7
夕日が沈む準備に入った頃、雲は黄金色の輝きを見せ、空の青がどんどん濃くなって紫を帯びてくる。辺りがだんだんと暗くなる頃、ミミを乗せた車は海に面した倉庫の中へと入って行った。
目を瞑って寝たふりをしていたミミはいつ起きていいものかそのタイミングを計っていた。
車のドアが開く。体を持ち上げられ、足が引っ張られる感触に不快を感じながら、バニラエッセンスを嗅がした男に身を任せる。
倉庫の冷たい床に体が横たわり、できるだけぐたっとしていると、紐で手足を縛られた。
「お前らここで見張ってろ。おい、行くぞ」
ボスらしき男と、多分運転手がそこを離れた。「バタン」と言うドアが閉まる音がしたあとエンジンがかかり、次第にそれはフェードアウトしていった。
「ヒコ、お前さ、腹減ったとか行ってたよな。なんか買ってきていいぞ」
「そうか、この辺、店あるかな」
「コンビニくらいあるんじゃないか。ついでに俺にもなんか買ってきてくれないか」
「ゴローは何が食べたい?」
「適当にあるもんでいいよ。俺の好み知ってるだろ」
「まあな、お前、男の癖に甘いもん好きだからな」
ミミの後をつけて車に押し込んだのがヒコ、バニラエッセンスを嗅がせたのがゴローだとミミは認識する。
ヒコが遠ざかったのか、ゴローが声を掛けた。
「もう起きても大丈夫っすよ」
ミミは目を開けた。ただっ広い空間に積み上げられた段ボール箱が壁際で並んでいる。他にも梱包された円柱の大きな物体や、パレットが積み上げられてい た。入り口付近にはフォークリフトが斜めになって乗り捨てられたように置かれていた。暮れかけた夕日がかろうじて倉庫内に入って辺りがセピア色に染まって いる。
ゴローを見れば、まだミミと歳が変わらないくらいに若い。ミミが身を起こそうとするとゴローが支えた。
「あの、私、白石さんじゃないんですけど。勘違いの誘拐です」
「あんたが誰であろうと白いドレスを着ていた。俺は白いドレスの女が拉致されたら、その時バニラエッセンスを嗅がせると全て上手く行くといわれたんだ」
「誰に?」
「昔お世話になった探偵さんとその奥さんに」
「なんで?」
「俺、別に組織の人間じゃないんだ。ただの助っ人要員。だからあまり犯罪には手を染めたくなくて、仕方なくダチの手伝いしてるだけなんだ。その手足の縛りだけど、動かしたら外れるようにしたから、頑張ってみて」
「そんな、取ってよ」
「おれ、ちょっと席外す。その間に、逃げてね」
「ちょっと、待って。なんで自力? 助けてくれないの?」
「おれが手を加えたことばれたら俺がやばいじゃん。ヒコが戻ってくる前に早くしてね」
中途半端なゴローの助けに困惑しながら、ミミは手足を動かした。だがそれは思ったほど簡単に外れない。
「嘘つき! 簡単じゃないじゃない」
後ろで縛られた手を何かに擦りつけようと辺りを見回したとき、入り口で話し声が聞こえた。ヒコが戻ってきた様子だ。
「コンビニを見つけられなかった。あまり離れたら怖いから、戻ってきた。あの女の様子はどうだ?」
「うーんと、目が覚めたみたいだったけど……」
「おい、何で邪魔するんだ?」
ヒコが倉庫に入ろうとしているのをゴローがドンと手をついた。
「ごめん、なんか体に虫がついてて」
ゴローは誤魔化す。
「おっ、そうか」
簡単に信じるヒコ。
「俺さ、面倒なことごめんなんだけどさ、もう帰っていい?」
「ゴロー、もうちょっと付き合ってくれよ。ひとりだと怖い」
「じゃあ、なんでこんな仕事引き受けたんだよ」
「だって脅されて怖いもん」
泣きそうなヒコ。
「どっちみち怖がってどうすんだよ。こうなったらふたりでバックレないか?」
「そんなことしたら、ボコボコにされるじゃないか」
「でもさ、あの女、白石じゃないって言ってたぜ」
「だって、あの家から出てきたんだぜ」
「だから、あの女もたまたまそこにいただけだろ」
ミミはこのとき、そういえばひとりで織香の家に行ったときの事を思い出していた。あの時に見た黒い車に乗っていた強面の男たちだと認識した。
「人違いしたからといって、俺の責任でもないし、あいつらが勝手に命令しただけだから」
ヒコは開き直る。
「で、いつまでここに監禁しとけばいいの?」
「さあ?」
手伝っている割にヒコはよくわかっていない。
「これってさ、組織は俺らが勝手にやったとか言ってさ、俺たちだけが罪を被るんじゃないの?」
ゴローの方が物分りがいい。
「その前に証拠が残らないように始末すんじゃねえ?」
「誰が?」
「やっぱり、俺たち?」
「俺やだぜ。ヒコがひとりでしろよ」
「俺だってやだよ」
ヒコとゴローの会話はどこか抜けていてた。ゴローが時間を稼ぐためにわざとそんな会話をしているのかもしれないと、ミミは必死で紐を解こうとパレットの角の部分にこすり付けていた。
――全然切れないじゃないの!
