9
「あらまあ、何をそんなに怒鳴ってるの? もう歳なんだからあまり興奮しないで」
ロクを探偵にした九重だった。
「この正念場に興奮しないでいられるか」
「それでも、落ち着いて下さい。ねぇ、逸見さんもそう思うでしょ」
九重はロクに同意を求めた。
「あの」
ロクは戸惑っていた。
「何ですか、おふたりはまた喧嘩ですか」
九重のあとから海禄が入ってきた。
「おお、海禄。久しぶり。久太郎と未来(みく)は元気か」
「もちろん、元気ですよ、お父さん」
海禄がお父さんと呼んだ事で、やはりマスターは斉須ヒフミだとロクは確信した。
「海禄、これでわかっただろう」
斉須ヒフミが尋ねる。
「そうですね。正直、ずっと半信半疑でしたけど、こうなってしまった以上、信じるしかありません。お父さんもお母さんも複雑でしょうね」
「えっ、お母さん?」
ロクは九重に振り返った。
「ううん、私はとても楽しんだわ。なんて素晴らしいんでしょう」
「あの、一体何が?」
ロクだけが分からず、居心地悪い。
「さて、逸見さん、この謎を解かない限り、あの可愛らしい女の子には会えませんよ。フフフ」
九重の言葉に、斉須ヒフミと海禄が呆れた顔を一瞬見せた。
「ちょっと待って下さい。ミミは一体どこにいるんですか?」
「逸見ロク、お前、まだわからないのか!」
あんなに紳士的だったこの店のマスターが急に豹変していた。
「お父さん! 何も怒らなくても」
海禄が諌めた。
その時、ふとロクは疑問を抱いた。
「斉須、九重、宇野――夫婦、親子なのに苗字が全部ばらばら」
「ようやく気がついたか。それで次は?」
斉須ヒフミが促した。
「九重さんはミミの祖母ですよね。そして海禄さんは九重さんの息子? そこにもう一人九重さんに息子がいて、それが海禄さんのお兄さんとしたら、海禄さんはミミの叔父? でもそれだったら、親戚としてのミミは海禄さんに面識があるはずだ。しかし小学校で会ったとき、海禄さんと初対面に接してたのはなぜだ」
「あら、いいところをつくわ」
九重が言った。
埠頭でミミを拉致した若い男の言葉をロクは思い出す。
『ええっ? ミミさんてあんなに若くないですよ。だって俺、九重ミミさん知ってますから』
――あの男はミミのことを知っていたが、若くないと言った。若くないミミは年を取っているということだ。
「あの、九重さんの下のお名前はもしかしてミミですか?」
海外ではよくあることだが、日本も稀に漢字を変えて身内で同じ名前をつけることがある。
「あら、正解。分かったの?」
九重は嬉しそうに目を輝かす。
「いや、まだこいつは分かってないぞ」
斉須ヒフミはいらだっていた。
「あらそうなの?」
九重はがっかりする。
「あの、暢気にこんな事を話し合っている暇ないと思うんですけど。俺は早くミミを助けに行きたいんです」
ロクもまた苛立ってくる。
「だから、さっきから言ってるだろう。逸見ロクがこの謎を解いて、人生を賭けないとミミとは二度と会えないと」
斉須ヒフミは強く言う。
「ねぇ、逸見さん。ミミの事はどう思っているの?」
九重は優しく問いかけた。
「俺、その、ほっとけないんです。わがままで、思ったことずけずけ言って、気分やで宥めるのに苦労するけど、俺のこと助けてくれて、俺のために料理やお菓 子を作ってくれて、俺の面倒みてくれるんです。ミミがいなかったら、いろんなこと発見できなくて、自分を見つめ直せなかったと思います」
「それで、だから、お前はミミの事をどう思っているんだよ」
斉須ヒフミが繰り返す。
ロクは答えるのを躊躇するも、みんなが自分を見ていることで言わざるを得なくなった。
「……俺は、ミミの事が、好きです。今すぐ会いたいです」
「おお!」
後ろで海禄が声をあげ、九重が目を潤わせて拍手した。
「そっか、やっと言ったか。遅いんだよ」
斉須ヒフミは口角を上げた。
「ありがとう、ロク」
九重がお礼をいう。そして目頭を熱くしてまた呟く。
