「柏原君」


 うとうとし始めていたところに、突然かけられた声の方に目をやると、その姿に一気に目が冴え始める。

 そこには、僕の学校の体操服を着た舞花が立っている。

 その光景が、なんだか不思議でしょうがなかった。

 夢を見ているようだった。

 舞花が、僕と同じ体操服を着ているなんて。

 半袖の体操服からのぞく、白くて細い腕。

 短パンから伸びるすらりとした足。

 舞花はこの体操服を着て、一体どんな学校生活を送っただろう。

 どんな部活に入ったんだろう。

 バスケ部だったかな?

 一緒のクラスになれたかな。

 体育とか、きっと男子の目が釘付けになっただろうな。

 制服姿は、どんな感じだったんだろう。
 
 そんなふうに思いを巡らせながら、僕はしばらく呆然と舞花の姿を見ていた。

 そんな僕を、舞花は不思議そうに見つめ返す。


「柏原君?」

「あっ、ごめん。サイズ感どう?」

「うん、問題ない。どうかな?」


 そう言いながらくるりと回って見せる舞花に、僕は微笑まずにはいられなかった。

 問題ないというか、かなり大きめだ。

 僕はそれを確かめるために、ソファから立ち上がって舞花に近づいた。


「ちょっと大きかったかな?

 えっと、ジャージも一緒に置いてあったでしょ?」


「うん、でも真夏だよ。長袖のジャージなんて暑いよ」

「そうだけど……よくある苗字ならともかく、さすがに「柏原」のゼッケン付けて校内を歩けないでしょ」


「うーん……」


 手に持った長袖ジャージに舞花は不服そうな目をやる。

 僕はその手からそっとジャージを取った。

 それをふわりとなびかせて、舞花の肩にかけてやった。

 ジャージの裾が舞花の頭上をふわりと通り過ぎて、その軌道の着地点に、顔を伏せ気味にした舞花を目がとらえた。

 舞花は、体を縮こませて、硬くしている。

 ジャージの襟元をつかんでいた僕の両手は、自然な動きで舞花の両頬を包みこんだ。

 そして、顔ごと僕の方に向けさせるように、舞花の顔をくっと持ち上げた。

 舞花の顔は、僕の両手で包み込んでしまえるほど小さかった。

 掌からその温もりを感じて、指先でその骨格をなぞった。

 僕を見つめる舞花の瞳は、戸惑いの色を浮かべて揺れていた。

 だけど僕はその瞳を逃がすまいと、じっと見つめ続けた。

 その間も、僕の指先は彼女の輪郭を確かめ続ける。

 まるでその存在を確認するように。

 指先ですらりとした首筋やうなじをそっと撫でた。

 そんな僕の指先の感触に体をさらに強張らせながら、舞花は僕の視線から逃れようと目を泳がせている。

 その姿がかわいくてたまらなかったから、


「学校、入ってみたいんでしょ?」


 僕はさらに熱い視線を送り続けた。



「だったら…… 


 ちょっとだけ、我慢して」
 



 僕の指先は、今度は彼女の耳の形を確かめ始める。

 耳にかかるふわふわとしたおくれ毛が、指先や手の甲に触れる感触が気持ちよかった。


「う、うん」


 舞花の小さな返事が聞こえてからも、僕の指先と舞花の細い髪が絡まり続ける。

 だけど僕の手は、小さく震えていたんだ。

 ドキドキが止まらなかった。

 この次は、どうしたらいいんだろう。

 わかるような、わからないような。

 何が正解なのかも、わからない。

 舞花も何も言わない。

 だけど、何かを待っているようにも見える。
 
 僕の手が舞花の髪を伝って下の方に降りて行ったとき、遠くの方で8時を告げるチャイムの音が聞こえて、僕たちの時間は再び動き出した。

 僕は舞花の肩まで来ていた手をパッと放して、舞花から目をそらした。


「そろそろ出ようか」


 玄関に向かっていそいそと舞花を追い越したとき、


「柏原君」


 放たれた舞花の声に、僕の体が引き戻されるように止まる。

 心臓はどくどくどくとうるさく僕の胸や背中まで叩く。

 その背中を舞花の穏やかな声が撫でる。


「ありがとう」

「う、うん」


 その言葉に、顔の筋肉がむずがゆく動くのをこらえて、「早く行こ」と言って僕は荷物を抱えて玄関に向かった。

 舞花にその顔を見られないように。