このままではゴローが折角くれたチャンスを生かせない。
「とにかく、見張っておかないと」
ヒコが中に入ろうとしてくる。焦るミミ。ゴローもまた上手くいっている事を願った。
その時、白い車がこっちに向かってくるのが見えた。
ヒコとゴローが他の仲間かとそれに気を取られていたが、その車が目の前に停まって、すぐさまふたりの男が勢いつけて飛び掛ってきた。
「おい、ミミ、九重ミミを誘拐したのはお前らか」
「ミミ? 九重ミミ?」
ゴローが呟いた。
「そうだ。どこにいる」
ロクがすごい剣幕で胸倉を掴むが、ゴローは困惑した表情でロクを見ていた。
その隣で海禄がヒコを取り押さえていた。
「白いドレスの女性を拉致したのはお前らだな。彼女はどこにいる」
ヒコが顎で倉庫の中を示した。
ロクはゴローを突き飛ばし、倉庫の中へと入っていく。すでに夕日は落ち外は薄暗く、倉庫の中は闇のようになって中が見えなかった。
「ミミ! どこだ、ミミ!」
ロクが声をかけても返事がない。
その頃、パトカーのサイレンの音が遠くで聞こえたかと思うと、どんどんこちらに近づいてけたたましくなっていた。
ロクはスマホのライトをかざして辺りを照らすが、ミミの姿はそこにはなかった。
「おい、ミミはどこなんだ」
ゴローに走りより、怒鳴った。
「えっと、白いドレスの女ですか? その人ならさっきまで、すぐそこにいたんですけど、いないんですか? じゃあ、逃げたんじゃ……」
数台のパトカーが回転灯を赤く放ちながら騒がしく集まった。無造作に停めて中から出てきた他の刑事が海禄の元へとすぐさま駆け寄る。ゴローとヒコは取り押さえられて、力ずくでパトカーへと引きずられていった。
「おい、ミミをどこへやったんだよ」
ロクはゴローに吼えた。
「だから、知りませんって」
「知らないってことはないだろう。無理やり連れてきたじゃないか」
「あの人はミミさんじゃなくて、ただ白石と間違えられて連れてこられた人です」
「だから、それがミミなんだって」
「ええっ? ミミさんてあんなに若くないですよ。だって俺、九重ミミさん知ってますから」
「お前、何を言ってるんだ?」
ロクは混乱したが、ゴローも不思議そうな顔をして、刑事に頭を抑えられてパトカーに乗せられた。
ロクは倉庫の周りを探し出す。
海禄も他の刑事に指示を出し、周辺を見回った。だが、ミミを見つける事ができなかった。
「ミミ! どこに隠れてるんだ。もう大丈夫だぞ。あっ、まさか、海に落ちたとか」
ロクが水辺を覗きに行こうとしたとき、海禄が肩を抑えた。
「逸見さん、ミミさんはここにはいない」
「でも、もし間違って海に落ちてたら」
「それはないと思います」
その時、倉庫の中から海禄を呼ぶ声がした
「警部!」
海禄とロクはすぐさま駆けつけた。
夕日が沈む準備に入った頃、雲は黄金色の輝きを見せ、空の青がどんどん濃くなって紫を帯びてくる。辺りがだんだんと暗くなる頃、ミミを乗せた車は海に面した倉庫の中へと入って行った。
目を瞑って寝たふりをしていたミミはいつ起きていいものかそのタイミングを計っていた。
車のドアが開く。体を持ち上げられ、足が引っ張られる感触に不快を感じながら、バニラエッセンスを嗅がした男に身を任せる。
倉庫の冷たい床に体が横たわり、できるだけぐたっとしていると、紐で手足を縛られた。
「お前らここで見張ってろ。おい、行くぞ」
ボスらしき男と、多分運転手がそこを離れた。「バタン」と言うドアが閉まる音がしたあとエンジンがかかり、次第にそれはフェードアウトしていった。
「ヒコ、お前さ、腹減ったとか行ってたよな。なんか買ってきていいぞ」
「そうか、この辺、店あるかな」
「コンビニくらいあるんじゃないか。ついでに俺にもなんか買ってきてくれないか」
「ゴローは何が食べたい?」
