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「では、宴の準備が整いましたらまた参りますね」
 燦人を宿泊するための部屋へ案内した鈴華は、聞き心地の良い声でそう告げると障子戸を閉め去って行った。
 気配も消えると炯はあからさまにため息をつく。
「あの娘、燦人様に馴れ馴れしく……」
 悪態をつきながら彼女が去って行った障子戸を睨みつける炯を燦人は苦笑気味にたしなめた。
「まあ、あれくらいなら可愛いものだろう。同じ一族の者はもっと遠慮がないからなぁ」
 炯と二人きりになり少し言葉を崩した燦人は、火鬼の一族の女性達を思い出す。
 燦人は他の一族から嫁を取ると決まっているのに、積極的に迫ってくる者もいた。
 そういう者達の言い分では、他の一族から嫁を取るのは次代でも良いだろうとのこと。現当主である父が決めたのだから覆すことなど出来ないというのに。
 思い出し苦笑していると、炯が改めて燦人を見て口を開いた。
「それにしても、本当に望みの娘がいるのですか? ざっと見た様子ではそれらしい姿の者も力の強そうな娘も見当たりませんでしたが……」
 主人の意を否定してしまう言葉になってしまうためか僅かに心苦しそうだ。
 だが、燦人はそれを咎める事もせずはっきりと言ってのける。
「いる。絶対にいるはずだ。かつて感じた気配は他の鬼では有り得ない」
「ですが、聞いたところによると角のある本来の鬼の姿に変転する事も出来ないそうではありませんか⁉︎」
 燦人の言葉でも納得できないらしい炯は声を荒げた。
 人の世に紛れるため、鬼達は普段角を隠し暮らしている。
 だが、大きな力を使うときは本来の鬼の姿となる。
 火鬼であれば目が赤くなり、髪も赤みを帯びる。そして全ての鬼に共通して、額に角が生えるのだ。
 だが、本来の姿を失って久しい月鬼はその姿すら忘れてしまったようだった。
「月鬼は特殊だからな。幾度も滅びかけた事がある。力も伝承も廃れてもおかしくはない」
 燦人の言葉に炯は何かを言いかけ、止める。
 そんな炯に燦人は柔らかな笑みを向けて告げた。
「何にしても、今夜分かることだ」
「そう、ですね……」
 納得は出来ないようだったが、今夜月鬼の娘達の舞を見ればはっきりするのだ。炯は口を閉ざし、夜の準備へと取り掛かった。
 燦人は静かになった雰囲気に身を任せ、かつて感じた気配に思いを馳せる。
 何でもない普通の日だった。
 十二の年、本格的に次期当主としての教育も始まり、庭で鬼としての力の使い方を学んでいるときだ。
 突然、はるか遠くに覚えのない気配を感じた。
 その気配に惹かれるがまま、視線をそちらの方角へやる。するとすぐに大きな足音が聞こえ、障子戸を勢いよく開き父が現れたのだ。
 父も同じ方角を驚愕の表情で見ていることから、あの気配を感じたのだと分かった。
 遠すぎたからなのか、火鬼の中でも感じ取れたのは父と自分だけだったらしい。
 すぐ後に父に月鬼の話を聞かされた。
「月鬼の女は他の鬼と交われば強い鬼を生むと言われている。しかもあの気配……なあ、燦人よ。あれが欲しくはないか?」
 にやりと笑う顔は悪いことを考える大人のものだった。だが、その目には悪戯好きそうな感情も見える。
 燦人は強い鬼がどうとか、そんなものはどうでも良かった。だが、父の言葉に瞬時に頷く。
 あの気配を感じた瞬間に抱いた思い。それがまさに父の言葉通りだったのだから。
「はい、欲しいです」
 そう答えたところまで思い出し、焦がれた気配を探ってみる。
 近くにいる気はするのだ。
 だが、はっきりとした形にならない。
「早く会ってみたいな……」
 焦がれ、求めた気配。
 夜がとても待ち遠しく思えた。