「ヒフミなんかよりもロクの名前の方がやっぱり響きがいいわ」
「何を今更。セイスヒフミもまたいいじゃないか」
斉須ヒフミがカウンターから出てきて、九重の側に寄った。
ロクは頭に疑問符を乗せてふたりを見ていた。
「イツミロク、セイスヒフミ。そうね、同じようなものね」
九重が斉須ヒフミの腕を取って絡めた。
「あの、どういうことでしょう」
ロクが訊く。
「トレスレチェ」
ケーキの名前を囁く九重。
「トレスレチェ。あのスリーミルクケーキですよね」
「じゃあ、セイスは? ヒフミは?」
「セイス……あっ、スペイン語の六? えっ、ヒフミはいち、に、さん」
「もっと読み方を工夫してみろ。英語を混ぜるとか」
斉須ヒフミが言った。
「一、二、三はワン、ツー、スリー。あっ、待てよ、いっ、ツー、ミー、逸見……なんだこれ? それって、俺の名前をもじったってことに」
「そうだよ。やっと気がついたか」
「ん?」
ロクはまだわからない。
「自分がここまで勘が悪いとは、苛々してくる。しっかりしろ、ロク! お前は俺だ」
「はぁ?」
ロクは目の前の年老いた男をじろじろと見た。かつては紳士っぽく、優しいマスターだと思っていたが、そのイメージが崩れ、そしてその男が自分だと主張する。
「無理もないわ。ロク、この写真を見て」
九重は以前見せた半分に折った写真を取り出し、折った反対側を真っ直ぐに戻して見せた。そこには瀬戸がくれた写真と同じものが映っていた。ただそれはとてもボロボロで年季が入っている。
ロクもポケットからその写真を取り出して比べた。
「あら、持ってたのね。これってパラドックスっていうのかしらね」
九重はくすっと笑った。
「そういえば、久太郎が、参観日におじいちゃんとおばあちゃんが見に来てくれるっていっていましたが、案外それは本当でしたね」
海禄が言った。
「ちょっと待って下さい。みんなが言ってることって」
ロクは後ずさった。
「あらまあ、何をそんなに怒鳴ってるの? もう歳なんだからあまり興奮しないで」
ロクを探偵にした九重だった。
「この正念場に興奮しないでいられるか」
「それでも、落ち着いて下さい。ねぇ、逸見さんもそう思うでしょ」
九重はロクに同意を求めた。
「あの」
ロクは戸惑っていた。
「何ですか、おふたりはまた喧嘩ですか」
九重のあとから海禄が入ってきた。
「おお、海禄。久しぶり。久太郎と未来(みく)は元気か」
「もちろん、元気ですよ、お父さん」
海禄がお父さんと呼んだ事で、やはりマスターは斉須ヒフミだとロクは確信した。
「海禄、これでわかっただろう」
斉須ヒフミが尋ねる。
「そうですね。正直、ずっと半信半疑でしたけど、こうなってしまった以上、信じるしかありません。お父さんもお母さんも複雑でしょうね」
「えっ、お母さん?」
ロクは九重に振り返った。
「ううん、私はとても楽しんだわ。なんて素晴らしいんでしょう」
「あの、一体何が?」
ロクだけが分からず、居心地悪い。
「さて、逸見さん、この謎を解かない限り、あの可愛らしい女の子には会えませんよ。フフフ」
九重の言葉に、斉須ヒフミと海禄が呆れた顔を一瞬見せた。
「ちょっと待って下さい。ミミは一体どこにいるんですか?」
「逸見ロク、お前、まだわからないのか!」
あんなに紳士的だったこの店のマスターが急に豹変していた。
「お父さん! 何も怒らなくても」
海禄が諌めた。
その時、ふとロクは疑問を抱いた。
「斉須、九重、宇野――夫婦、親子なのに苗字が全部ばらばら」
「ようやく気がついたか。それで次は?」
斉須ヒフミが促した。
「九重さんはミミの祖母ですよね。そして海禄さんは九重さんの息子? そこにもう一人九重さんに息子がいて、それが海禄さんのお兄さんとしたら、海禄さんはミミの叔父? でもそれだったら、親戚としてのミミは海禄さんに面識があるはずだ。しかし小学校で会ったとき、海禄さんと初対面に接してたのはなぜだ」
