「今日も練習、見に行っちゃだめ?」
いつも通りバスケットコートにやってきた僕は、昨日と同じ体操服姿の舞花に目を見張った。
洗濯をしてから返すと言って僕の体操服を持ち帰った舞花は、今日もそのまま僕の体操服を着てやってきた。
その姿に呆然とする僕に、舞花がそう言った。
そりゃ来てくれるのは嬉しい。
だけど……、
「今日はダメ」
僕の口調は自分でもビックリするくらい厳しかった。
たぶん、舞花も驚いたのだろう。
体をびくりとさせて、戸惑いの表情を浮かべている。
だけど僕はそれにひるむことなく続ける。
「もう学校には来ちゃだめだよ」
「もしかして、バレた? 叱られた?」
気まずそうに、僕の顔を覗き込むように舞花が聞いた。
舞花の顔が近づいてきて、僕は飛びのきながら答えた。
「そうじゃないけど……。
小学校の友達のほぼ全員が同じ中学に行ってるんだぞ。バレないわけないし」
「そっか。……そうだよね。ごめんね。
柏原君に迷惑かけちゃったね。
もしかして……、ここに来るのも迷惑だったかな?」
「え?」
「迷惑だったよね。
ごめんね、練習の邪魔してて。
もう明日からは来ないから」
そう言って立ち去ろうとする舞花の腕を、僕は咄嗟につかまえた。
その時、振り返った舞花の大きな瞳にぶつかった。
その瞳は、少々潤んで見えた。
「そんなんじゃ、ないから」
舞花は口ごもる僕に、何かを求めるような目を向けてきた。
__そんな目をされても……
その痛いほどの視線に、心臓がどくどくと音を立て始める。
「俺がもう、連れてきたくないんだよ」
その言葉に、舞花の瞳の中の寂しさが増すのがわかって、僕は慌てて言った。
「いや、だからそうじゃなくて……
他の人に、桜井さんを見せたくないんだよ」
「え?」
僕は観念するように答えた。
「かわいいって注目されると、困るんだよ。
他の男子に、目付けられて欲しくないんだよ」
僕は頬にじわじわと熱が帯びてくるのを感じながらも、一気にそう言った。
舞花と目なんて合わせられなかった。
ちらりと舞花の反応を確かめると、そんな僕の姿を、舞花の強い視線がとらえて離そうとしない。
まるで、僕の次の言葉を待つように。
「だから、その、つまり、俺は、桜井さんのことが……」
そこまで言って、僕は言葉を切った。
__違う。
何かが違う。
だから、先が言えない。
何だろう、この違和感は。
__「桜井さん……」。
「柏原君?」
舞花の声にはっとなって我に返る。
「あ、ごめん。何でもない。
とにかく俺の勝手なんだけど、もう学校には連れていけない」
「うん、わかった。
ごめんね、わがまま言って。
柏原君も……」
そう早口で言う舞花のまぶたが、少しずつ落ちていく。
そしてそのまま、一気に力をなくしたようにその場に足から崩れ落ちていく。
僕は咄嗟に腕を出して、舞花の体を何とか受け止めた。
「舞花?……舞花、大丈夫?」
舞花を支えるように抱きかかえると、うっすらと目を開けた。
「舞花?」
「あ、ごめん。なんか、急に立ち眩み。
いつの間にか、息するの、忘れてたみたい」
舞花は弱々しく言葉を途切れさせながら、だけどおかしそうに笑いながら言った。
「なんか、ドキドキしちゃって。
柏原君に見つめられて、真剣な顔見て、次の言葉、期待しちゃったりなんかして。
心臓が、もう、飛び出してきそうで」
顔をふにゃりとさせながら話す舞花の姿に僕はほっとして、思わず空に向かって息をふーっと吐いた。
その様子を見ていた舞花がくすくすと笑う。
「え? なに?」
「びっくりした?」
「そりゃびっくりするでしょ。急に倒れるから」
「私もびっくりした」
そんな舞花の様子は、全然びっくりしてなさそうだ。
むしろこの状況を楽しんでいる。
「ただの立ち眩みだ……よ?」
舞花は僕の顔を不思議そうな目で見つめた。
「柏原君、泣いてるの?」
「え? 泣いてないよ」
