あれから何度も春が過ぎ、父も私も二人だけの生活に慣れた。母がいない生活がどんどん当たり前になってきて、だんだん母を思う悲しみも癒えてきた。

 それでもお父さんはずっとこの場所で暮らしていくんだと思っていた。
 私だって進学しても就職してもこの家からずっと通うつもりだった。
 ーーだから、通える範囲の学校を探してた。

「お父さんは……お母さんの思い出消えちゃうの、嫌じゃないの…?」

 市町村合併に伴うまちづくり計画。
 そんなもの覆るわけがない。
 わかってる、分かってるけど。
 お父さんは悲しみを見せず、淡々と引っ越しを告げた。それどころか、私に外に出ることまで勧めてきた。
 お父さんは寂しくないの?
 私は、邪魔なの?

 ーーわからない。
 私はどう、自分の気持ちに折り合いを付ければいいのか。ぐちゃぐちゃだった。

「助けて、神様……」

 無意識のうちに、私は神様に縋るような言葉をこぼしていた。
 その時。

「女の子がこんなところで一人、危なっかしいなあ」

 一人泣いている私の隣から、若い男の人の声が聞こえた。

「どうしたの? 家族と喧嘩でもした?」

 いつの間に座っていたのだろうか。
 私の隣に黒髪のお兄さんが頬杖をついて座っていた。ジーパンを履いた長い足を石段に投げ出して、飾り気のない真っ白なロングTシャツを着た、ごく普通のお兄さん。
 目深な前髪の間から覗く顔はモデルみたいにカッコ良かったけれど、問題はそこじゃない。

「あ、あなた、は……」

 話しかけて当然、といった佇まいの彼に私は混乱した。

 友達のお兄さんに、こんな人いたっけ。
 それとも他人? 
 こんな廃墟の神社で、一人だけいる男の人って危ないんじゃない?

 混乱しつつ名前を尋ねようと口を開けば、彼は「しっ」と言って唇に指を押し当てた。

「君のお父さん。下まで来てるよ」
「っ……!」

 まだ会いたくない。反射的にそう思った私の気持ちが顔に出ていたのだろう。
 彼は私に首を傾げて問いかけた。

「まだ帰りたくないんだよね?」
「……その……」
「頼られちゃ仕方ない。泣き止むまで、いいよ」