ロマンシア帝国の意思決定機関、枢密院。

 そこには、帝国のある上大陸はもとより、今は正式な国交が断絶している下大陸のギルド自治区ガルトランドの情報も流れ込んでくる。

 手練れの情報員が大陸中にちらばっているのだ。

「……ガルトランドの状況が好転しています。残念ながら」

 ガルトランドのポーション産業にダメージを与えるべく、赤ベリーの流通を抑え、魔導師達を送り込んで不作を引き起こした。

 植物魔導の遣い手は信頼できないため、氷魔導や水魔導を得意とするものに頼んで、畑を季節外れの霜で台無しにさせた。

「どうやら、向こうにひとり有能な者がいるようだ」

「ほう、名を教えろ」

「不明だ。所在地も本名も不明の、非常に有能な者が現れた」

「……偵察機関は何をしている」

「案ずるな。ポーション産業への工作は、帝国に有利な国交回復のただのひと駒にすぎない」

 しん、と枢密院の会議室が静まりかえる。

 偉大なる皇帝陛下は、対魔戦争で傷ついた領土各地への慰問で忙しい。

 百年にわたる戦いの日々が、皇帝陛下をただのお飾りにしてしまった。

 宮廷魔導師団の名誉団長が吐き捨てる。

「……まぁ、あの忌々しい英雄、リィト・リカルトは今頃どこかで目立たず地味に暮らしているのだろう。やつの望み通りにな」

 それに対して、帝国騎士団の総団長はぼやいた。

「本当にそうだろうか、あの英傑を追放するなど──」

「黙れ、あのような輩が英雄と持て囃されるようになったのは、騎士団が弱腰だったことが原因だろう!」

「騎士団は強かった。リカルトの戦術は、騎士団精神からは生まれない革新的なもので──」

「ふん、あの小僧の『たいしたことしてませんが?』というツラをぶん殴らんでおるだけでも、騎士団どもは腑抜けの腰抜けじゃわい」

「なんだと?」

 宮廷魔導師団と、帝国騎士団。

 両者は犬猿の仲である。

「……まぁ、よいではないか」

 枢密院の院長が、余裕綽々といったふうに肩をふるわせる。


「ギルド自治区の謎の男は、多少頭が切れるとは言え……リィト・リカルトほどの、腹立たしい驚異にはならんだろう」


 ロマンシア帝国の枢密院は、まだ知らない。

 そのリィト・リカルトが下大陸ではじめた、のんびり隠居ライフが世界の常識を揺るがしつつあることを。