3月になって梅が咲いて綻んで、桜がじわじわと、桜ノ端市を埋め尽くし始めた頃、ついに境内には重機が入り現実のデートは限界になった。
 すると神様は、私の夢の中に顔を出すようになった。
 夢の世界待つ神様はいつも、違う服を着て、違う時代の境内で私を迎えてくれた。
 今日の神様は、長く伸ばした髪を結わえた、真っ白な狩衣姿だ。

「遥花」
「神様!」

 名前を呼んでくれる腕の中に、思いっきり抱きしめられに行く。夢の中だから私の体は軽くて、神様と一緒に柔らかく宙に浮かぶ。
 神様は私と手を繋ぎながら、ふわ、ふわ、と空へと舞い上がった。

「今日はどの時代の話をしてくれるの?」
「俺が覚えている限り一番古い時代に行こうか。桜ノ端が河口の町で、細く削れた細い土地だった時代」
「そんな時があったんだ」
「ああ。……目を閉じて、体を委ねて」

 夢の世界がぐにゃりと歪み、眼下にはどこまでも続く、何もない土地が広がった。教科書で見るような集落が、ぽつぽつと桜ノ端の片隅に集まっている。

「あの人たちが、神様を必要とした最初の人たちなんだね」
「ああ。……あの時代からずっと、俺はこの土地を見守ってきた」

 神様は誇らしい顔をして、眼下に広がる世界を私に教えてくれた。
 どの時代でも変わらず、彼が土地と人間たちを愛してくれていたことが伝わってくる。

「地名を誰かしら覚えていてくれる人がいる限り、土地神としての力は残ってたからな。祭りをされなくなっても、自分という神様がいることを忘れられても。地名が言霊になって、俺をここにとどめてくれていた」

 そのとき。私たちが見下ろす景色が白く染まっていく。夢の終わりの時間だ。

「遥花」

 神様は私の名前を呼ぶ。出会った時と同じ、飾り気のない白いロングTシャツとデニム姿へと戻っていた。

「どうしたの? いつもの姿になったりして……」

 穏やかに微笑む彼に嫌な予感を覚え、私は神様の手をにぎる。
 まだ市町村合併の4月には早い。まだ、一緒にいられるはず。

「明日、遥花の卒業式だよな?」
「うん。卒業証書、絶対持っていくからね。工事の人がいたってなんとかなるでしょ」
「お父さんのためにも、しっかり最後まで頑張ってこいよ」

 神様は私を引き寄せ、ぎゅっと、腕の中に包み込んだ。
 唇が触れる。夢の中なのに神様の匂いも、感触も、全部本当のように感じる。

「卒業おめでとう、遥花」

 甘い桜の匂いがしてーー目覚まし時計より早く、私は眩い朝日に目を覚ました。

 卒業式の、朝だった。