「適当にあるもんでいいよ。俺の好み知ってるだろ」
「まあな、お前、男の癖に甘いもん好きだからな」
ミミの後をつけて車に押し込んだのがヒコ、バニラエッセンスを嗅がせたのがゴローだとミミは認識する。
ヒコが遠ざかったのか、ゴローが声を掛けた。
「もう起きても大丈夫っすよ」
ミミは目を開けた。ただっ広い空間に積み上げられた段ボール箱が壁際で並んでいる。他にも梱包された円柱の大きな物体や、パレットが積み上げられてい た。入り口付近にはフォークリフトが斜めになって乗り捨てられたように置かれていた。暮れかけた夕日がかろうじて倉庫内に入って辺りがセピア色に染まって いる。
ゴローを見れば、まだミミと歳が変わらないくらいに若い。ミミが身を起こそうとするとゴローが支えた。
「あの、私、白石さんじゃないんですけど。勘違いの誘拐です」
「あんたが誰であろうと白いドレスを着ていた。俺は白いドレスの女が拉致されたら、その時バニラエッセンスを嗅がせると全て上手く行くといわれたんだ」
「誰に?」
「昔お世話になった探偵さんとその奥さんに」
「なんで?」
「俺、別に組織の人間じゃないんだ。ただの助っ人要員。だからあまり犯罪には手を染めたくなくて、仕方なくダチの手伝いしてるだけなんだ。その手足の縛りだけど、動かしたら外れるようにしたから、頑張ってみて」
「そんな、取ってよ」
「おれ、ちょっと席外す。その間に、逃げてね」
「ちょっと、待って。なんで自力? 助けてくれないの?」
「おれが手を加えたことばれたら俺がやばいじゃん。ヒコが戻ってくる前に早くしてね」
中途半端なゴローの助けに困惑しながら、ミミは手足を動かした。だがそれは思ったほど簡単に外れない。
「嘘つき! 簡単じゃないじゃない」
後ろで縛られた手を何かに擦りつけようと辺りを見回したとき、入り口で話し声が聞こえた。ヒコが戻ってきた様子だ。
「コンビニを見つけられなかった。あまり離れたら怖いから、戻ってきた。あの女の様子はどうだ?」
「うーんと、目が覚めたみたいだったけど……」
「おい、何で邪魔するんだ?」
ヒコが倉庫に入ろうとしているのをゴローがドンと手をついた。
「ごめん、なんか体に虫がついてて」
ゴローは誤魔化す。
「おっ、そうか」
簡単に信じるヒコ。
「俺さ、面倒なことごめんなんだけどさ、もう帰っていい?」
「ゴロー、もうちょっと付き合ってくれよ。ひとりだと怖い」
「じゃあ、なんでこんな仕事引き受けたんだよ」
「だって脅されて怖いもん」
泣きそうなヒコ。
「どっちみち怖がってどうすんだよ。こうなったらふたりでバックレないか?」
「そんなことしたら、ボコボコにされるじゃないか」
「でもさ、あの女、白石じゃないって言ってたぜ」
「だって、あの家から出てきたんだぜ」
「だから、あの女もたまたまそこにいただけだろ」
ミミはこのとき、そういえばひとりで織香の家に行ったときの事を思い出していた。あの時に見た黒い車に乗っていた強面の男たちだと認識した。
「人違いしたからといって、俺の責任でもないし、あいつらが勝手に命令しただけだから」
ヒコは開き直る。
「で、いつまでここに監禁しとけばいいの?」
「さあ?」
手伝っている割にヒコはよくわかっていない。
「これってさ、組織は俺らが勝手にやったとか言ってさ、俺たちだけが罪を被るんじゃないの?」
ゴローの方が物分りがいい。
「その前に証拠が残らないように始末すんじゃねえ?」
「誰が?」
「やっぱり、俺たち?」
「俺やだぜ。ヒコがひとりでしろよ」
「俺だってやだよ」
ヒコとゴローの会話はどこか抜けていてた。ゴローが時間を稼ぐためにわざとそんな会話をしているのかもしれないと、ミミは必死で紐を解こうとパレットの角の部分にこすり付けていた。
――全然切れないじゃないの!
