームキャッチャーの事を訊いた事があった。理夢は学校でそれを探していたけど、理由を訊いても教えてくれなかった」
 和泉はそういったけど、私がドリームキャッチャーを探していた?
「そういえば、教室でドリームキャッチャーを見た事があると言っていたけど、それはどこで見たんだい?」
 次に、広瀬君が訊いた。
「あれは、家に手紙が送られてきたの。そこにドリームキャッチャーの絵が描かれていた……」
 ここまで言った時、私ははっとした。
 私は誰よりも早くこの世界に来ていたのに、誰にもこの事を話していない。話さなかったのは、この状況からみてもわかるように、みんな私が過去から来ていると知らなかった。それは必然的なもので、黙っていなければならなかったからだ。
 ドリームキャッチャーのことだけを話したのは、それがこの先の悪夢について鍵になるからだ。あれを見つければ、この世界が始まると私は思ったからそれを探して教室の後ろの壁に飾ろうと思っていた。
 でも実際あれを飾ったのは私ではない。私がしたことは、自分に届いたあの手紙を広瀬君の机の中に入れたことだけ。広瀬君がこの世界に気づいてくれるのを願ってそうした。
 広瀬君もそうだけど、和泉もミーシャも私は友達になりたいと必死に自分から話し掛けた。きっと仲良くなれると信じて、おどおどしながらも積極的に話し掛けた。
 悪夢にいる時はまだ未来で私がどうするのかわからなかったけど、どうしても確かめたかった。
「和泉、ミーシャ、私はあなたたちの友達だよね」
 もちろんこの後私の聞きたかった言葉を聞けたから、私は自分の未来を信じようと思った。このときやっと生きる希望が湧いた。
 和泉もミーシャも私が泣いたことで戸惑っていたけど、説明できるわけもなく、私は嬉しくてひたすら泣いていた。
「この放送を聞いている諸君へ、胡内大志からの伝言です。『早く助けに来てくれ』だそうです。以上」
 この時、放送が流れた。
 この後みんなで助けに行くことになるけど、その途中で私はショーアさんとふたりだけで話しをする機会が持てた。
 私が元の世界に戻った時、ショーアさんを助けたいと思い、ショーアさんにだけは本当の事を話した。自分が虐められて自殺しようとしてこの世界の扉を開いてしまったこと。なぜこっちに来ているのかはわからないけど、自分の通う中学校の名前と住んでいる町の事を伝え、自分だけが一年早くこの世界にやって来た事を言った。
「そうすると、君は別の中学に通う一年生ってことかい?」
「そうなんです」
「なるほど、だから佐野さんは一時的にふたり存在したのか。過去の君と未来の君」
 ショーアさんはその事を興味深く感じていた。
「そうなると、私は確実にこの世界から出られるということです。戻った時、ここで会ったみんなとは未来で会うことになります。だから……」
 私が伝えたかったこと、過去に戻ってショーアさんの自殺を食い止めること。頭のいいショーアさんはそのことに気がついていた。
「佐野さん、気持ちは嬉しいけど、ボクがここで幽霊になって存在している以上、それは手遅れなんじゃないだろうか」
「だから、その前に私が……」
「佐野さんは過去と未来の存在で辻褄が合うけど、もしボクが過去の佐野さんに助けられて生きていたら、この世界はなかったことになるんじゃないかな。どこかでパラドックスがでてしまう」
 ショーアさんの言う事がすんなりと私の頭に入ってこない。パラドックス? 一体どんなことになるというのだろう。
「ボクが思うに、佐野さんは過去に戻る、それが佐野さんにとって現在になるわけだけど、そこからボクを探しきれなかったんだと思う」
「そんな」
「だからこの世界はそのままに出来上がった状態で、ボクは幽霊としてここに存在する」
「要するに、ここでのことはもう変えられないってことですか?」
「多分、そうだと思う」
 私は納得いかなくてシュンとしてしまう。
「でもね、もしかしたらボクは学校にとり憑いた幽霊として存在しているのかもしれない。佐野さんはすでに比呂美という友達に幽霊がいるかどうか訊いていたんじゃなかったのかい?」
 そうだ。保健室で和泉が説明している時だ。私は自殺した生徒がいないか訊いて、比呂美に幽霊がいないか尋ねていた(くだり)があった。やはり私はショーアさんを探しきれないでいる――。ショーアさんはもうすでに自分がどういう状態なのか理解していた。
