兄とその会話がなされたのは二月初旬だったが、その日以来、僕の中には「もうすぐバレンタインデー」という意識が根付いてしまっていた。

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 ――翌日、絢乃さんが出社して来られる前のことだった。来社されていた取引先の重役の方が、手土産にと美味しそうなガトーショコラを下さったのだ。

「これ、御社の会長さんにどうぞ。お口に合うかどうかは分かりませんがね」

「あら……。お心遣い、感謝します。私は甘いものはあまり頂きませんが、娘はきっと喜びますわ! あの子、甘いものには目がなくて」

「どうもありがとうございます」

 僕と一緒に応対をしていた義母は、絢乃さんがこのケーキを美味しそうに頬張っている姿を思い浮かべて破顔されていた。

 ――彼を一階のエントランスまで見送り、会長室へ戻ってきた僕は、頂いたケーキの箱をどうするか思案していた。

「これ、本当に美味しそうですよね。僕も食べたいくらいです」

 ……というのは冗談だったが。

「問題は、これをどこに保管しておくか、よね」

 チョコレートが使われたお菓子だし、冬場とはいえビルの館内は暖かいので、室温の会長室に置いておくのは心配だった。

「ええ、そうですね……。絢乃会長が来られたら、コーヒーと一緒にお出ししようかな。会長代行、とりあえず給湯室の冷蔵庫に入れてきます。冷やしておいた方が美味しそうですし」

「そうね……、そうしておいてくれる?」

 ……というわけで、このガトーショコラは絢乃さんにお出しするまでの間、給湯室の冷蔵庫の中に眠らせておくことになった。

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 ――いつものように僕が学校までお迎えに行き、出社された絢乃さんは、さっそくパソコンに向かうと一枚の書類をプリントアウトされた。

「――桐島さん、わたしね、そろそろ本格的に会長としての仕事に励もうと思うの。それでね、この会社の中でいくつか改革したいことがあって」

 彼女はそのプリント用紙を僕に見せながら、そうおっしゃった。

 そこに書かれていたのは、彼女ご自身が考えられたこの会社の改革案で、内容は小さなことから大層なコストがかかりそうな事柄まで()()に渡っていた。
 どうやら、前日に彼女が熱心にパソコンで書かれていたのはこの改革案だったらしい。

 そしてその中には、驚くべき項目が挙げられていた。

「……えっ? お誕生日のパーティー、今年から廃止されるんですか? まあ、今年はまだ喪中だから中止するというのは分かるんですが……」

 会長のお誕生日パーティーは僕が入社した頃にはすでに社内の年間行事に組み込まれて、廃止される日が来るとは夢にも思っていなかったのだ。