「うん、ぜひそう呼んで。馴れ馴れしいなんて思わないで? 貴方の方が年上なんだから」

 彼女はむしろその方がよかったようで、僕は嫌われるどころかより好感をもってもらえたようだった。それ以来、僕は結婚後も彼女のことを「絢乃さん」とお呼びしている。呼び捨てなんておそれ多くて、一生できない気がしているのだ。

 ――それからしばらく、僕と彼女は他愛もない会話をしながら二つ目のフルーツタルトを平らげた。
 その頃になって、彼女のスマホに加奈子さんからメッセージが受信した。そろそろパーティーを締めてほしい、招待客のために帰りの車の手配はしておいた。……まあ、そんな内容だったのだろう。後になって彼女から聞いた内容は、まったくそのとおりだった。

「ママ……、わたしはどうやって帰ればいいのよ」

 彼女のこの呟きは、実は僕の耳にも入っていた。加奈子さんが彼女の帰りの手段を伝えなかったのは、きっとわざとだろう。僕がお家までお送りすることになっていたので、それを聞いたお嬢さんを驚かせたくてお膳立てして下さったのだ。

「――ああ、もうすぐ九時になりますね。少し早いですが、そろそろ」

 僕は腕時計に目を遣った。ちなみにこの時計は、ブランド物でもなんでもない三千円のものだ。
 時刻は九時近くになっていたので、少し早いが彼女を促した。

 彼女は僕に頷いて見せ、ステージへ上がっていくとマイクを持ち、会長の途中退出の旨と、閉会の挨拶を会場内の招待客に告げた。
 ざわざわと招待客が引き上げていく中、彼女は強張った顔でステージ上から彼らを見送っていた。
 相当気を張りつめていたらしく、席に戻ってきた彼女は大きく深いため息をついていた。やっと肩の力が抜けたらしい。
 僕はそんな彼女のために、ドリンクバーで冷たいウーロン茶を淹れてから再びテーブルに戻り、彼女の前にグラスを置いた。

「――お疲れさまです、絢乃さん。喉(かわ)いたでしょう? これどうぞ」

「あ……、ありがとう。いただきます」

 よほど喉が渇いていたのだろう。彼女はウーロン茶をグビグビと一気に飲み干してしまった。お酒ではないが(未成年なのだから当たり前だ)、惚れ惚れするくらいにいい飲みっぷりだった。
 喉が潤うのとともに、彼女は少し元気を取り戻したようだ。十七歳の若さで大仕事を任され、プレッシャーも相当大きかっただろう。招待客のざわつきで、精神的にかなり疲れていたはずだ。

「皆さん、ざわついてましたね。まあ、仕方ないといえば仕方ないですけど」

 そんな彼女に、僕はあえて明るい調子でこんな言葉をかけた。彼女も僕と同感だったようだが、「これでわたしの務めは無事に終わった」と安堵(あんど)していた。そして、倒れたお父さまの容態が気がかりで、早く家に帰りたがっているようだった。