幼い時から貴方とお別れする時は胸が詰まる寂しさを感じていた。それは今でも変わらない。



「そろそろ行くね。それじゃあまたね、陽光。」



(きびす)を返し、貴方に背を向けて歩き出す。コツコツとヒールが地面を蹴る合図が鼓膜を掠める。柄を持って差している傘の中、鞄に忍ばせていたカフェオレを取り出した。


買った時は冷たかったのにすっかり(ぬる)くなっている。陽光と同じそれにストローを通して、ゴクリと飲む。



「何だか、いつもより甘く感じる。」



舌の上に広がって溶けた液体の味と、他のカフェオレとの違いはやはり、今日の私にもさっぱりだった。












































行きの道程は長い気がしたのに、戻りの道程は短い気がするから人間の体感なんてあてにならないなとつくづく思う。最寄り駅のホームで電車を降り、何百、何千回と通った改札を潜り抜ければお馴染みの景色が広がっている。


特別大きな建物がある訳でもないし、商業施設がある訳でもないが、この光景に安堵感を覚えるのは私がここで生まれ育ったからに違いない。




私の足が向かったのは家のある方角ではなく、この辺りでは一番賑わっている商店街だった。昔ながらの商店街やアーケード街が時代の移ろいと共に廃れてしまったと云う悲しい内容のニュースを何度か見聞きしたけれど、私の地元の商店街はまだまだ現役だ。


お店の顔触れの変化は少なからずあるものの、慣れ親しんだ店構えや看板の建物が殆どだ。中学生の放課後は、よく陽光とここに足を運んでは道草をして空腹を満たすのがお決まりのコースだった。