肩にかかる亜麻色のさらっとした髪。

 水晶っぽいライトなブルーの目。

 まだ子供っぽさが残る屈託のない笑顔。

 ピアスはしてるものの、あまりお洒落気はなく、体にぴったりとフィットした派手なTシャツを着こなし、その下にはジーンズを穿いて活発そうだ。

 ジェナは俺の目から見たら、どこにでも見かける、今時のアメリカン少女だった。

 カリフォルニアにもこういう女の子は多かった。

 大概、そういう女の子は自分を見せようとしてツンとすまし、自己顕示欲丸出しに態度がでかい。

 でもこの女の子はそういう尖ったところが見られなかった。

 ただ人懐っこく、俺に積極的で興味津々としていた。

「ジャックはどうしてここに来たの?」

 一度そう呼ばれると、俺はジャックでいるしかない。

「理由はなく、たまたま見つけた」

「ここは、ケープ・ファルコンっていうの。あれがニカニー・マウンテン」

 指を差して名前を教えてくれるけど、彼女の遠くを見る細めた目はどこか空虚で、寂しげに見えた。

 でも笑みを添えた口元は、愛しくこの場所の名前を言う。

 潮風で乱れる髪を手で押さえながら、周りの景色を目に映してた。


「君はここで何をしてたの?」

 まさか自殺しようとして?

 そんな言葉がなぜかよぎったのも、この場所といい、彼女の目がどこか思いつめてたように見えたからだった。

 それとは裏腹に、彼女は水平線を見つめてあっさりと答える。

「クジラ探してたの」 

「えっ、クジラ?」

 こんなところにクジラがいるのだろうか。

 俺も同じように目の前に広がる海を見渡した。

 特に何の目立った動きもない穏やかな海が、限りなく続いてるだけだった。

 潮風がいたずらに吹いて俺は少し寒気を感じ、ぶるっとしてしまった。

 でも彼女は何にも動じず、まっすぐと海を見つめ、彼女の目にだけは何かが映っているような気がした。

 彼女は抑揚なく寂しげに呟く。

「ずっと昔、ここでクジラを見たことがあったの。もう一度見たかった……」


 ──クジラ

 俺にとって、アメリカでクジラの話は三大タブーの中に入る。

 そう、アメリカ人とあまり話題にしたくないトピックだ。


 一番は宗教の事──これは信じる力が強い者ほど話題にしてはならない。

 俺は人の宗教にケチつけるつもりはない。

 むしろ敬虔な人たちのその信念に敬意を払いたいくらいだ。

 しかしそれを押し付けられるのが我慢できない。

 アメリカでは道を歩いているだけで、いきなり勧誘されることもあり、俺は警戒していた。

 無理に押し付けられて強くノーと言えないままに、ずるずる引きこまれて行くのが怖いのだ。

 カモにされやすいオーラを放つ俺は、何かとちょろいと思われるのか、そういうのに声を掛けられやすい。


 その次にはお金の事──金を持ってると思われるべからず。

 一般的に日本人は金持ちと思われてるのか、アメリカに気軽に来てる以上、多少は持ってると思われる。

 お小遣いがいくらとか、たまたま自分の持ち物が高価な物だとか、お金がある要素をさらけ出したら、たかられる事にもなりかねない。

 または凶器を突き付けられて、脅されて奪われることだってある。

 だから財布を取り出す時ですら、現金の出し入れには気を遣う。

 これは世界共通でもあるが、お金はトラブルの元と肝に命じている。


 そして最後にクジラ。

 全然口にしてないのに、日本人と言うだけで、食べるなと絡まれた事があり、それ以来クジラは感情を逆なでする話題になりうると思ってリストに加えた。

 アメリカ人と話をするとき、これらのトピックはことごとく気をつけ避けてきた。

 論争を招くネタだと俺は個人的に思っている。

 他にも、細かく言えば、人それぞれいろんな部分に反応して意見を押し付けられる事があるので、反論することに慣れてない俺は、とにかく、否定的にギャーギャー意見を言われるのが嫌なのだ。