「あら、いいところをつくわ」
九重が言った。
埠頭でミミを拉致した若い男の言葉をロクは思い出す。
『ええっ? ミミさんてあんなに若くないですよ。だって俺、九重ミミさん知ってますから』
――あの男はミミのことを知っていたが、若くないと言った。若くないミミは年を取っているということだ。
「あの、九重さんの下のお名前はもしかしてミミですか?」
海外ではよくあることだが、日本も稀に漢字を変えて身内で同じ名前をつけることがある。
「あら、正解。分かったの?」
九重は嬉しそうに目を輝かす。
「いや、まだこいつは分かってないぞ」
斉須ヒフミはいらだっていた。
「あらそうなの?」
九重はがっかりする。
「あの、暢気にこんな事を話し合っている暇ないと思うんですけど。俺は早くミミを助けに行きたいんです」
ロクもまた苛立ってくる。
「だから、さっきから言ってるだろう。逸見ロクがこの謎を解いて、人生を賭けないとミミとは二度と会えないと」
斉須ヒフミは強く言う。
「ねぇ、逸見さん。ミミの事はどう思っているの?」
九重は優しく問いかけた。
「俺、その、ほっとけないんです。わがままで、思ったことずけずけ言って、気分やで宥めるのに苦労するけど、俺のこと助けてくれて、俺のために料理やお菓 子を作ってくれて、俺の面倒みてくれるんです。ミミがいなかったら、いろんなこと発見できなくて、自分を見つめ直せなかったと思います」
「それで、だから、お前はミミの事をどう思っているんだよ」
斉須ヒフミが繰り返す。
ロクは答えるのを躊躇するも、みんなが自分を見ていることで言わざるを得なくなった。
「……俺は、ミミの事が、好きです。今すぐ会いたいです」
「おお!」
後ろで海禄が声をあげ、九重が目を潤わせて拍手した。
「そっか、やっと言ったか。遅いんだよ」
斉須ヒフミは口角を上げた。
「ありがとう、ロク」
九重がお礼をいう。そして目頭を熱くしてまた呟く。
「ヒフミなんかよりもロクの名前の方がやっぱり響きがいいわ」
「何を今更。セイスヒフミもまたいいじゃないか」
斉須ヒフミがカウンターから出てきて、九重の側に寄った。
ロクは頭に疑問符を乗せてふたりを見ていた。
「イツミロク、セイスヒフミ。そうね、同じようなものね」
九重が斉須ヒフミの腕を取って絡めた。
「あの、どういうことでしょう」
ロクが訊く。
「トレスレチェ」
ケーキの名前を囁く九重。
「トレスレチェ。あのスリーミルクケーキですよね」
「じゃあ、セイスは? ヒフミは?」
「セイス……あっ、スペイン語の六? えっ、ヒフミはいち、に、さん」
「もっと読み方を工夫してみろ。英語を混ぜるとか」
斉須ヒフミが言った。
「一、二、三はワン、ツー、スリー。あっ、待てよ、いっ、ツー、ミー、逸見……なんだこれ? それって、俺の名前をもじったってことに」
「そうだよ。やっと気がついたか」
「ん?」
ロクはまだわからない。
「自分がここまで勘が悪いとは、苛々してくる。しっかりしろ、ロク! お前は俺だ」
「はぁ?」
ロクは目の前の年老いた男をじろじろと見た。かつては紳士っぽく、優しいマスターだと思っていたが、そのイメージが崩れ、そしてその男が自分だと主張する。
「無理もないわ。ロク、この写真を見て」
九重は以前見せた半分に折った写真を取り出し、折った反対側を真っ直ぐに戻して見せた。そこには瀬戸がくれた写真と同じものが映っていた。ただそれはとてもボロボロで年季が入っている。
ロクもポケットからその写真を取り出して比べた。
「あら、持ってたのね。これってパラドックスっていうのかしらね」
九重はくすっと笑った。
「そういえば、久太郎が、参観日におじいちゃんとおばあちゃんが見に来てくれるっていっていましたが、案外それは本当でしたね」
海禄が言った。
「ちょっと待って下さい。みんなが言ってることって」
ロクは後ずさった。