だからこそ私は、午後23時のベランダに命を懸けている。

ほんの少しでも颯ちゃんと話すことができるなら『安い命』と眉を顰められたって何てことはないのだ。


だって颯ちゃんは知らない。あなたと交わすたった一言が、どんなに尊くて幸せなものか。

私しか、知らないから。


「いいさ、そっちがその気ならっ」


いつもなら『おやすみ』と言われた段階で諦めるけど、今日だけは。今日だけは、折れられない。

ふんと荒い息を鼻から噴射して、ベランダへ引き返しよじよじ柵に上のぼる。(実は私と颯ちゃんの部屋のベランダは隣接していて、昔はよく行き来したりもしていた。)


鉄製の柵が軋んで少しうろたえるけれど、ここで足を止めるほど私の颯ちゃん愛はヤワじゃないのだ。

そんな事を自慢げに唱え、いざ彼の部屋前のベランダに侵入--と、向かいの柵に片足を掛けた瞬間。

ガラリ、彼の部屋とベランダを仕切っていた磨りガラスが開けられる。


「え、颯ちゃ…うおっ」


気を取られた私は、足を上手く運ぶことができず見事にバランスを失った。


「は!?バッ…」


そのまま頭から倒れこみかけた身体が、迷わず飛び出してきた颯ちゃんに勢いよく突っ込んでしまう。


「ってえ……」


ドン、と重みのある音が響いて消える。

……え、何これ待って、どういうこと?尻餅ついてる颯ちゃんの腕の中に、私が抱きとめられて、……え?は?


恐る恐る開いた視界に写り込んだ光景のせいで、頭の中に大渋滞が発生した私は、一旦順を追って状況整理を開始する。


「…おい」


まず私は颯ちゃんに冷たくあしらわれ、負けるもんかとベランダの柵によじ登った。


「おいって。ゆず?」


そして彼のベランダの柵に足を掛けた瞬間、磨りガラスが開けられてご本人様の登場。


「…ゆず、お前いい加減に」

「それでバランス崩して倒れて、気付けば颯ちゃんの温もりの中に……!」

「まじで突き落とすぞコラ」

「ひいいすいませんで、いだっ」