仕事の時間に仕事じゃない話でごめんなさいね、と彼女はまず断りを入れた。
 あえて休憩時間にしなかったのは、他所から邪魔が入らないように、ということだ。邪魔、というか横槍というか。

「単刀直入で申し訳ないけれど、貴方って羽柴さんとどういう関係?」

 直入すぎてぐうの音も出ない。たった二週間滞在するだけの本社の人間に、どうしてこうもはっきりと名指しされるのだろう。私以外でも羽柴さんと上手に付き合えている人間はいるだろう。

「えっと、羽柴先輩とは、先輩後輩、ですけど」
「ここ来てから?」
「大学から、です」

 高橋さんは少し考え込んで「そう」とだけ言った。
 何が知りたいんだろうか、私でさえ羽柴先輩のプライベートな人間関係はあまり踏み込まないようにしているのに。そういう意味では先輩はそういう人間があまり好きではなかったと思う。
 気になるし知りたいけれど、首を突っ込んでいい部分と知らないふりで見ないふりをしていた方がいい部分がある。
 薄暗い資料室は音がないうえ、多少埃っぽくて薄気味悪い。そうしてそんな場所に、あまり深い仲でもない人間が二人でいるというのもあまり良い心地はしない。

「彼を追いかけてきたの?」
「先輩が、就職先を探している時に、経験値として受けてみたらって、教えてくれたんです」

 誘導じゃない? と高橋さんはひとりごちている。私を見る目は不審なものというより、不安というか可哀想なものでもみる目に変わっている。
 ここを受けようと思ったのは先輩の勧めがあったことは理由の一つで、先輩に聞いた後自分でもここの事を調べてみた。
 いくら先輩の勧めだからと言ってそのまま受け取ってのこのこ受けにくるほど先輩に肩入れはしていないつもりだ。

「彼の普段の事って」
「知らないです。社内の噂を聞くのと、あと仕事の合間に喋ることくらいで、それは他の社員の人と変わらないと思います」

 嘘はついていない。プライベートでやり取りをしていたり、たまにご飯に行くというのは伏せていていいだろう、そこまで深く話すつもりもないし義理もない。
 あともこまごま、何を聞きたいんだろうか、と言う様な事を聞かれて話そうと思える範囲だけ話した。私と高橋さんの仲は決して、いいわけではない。

「あまり、回りくどい言い方ができなくてあなたを傷つけてしまうかもしれないから先に謝っておくけれど」

 謝るというには態度がふてぶてしいというか、まるで仁王立ちしてさえ見えるのだが。
 私はあまり彼女の問いに答えられなかった。答えたくなかった、というのが正しい。
 部長補佐ということもあって人の上に立つくらいだから、質問から人間性を把握することに多少覚えはあるのかもしれない。心理テストよりもプライベートを聞かれた分消耗は激しいが。

「貴方は結局、自分が特別だって分かっていながら知らないふり見ないふりをしているだけね」

 腕を組みかえた高橋さんがじっと私に目を向けた。私は目を合わせることが無いようにぼんやりと見ていたし、何も言い返すことができなかった。
 だって、返す言葉が出てこなかったから。
 高橋さんは、手持無沙汰の解消に棚から取ったファイルを戻した。パラパラめくっていたけれど、中を読んだのかは分からない。
 そうしてその次の棚のファイルを取って中を確かめて私に渡した。持っていた、午前中に受け取っていた資料と取り換えられた。

「言い逃げみたいよね、後輩に。けど、私も彼に気があったし、きちんと断られたのだから、多少の口出しは許されると思うの。それにこれは仕事抜きのプライベートなことだから本社に戻る前にきっちりしておきたくて」

 仕事の時間内の呼び出しでプライベートとはどういう了見だろうか。平社員の私は役職持ちの人間に従うしかないのだけれど。
 半端なままで本社に戻りたくはなかったの、と彼女は言った。ひとり、すっきりした面持ちで。
 きちんと断られた、ということはこの二週間の間で高橋さんは羽柴先輩に告白をしていたのか。仕事をしてくれ、って仕事はしていたか。ちょっと社内の空気を掻き混ぜすぎた感も否めないが。

「まあ、仕事が出来るみたいだから、このまま頑張ってね」

 急にオフからオンになる。仕事以外は応援はしない、と高橋さんは苦笑した。

「自覚あるみたいだけど、だいぶ拗らせてるみたいだし」

 何が、とそう思わずにはいられない。高橋さんの表情は、ちょっと意地悪な顔をしていた。

 こうやって、他者から言葉をぶつけられることは、あるにはあった。それも先輩絡みばかりで。
 他人からすれば、羽柴先輩の彼女でも恋人でもないただの後輩がわりと頻繁に傍にいる事実に、嫉妬を向けないはずがない。
 けれど、誰も私と同じようなスタンスで続けられなかった。友人で、後輩で、その立ち位置では彼女たちは満たされなかった。
 羽柴先輩が受け入れるか拒絶するかという差もあったのかもしれない。その辺りは把握しきれていない。
 先輩と付き合ったことのある、元彼女さんたちは何が理由で一時的にでもその場所にいる事が出来たのか、詳しくは知らない。単純に先輩の好みかと思っている。
 何人かの元彼女さんたちとも話す機会はたくさんあった。数人の彼女たちは最終的に私を目の敵にはしなかったから、先輩繋がりでちょっとばかりお話させてもらったこともある。些細な世間話程度だったけれど。

 告白をして、ダメだった時、離れていったのは彼女たちの方で、それは私が何をするでもなかった。そもそも私は、手を出せるほど自身も無かった。
 離れることを選んだのは、彼女たちだ。

(でも、告白もする前から、可能性も期待も持つなって、言われたわけでもないのに)

 勇気をだせば、羽柴先輩のそばにずっと居られる人だったかもしれない。友人ではだめだったのだろうか。駄目だから、離れたのか。
 私のように、見込みがなくても、ただ近くに居られたらいいやと思えなかった人たち。
 そう思いこませて、この感情に蓋をして、みないフリをして、羽柴先輩の特別を貰う私。

 どうして羽柴先輩に告白するのではなく、私に向けてばかり行動していくのだろう。
 きっと恋愛感情なんて向けられないのに頑張ってるって、滑稽に見えているんだろう。
 何も頑張ってなんかいないのに。私はずっと、羽柴先輩の後輩で妹みたいな存在でずっと足止めを食らっている。

 高橋さんが「それ、中身はたいしたことないから、この呼び出しの理由に使えばいいわ」と資料室を出て行く。
 残された私は手にしていた資料をぎゅっと胸に抱き寄せた。