このままではゴローが折角くれたチャンスを生かせない。
「とにかく、見張っておかないと」
ヒコが中に入ろうとしてくる。焦るミミ。ゴローもまた上手くいっている事を願った。
その時、白い車がこっちに向かってくるのが見えた。
ヒコとゴローが他の仲間かとそれに気を取られていたが、その車が目の前に停まって、すぐさまふたりの男が勢いつけて飛び掛ってきた。
「おい、ミミ、九重ミミを誘拐したのはお前らか」
「ミミ? 九重ミミ?」
ゴローが呟いた。
「そうだ。どこにいる」
ロクがすごい剣幕で胸倉を掴むが、ゴローは困惑した表情でロクを見ていた。
その隣で海禄がヒコを取り押さえていた。
「白いドレスの女性を拉致したのはお前らだな。彼女はどこにいる」
ヒコが顎で倉庫の中を示した。
ロクはゴローを突き飛ばし、倉庫の中へと入っていく。すでに夕日は落ち外は薄暗く、倉庫の中は闇のようになって中が見えなかった。
「ミミ! どこだ、ミミ!」
ロクが声をかけても返事がない。
その頃、パトカーのサイレンの音が遠くで聞こえたかと思うと、どんどんこちらに近づいてけたたましくなっていた。
ロクはスマホのライトをかざして辺りを照らすが、ミミの姿はそこにはなかった。
「おい、ミミはどこなんだ」
ゴローに走りより、怒鳴った。
「えっと、白いドレスの女ですか? その人ならさっきまで、すぐそこにいたんですけど、いないんですか? じゃあ、逃げたんじゃ……」
数台のパトカーが回転灯を赤く放ちながら騒がしく集まった。無造作に停めて中から出てきた他の刑事が海禄の元へとすぐさま駆け寄る。ゴローとヒコは取り押さえられて、力ずくでパトカーへと引きずられていった。
「おい、ミミをどこへやったんだよ」
ロクはゴローに吼えた。
「だから、知りませんって」
「知らないってことはないだろう。無理やり連れてきたじゃないか」
「あの人はミミさんじゃなくて、ただ白石と間違えられて連れてこられた人です」
「だから、それがミミなんだって」
「ええっ? ミミさんてあんなに若くないですよ。だって俺、九重ミミさん知ってますから」
「お前、何を言ってるんだ?」
ロクは混乱したが、ゴローも不思議そうな顔をして、刑事に頭を抑えられてパトカーに乗せられた。
ロクは倉庫の周りを探し出す。
海禄も他の刑事に指示を出し、周辺を見回った。だが、ミミを見つける事ができなかった。
「ミミ! どこに隠れてるんだ。もう大丈夫だぞ。あっ、まさか、海に落ちたとか」
ロクが水辺を覗きに行こうとしたとき、海禄が肩を抑えた。
「逸見さん、ミミさんはここにはいない」
「でも、もし間違って海に落ちてたら」
「それはないと思います」
その時、倉庫の中から海禄を呼ぶ声がした
「警部!」
海禄とロクはすぐさま駆けつけた。