家に帰ると、父がキッチンでお皿を洗っているところだった。
 スマホからは古いバラードが流れている。きっと母との思い出の曲なんだ。私は察して、胸が熱くなる。

「早かったな」

 父は穏やかな微笑みを私に向ける。私の目が泣き腫れていることに気づいているだろうに、あえて何も言わないでくれた。その代わりに冷蔵庫を開く。

「何か飲むか。牛乳ならーー」
「お父さん」

 私は意を決して、父の背中に声をかける。父は振り返った。

「どうした? 遥花」
「ごめんなさい。お父さんのことを勘違いしてた。お父さんはお母さんのこと、もう悲しくないんだと思ってた」

 父が目を瞠って立ちすくむ。
 私たちの間をつなぐように、男声のバラードが、静かな部屋の中を通り抜けていく。

「悲しくないわけ、ないじゃないか」

 漏らしてくれた本音。私は神様にしてもらったように、父をぎゅっと抱きしめた。

「私、お父さんの気持ち考えてなかった。自分が悲しい気持ちばっかり考えてた。……先のことを考えたくなくてうじうじしてた私の、背中を押してくれてありがとう。一緒に前を向いて、生きていこう」

 父の顔を見上げて、私は微笑んで見せた。
 そして改めて、背筋を伸ばして頭を下げた。

「私……やっぱり、大学受験する。したいの。させてください」
「……大きくなったな、遥花は」

 ふわり。
 頭を撫でてくれた父の手は、神様よりも厚くて暖かくて。
 ああ、お父さんってこんな人だったーーそう、思わせるような温もりがあった。