「だって、目が、真っ赤」
そう言われた瞬間、頬を生暖かいものがすーっと走っていく。
それを舞花が人差し指でそっとすくい取って、僕に見せる。
そこで、せき止められていた僕の不安が押し寄せるように湧き出た。
「だって……、そりゃびっくりするでしょ。急に倒れるから。
どうにかなっちゃったんじゃないかって。
このまま目を開けないんじゃないかって。
俺スマホとか持ってないし、どうやって助け呼んでいいかわかんないし。
それに……」
思いのままを口にしていたのに、そこで言葉が詰まった。
その代わり、とめどなく涙が流れてきた。
僕は、怖かったんだ。
舞花がどっかに行っちゃうんじゃないかって。
今舞花がいなくなったら困るんだ。
せっかく会えたのに、まだ伝えてないことがあるのに……。
一番伝えなきゃいけないことが、まだ言えてないのに……。
「やっと、舞花って呼んでくれたね」
その言葉にはっとして、舞花を見る。
僕の腕の中にいる舞花は、優しい微笑みで、僕を迎え入れてくれるようだった。
「久しぶり。あおい君」
懐かしいその響きに、僕の胸のあたりに爽やかな風が吹き抜けるようだった。
ずっとずっとぽっかりと開いていた穴を埋めるように、優しく響く声。
「舞花」
舞花の名前をもう一度呼ぶと、先ほどの風に共鳴するように、胸の奥底から温かい気持ちがこみあげてくる。
舞花は僕の腕に寄りかかったまま、僕を見つめてさらに微笑んだ。
僕もその体を、そっと引き寄せた。
舞花の柔らかな感触、甘い匂い、愛おしい重み……。
舞花は、確かにここにいる。
僕のそばに、舞花は存在している。
安心感で力が抜けるどころか、さらに腕に力が込められた。
離したくない。
どこにも行かないで。
舞花の形の良い頭を、そっと掌で包み込んだ。
その時、
「何してんの?」
その声に、体がびくりと反応した。
聞きなれたその声に、僕の背筋がスーッとなる。
「やっぱりここにいたんだ」
その声は、少しずつ僕たちの方に近づいてくる。
舞花も僕から体を離して、声の方に振り返る。
「あっ」
舞花の小さな声が漏れる。
「林田君?」
「やっぱり舞花ちゃんだったんだ。昨日、学校にいたでしょ」
「あ、やっぱりバレてたんだ」
「そりゃあバレるよ。
こんなかわいい子がいたら、見つけられない方がおかしいでしょ」
俊平の軽いノリに、舞花は苦笑いで返した。
「で、何してんの? 二人で」
「別に、何も」
舞花の代わりに僕が答える。
「何もってことはないでしょ。なんか、良い感じだったし」
「は?」
「二人は付き合ってんの?」
「付き合ってないよ」
「へー……。舞花ちゃんは何でここにいるの? 戻ってきたの?」
「こっちにおばあちゃんの家があって、夏休みだから泊りに来てるの」
「そうなんだ。こっちの友達には会った?」
「ううん。みんなの連絡先知らなくて」
「でも、あおいとは遊んでるんだ」
「たまたま会ったんだよ」
最後は舞花の代わりに僕が答えた。
不愛想な僕の返事に、「ふーん、たまたまね」と俊平は意味ありげな言い方で僕たちをなめるように見てくる。
「舞花ちゃん、今日も部活見に来るの?」
「行かないよ」
舞花が答える前にすかさず僕がきっぱりと答えたけど、俊平は相変わらず舞花の方を向いて話し続ける。
「なあんだ、そんな格好してるから、てっきり今日も来てくれるのかと思ったのに。
今日も来たらいいじゃん」
「ううん。バレたらあおい君に迷惑かかるから。実際、林田君に見つかったし」
「あおいに迷惑とか、気にしなくていいのに。
バレたら俺が上手いこと誤魔化してあげるし。
ね? 今日もおいでよ」
舞花は困惑の目を僕の方に向ける。
その目から逃げるように、僕は目をそらした。
「ほら、朝練遅れるし、行こ」
そう言って、俊平はとても自然に舞花の手を取った。
俊平の手に引かれてコートを出て行く舞花を、僕は慌てて追いかけた。