 はっきりと自分の意見を言わない事もあるけれど、特にそれが英語になると、言葉の壁で絶対負けてしまう。

 『討論』が学校の授業に盛り込まれたアメリカ人は人と意見を言い合うことに慣れている。

 正しいことならともかく、間違っていようとも自分の信じる事なら意見を曲げないから、そういうのが非常に苦手を通り過ごして不快。

 だから最初からスルーに越したことはない。

 彼女がクジラと言ったときも、特に何も言わず、一緒に海を見つめただけに終わった。


 白いうねった曲線の波が、何重にも次々とビーチに寄せていた。

 点々と人の姿が見え、そのビーチで戯れている。

 サーフィンをしている人もいた。

 切り立った崖のふもとでは、ごつごつとした岩がぶつかる波を蹴散らし、水しぶきを上げていた。

 そんな場所にはクジラなんて全く影も形もなかった。

 出てきたらそれはそれで、びっくりして素直に感動したかもしれないが、いつまで一緒に海を見ているのだろうか。

 何も遮るものがないその崖の上で、風の強く吹く音が耳に響き、俺は寒さで体に力が入った。

 それを合図にジェナは言った。

「それじゃ、行きましょうか、ジャック」

 クジラを探すことを諦め、先に歩き出したジェナの後ろを、ジャックと呼ばれた俺は戸惑いながらついていく。

 時々首を傾げ、先程歩いて来た小道を戻り、駐車場へと戻って来た。

「ジャックの車はどこ?」

「あそこだけど。あの白い車」

 よくあるセダンの日本車。

 アメリカで免許を取って、中古で買った代物。

 帰るときにまた売る予定。

 ジェナは、俺の車を吟味して、悪くないとでも言いたげにニコッと微笑んだ。

「ちょっと待っててね」

 彼女が走って行った先には、メタリックシルバーのコンパクトカーが停まっていた。

 トランクを開け、中から荷物を取り出して、再び俺の車に戻ってきた。

「ほら、早くジャックの車のトランク開けてよ」

「えっ、なんで?」

「メガネ壊したでしょ。私、メガネなしで車運転できない。だから一緒に行くっていったでしょ」

 ちょっと待った。

 もしかして、俺がメガネを壊したために、その代償として彼女を送らないといけないってこと?

「えっ、俺、その、あれ」

 戸惑いながらも、強引に急かされると、断る選択がなくなり車のトランクを開けざるを得なかった。

 リモコンボタンで車のロックを解除する。

 彼女は持っていた複数のバッグを車のトランクへ詰め込んだ。

「OK」

 とトランクを閉め、その後は当たり前のように、助手席へと乗り込んだ。

 一人で突っ立ってる訳にもいかないので、俺も運転席に座った。

 しかし、彼女の強引さには俺は顔をしかめてしまう。

 俺がぎこちなく車に乗り込んだその隣で、ジェナはシートベルトを締めながら、

「ジャックはこれからどこへ行くの?」

 とさらりと聞く。

「まだ決めてない」

 それよりも、この状況を俺はまだ把握していない。

 でもジェナはそんな事をお構いなしに、屈託なく俺に質問してくる。

「なんでここにいるの?」

 成り行き上とはいえ、なんで君もここにいるんだ? と俺もそれが知りたいくらいだ。

 自己紹介がてらに俺は、カリフォルニアで留学を終えたこと、これから日本に帰る予定であること、当てもない旅なことを訥々と説明した。

 その後ジェナは、ぱっと目を見開いて、いかにもそれが正しいように俺に提案する。

 その時の彼女の瞳は、星を描いたようにとてもキラキラとしていた。

「私がオレゴンを案内してあげる。一緒に旅行しよう」

「ちょっと待って、俺たち今会ったとこだ。それに君、年いくつ?」

「18歳。高校を卒業したところ。秋には大学生になるつもり」

「一緒にって、それ危険じゃない?」

「ホテルは別々にとればいいし、ジャックは変な危ない人じゃない。私には見えるの!」

「見える? 何が?」

 俺の理解力が悪いのか、所々よくわからない。

「ジャックは私のメガネを壊した。責任がある」

「じゃあ、家に送って行くよ」

「ううん、それはダメ」

「なんで、もしかして家出?」

「ノー! ちゃんと両親は理解してる。これは私の大切な卒業旅行」

「でも、俺の事は許可とってないでしょ。未成年が知らない男と、その、あの、一緒にいるなんて」

「もう知らなくないよ。ジャックだもん」

「だから、君の知ってる本当のジャックって誰だよ」

「だから、ジャックはジャック」

 指を差されてしまい、俺はこの状況が飲み込めない。

 でも壊れたメガネを目の前でユラユラと振って見せられると、催眠術をかけられたように、俺は彼女の言うジャックにさせられる。

 本当に俺はジャック?