「何も悲観になることないよ。ボクは幽霊でもまた君たちに未来で会うんじゃないだろうか。だから、幽霊のボクを探してみてくれないか。僕はその時もこの学校にいるようにするからさ」
 ショーアさんは自分の運命を受けいれていた。だから明るく笑って私を励まそうとしてくれていた。でも私はまだ納得がいかない。
 だけど、すでに体育館の前にきてしまい、それ以上ショーアさんと話をする事ができなくなった。
 そして恐れていた者たちとドッジボールを命がけですることになったけど、途中で私だけが先に消えてしまった。
 あの試合で真剣にボール投げをして楽しかった余韻のまま自分の部屋に戻り、もっとみんなと一緒にいたかった未練に気がついた。その時、未来を信じて私は生きようと強く思った。
 その後その未来が本当にやってくる――。
 なぜ中学が変わったのか、それは両親が引越しを決めたからだった。クラス替えの後の新学期から一緒に始めると、みんな私が引っ越して来たものだと知らないでいた。別のクラスにいた知らない誰かと思っているみたいだった。
 そこで広瀬君に出会って、つい嬉しくて話かけようとしたら無視されてびっくりした。それもそのはず、まだあの悪夢を体験してないのだから仕方ない。でも私は待ちきれずに、未来を信じて広瀬君と親しくなろうと努力する。和泉とミーシャは私が心を開いて接したらすぐに仲良くしてくれた。私はすでにふたりの事が大好きだったから、全力でぶつかった。私の大切な友達。悪夢で私を気遣い助けてくれたから、私もふたりの力になりたいと思っていた。
 私だけが先に見ていた未来。でも今、やっとみんながひとつになれた。

 放課後、私たちはドリームキャッチャーの前に自然と集まった。
「おい、お前ら、あれは夢じゃねーよな」
 胡内君が確かめる。
「悪夢だったから、一応夢だったんじゃない?」
 一之瀬君が相変わらずとぼけた感じで答えていた。
「ん、もう。そういう意味じゃなくて、体験したかってことよ」
 ミーシャが突っ込む。
「でも私、まだ混乱してる」
 和泉が言った。
「だけど、楽しかったよ」
 それを言ったのは広瀬君だった。
「うん、楽しかったよね」
 私にとったら一年前の出来事だけど、やっとオープンに話せて嬉しかった。
「ちょっと、あんたたち、一体何を経験したの。あーあー、私ももう少しいたらよかった。なんで早くひとりだけ解決しちゃったんだろう。ねぇ、あとで何があったか全てを教えてよ」
 みんなの話を聞いていた比呂美がひとり後悔していた。
 私たちは暫く、ドリームキャッチャーを見つめ、自分たちの経験した事を振り返っていた。
「あっ、ショーアさん」
 広瀬君が叫んだ。
 比呂美だけが知らなかったので、私が簡単に説明する。そして、ここで初めてあの時の私は一年ずれて訪れていた事を話した。
「あー、そういうことか」
「えーそうだったの?」
 様々な反応が返ってきた。
 そしてショーアさんが自殺をしてしまい、幽霊になってそこに存在していたことも説明した。広瀬君以外知らなかったみんなはびっくりしていた。
 一足早くショーアさんについて私はすでに探していたことも話し、何の手がかりも得られなかったことも伝えた。
「もしかしてさ、この学校で自殺はなかったということは、他の学校だったってことじゃねぇ?」
 胡内君が言った。
「同じ制服だったし、この学校の生徒に間違いなかった」
 広瀬君が指摘する。
「それじゃ、ショーアさんはあの世界だけに存在する幻だったの?」
 私が訊いた。みんなは考え込んだ。
「きっと、この学校で本当に自殺があったのよ。それが不慮の事故死扱いになったのかもしれない」
 和泉が仮定した。
「それはありえるかも……」
 一之瀬君が広瀬君を見つめてボソッと言った。
「そんなの酷い!」
 ミーシャが憤る。
「ねぇ、私たちがあの悪夢でショーアさんに会った理由はショーアさんの死の真相を見つけだすことじゃないのかしら」
 私は気がついた事を口にした。
「それがショーアさんへの供養……」
 広瀬君が呟く。
 悔しい気持ちは広瀬君が一番理解できるだろう。同じように事件を事故ともみ消されたように。
 私たちはこの件について出来る限りの事を調べようとする。
 その真相がわかったのは随分後になってからだった。