今日もうちには舞花の友達が来ている。
目を閉じて、耳を澄まして、友達の声に溶け込む舞花の声を探す。
舞花は、どんなことで笑っているんだろう。
今何をして笑っているんだろう。
何を見ているんだろう。
どんな音を聞いているんだろう。
二階にいる舞花の姿を想像していると、自然と笑みがこぼれた。
舞花は今、幸せそうだ。
以前よりもずっと。
僕たちが舞花の幸せのためにと思って選んで与えてきたものをすべて手放した今の方が、明らかに楽しそうで、幸せそうだった。
僕たちから押し付けられた幸せを背負いながら歩く舞花はどこにもいない。
手放したその手に、自ら選んだ新しいものを手にしたのだから。
大好きなもの、気の合う友達との時間、やりたいことができる自由。
そんな舞花の姿に頬を緩ませながらも、僕にはなぜか、虚無感しかなかった。
__僕たちが舞花のために与えてきたものは、何だったんだろう。
舞花の幸せを肌で感じるたびに、そう思わずにはいられなかったからだ。
僕たちは彼女に必要だと思うあらゆるものを与えているつもりだった。
自分たちが良しとするものが舞花にとっても良いものだと思って。
それが舞花の幸せと思い込んで。
それが正しいと思っていた。
だから、僕たちにしか舞花を幸せにできないと思っていた。
それなのに……
僕たちが与えてきたものでは、舞花は幸せにはなれなかったのだろうか。
僕たちには、舞花を幸せにすることはできないのだろうか。
だったら僕たち親は、何のためにいるんだろう。
もしかしたら、僕たち親が子どもに教えられることは実はほんのわずかで、教えられる期間は、驚くほど短いのかもしれない。
いや、もともとそんなものも、なかったのかもしれない。
僕たちが何かを用意することも、何かを教えることも、先回りをすることも、それはただの親としての自己満足で、親になった気になっていただけなのかもしれない。
そうしないと、親でいられないと思ったのかもしれない。
そんなことしなくても、舞花ははじめから大丈夫だったんだ。
きっと。
この500万円も、良い親でいたい僕たちの自己満足を貯めこんだもの。
こんなことなら、もっと早く使ってしまえばよかった。
貯金なんてしなきゃよかった。
はじめから舞花の好きなことに使ってやればよかった。