4.
「――あっ、そうだ。ゴミ出しゴミ出し」
あえて口に出してそう言って、わたしは余計なことを考えないようにする。
どんなセレブな暮らしをしていたって、ゴミだけは普通に出る。
この27階から1階までゴミ袋を抱えてエレベーターで降りないといけないのかと思っていたら、なんと各階に集積所があって、業者の人が専用のエレベーターで回収してくれるのだった。
なのでわたしの仕事はと言えば、廊下を往復する程度で、大した苦労じゃない。
『障害のある恋ほど燃え上がる』なんて言う。
それなら……形式上は夫婦という立場で、一緒に住んでて、障害なんて何もないわたしと和斗さんとの関係は、まるで不燃ごみだ。 こうやって青い半透明のビニール袋に放り込んで、口をギュッと縛って捨ててしまえたら、どんなに楽だろう。
さて次は、洗い物と洗濯と掃除。
和斗さんは「お手伝いさんでも雇おうか?」と言ってくれたけど、わたしはそれを断った。
専業主婦として昼間ずっと家にいるのに家事もしなかったら、何のための奥さんだかわからないし……せっかくのふたりだけの空間に、出来るだけ他の誰も入れたくなかった。
実際、食器洗い機と洗濯機はほぼスイッチを入れるだけだし、掃除にしたって、日中はほぼわたししか生活していないから、わりとすぐに済んでしまう。……なるべく限られたスペースで過ごす庶民根性が染みついてしまっているのだ。
買い物も、預かったカードを使ってネット注文すれば、大抵のものは揃ってしまう。
今の世の中、お金にさえ余裕があれば、ほとんど外に出なくても生活できるのだということをわたしは知った。
そうした荷物の受け取りにサインするときなど、つい口元がにやけてしまう。
わたしは西村皐月から速水皐月になった。
婚姻届けそのものは拍子抜けするほどあっさりと受理されて、むしろ名義変更だとか扶養だとかその後の手続きのほうが色々と面倒だったけど、好きな人と同じ苗字を名乗れるのがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。
* * *
洗濯機が終了を告げるメロディを鳴らして、わたしはまた現実に引き戻された。
なんだかいつも小馬鹿にしたような音に聞こえるのは、被害妄想かな。
まるで『仕事しました』アピールしてるみたいで……と考えて、ふと気付く。それはわたしだ。
言うほど大した家事もしてないし、それで和斗さんの妻を名乗って、不自由のない生活をさせてもらってるんだから、分不相応と言われても仕方ない。
私の実家は、これと言って珍しくもない、どちらかと言えばボロっちい、下町の小さな工場だと思っていた。
不況だとか海外の情勢だとかの煽りを受けて、ここ数年はずっと経営状況が思わしくなかったようだ。
でも、うちでしか作れないような特殊な部品があって、それがちょうど和斗さんの新事業に欠かせないものだった――ということらしい。
結果だけ見れば両者Win-Winで、その中でもわたしだけがとりわけ身に余る贅沢な立場にいると言っていい。
……彼は、どうなんだろう。
――彼の意向で、式は挙げなかった。
そのかわりお披露目パーティーのような会で、見たこともないようなドレスを着せられたわたしは、偉そうな肩書の人たちに次々と紹介されながら、彼の隣で頭を下げ、ぎこちない笑顔で立っていることしかできなかった。
それきり、和斗さんは、そういう私を連れていくような場にはあまり行かなくなった。
『もともとそういう会食みたいなのはあまり好きじゃないし、そもそも忙しいし』と彼は言うけれど、わたしはちゃんと気付いてた。
……わたしを妻だと紹介するたび、そのあまり動かない表情の奥であなたが胸を痛めていたこと。
その罪悪感のうち、何割が私に対してで、何割がカノジョに対してなんだろう?
(……とりあえず、3:7ぐらいではあってほしい)