「ジャックって呼ばれるのはかまわないけど、俺、誘拐犯にはなりたくない」

「大丈夫。この旅行は誰にも邪魔させないし、ジャックは私の友達」

「あんなとこにずっと車置いてたら、持ち主に何かあったんじゃないかって思われるじゃないか」

「それも大丈夫。ここ、キャンプ場があって、みんな暫く車止めてても何も思わないから」 

 天真爛漫というのか、強引というのか、ジェナは俺と何が何でも旅行する気満々だ。

 本当に大丈夫なんだろうか。

 メガネなしでは車を運転できないのだから、とにかく家に送るか、途中でメガネを買うかしなければ、ジェナは俺から離れてくれそうもない。

 エンジンを掛け、俺は再びハイウェイに車を走らせた。

「どこに行こうかな」

 ジェナは腕を組み、色々と考えを巡らせていた。

 その間にキャノンビーチが見えて、有名なヘイスタック・ロックがその姿を見せた。

 直訳すれば、積み重なった干し草の岩。

 その名のごとく、干し草を積み重ねたような大きな岩がどでーんと海岸に座っている。

 俺はこの岩だけは良く知っていた。

 『グーニーズ』の映画で出てきた有名な場所。

 ここを観光したくて、思わず『グーニーズ!』と叫んでしまった。

「オー! グーニーズ! グッドアイデア。OK、アストリアへ行こう」

「いや、そこ、キャノンビーチ、キャノンビーチ」

「キャノンビーチは小さなとこで、わざわざ行かなくてもいい。私、何回も行って飽きた」

 おい、俺はまだ一度も訪れた事がないっていうんだよ。

 でも反抗しようにも、咄嗟に英語がでてこなくて、小さなその町はあっという間に通り過ごして、あっさりと機会を逃してしまった。

 後戻りできずに、結局は彼女が提案した、アストリアに向かう事になった。

 ここから約40kmの場所らしい。

 キャノンビーチも撮影された場所だが、アストリアこそ、『グーニーズ』の舞台となった場所で、映画にもその名前は出てくる。


「グーニーズ好き?」

 彼女が訊いた。

「うん、好き。何回か観た」

「私も。子供のころからずっと観てる。あのグーニーズの家がまだあるんだよ」

 キャノンビーチは素通りしてしまったが、グーニーズのロケ地を見るのもいいだろう。

 彼女は結構そういった事に詳しそうだ。 

 さらに話は続いた。

 『キンダガートン・コップ』、『ザ・リング』、『フリーウィリー』、『忍者タートルズ』など、あとは俺の良く知らない映画の題名を出して、映画のロケ地で有名な場所と教えてくれた。

「それでね、グーニーズが撮影されてたとき、スピルバーグ監督が、朝早くに必ず公衆電話に向かって天気予報を聞いてたんだって。それが名物で、いつも小銭をじゃらじゃら持ってたらしい。今はインターネットがあるけど、当時は色々と不便だったみたい」

 ジェナは良くしゃべる。

 自分が知ってるあらゆることを俺に教えようとしている。

 でもそれは俺には面白かった。

 どこまで正確に理解してるか怪しいけど、不思議とジェナの英語はクリアーでわかりやすかった。


「それからさ、グーニーズの主人公のショーン・アスティン」

「大きくなったら、指輪を返しに旅に出るホビットになった人だろ」

「そうそう。その人のお父さんが、テレビシリーズのアダムズファミリーのゴメズだったの。当時は子供だから親同伴で泊りがけでの撮影だったんだけど、ずっ と一緒にいたらしいの。それで、アストリアの町を歩けばゴメズが居るってことで、皆あのテーマ曲を口ずさんで腕をクロスして指をスナップしたんだって。グーニーズの陰にアダムズファミリーがいたんだよ」

「本当? 面白い。でもどこでそういうの聞くんだ?」

「親からだったり、地元の新聞だったり」

「ジェナはオレゴン出身?」

「そうだよ。オレゴンで生まれて、オレゴンで育った」

「なんで卒業旅行に地元なの?」

「それは、ここを忘れたくないから。もう一度じっくりと見たかったの」

 ジェナは窓に顔を向け、訳ありに流れる景色を黙って見つめた。

 大学はここから離れた遠い州に行くのだろうか。

 彼女にしかわからない感慨深い感情を察し、俺もまた、日本に帰るのがどことなく寂しく感じた。

 できるならこのままアメリカに住みたい。

 窮屈な日本なんて帰るのは嫌だ。

 アメリカかぶれしてしまった俺は、どうやら日本を毛嫌いしてしまったようだ。