「あーあ、どっかで桜ちゃんに会えないかな……」
帰り道、春樹がボソッと呟く。
独り言なら誰もいないところで呟けばいいのに。
「そーえばさ、涼は好きな人とかいないの?」
そう興味津々にこっちを見てくる。
「いるけど……俺はたぶんずっと片想いだから」
「……」
だれかなんて言えるわけがない。
春樹は俺たちが他人だなんて知らないのだから。
でも、春樹はそれ以上は何も聞いてこなかった。
その間、沈黙が流れた。
血の繋がりがないとはいえ、姉弟なのだからそう簡単に想いを伝えることはできない。
まず、桜は俺のことを弟としか見ていない。
「あ、ちょっとお参りしてくる」
歩いていると、偶然見えてきた神社の方へと春樹は走っていった。
俺も仕方なくその後を追う。
「結局、神頼み?」
今日「頑張る!」って言ってたのに。
嫌味っぽく言ったのに春樹は気にせず笑う。
「お願いも大事じゃん?」
俺はお参りなんてしない。
神様なんかどうせいないんだから。
だから、お守りを見て待ってることにした。
ふと、桜の花のストラップが目につく。
お守りってわけではなさそうだけど。
そう思ってると、奥から優しそうな女の人が出てきた。
「これね、娘が考えたのよ。お守りとはたぶん呼べないんだけどね」
そう言いつつも、お守りと同じところに並べてある。
少なくともこの人にとってはお守りなんだろうな。
「そうなんですね! 娘さんが……」
「なんでも桜が好きみたいでね」
桜が好きか。
桜と聞いて花じゃなく姉の方を思い浮かべるなんて。
「いいのあった?」
そう言って、お参りを終えた春樹が隣に来た。
すると、女の人が嬉しそうな顔をする。
「あら、あなたこの前も来てくれたわよね?」
春樹が「はい、そうです!」と軽く会釈をする。
春樹とその女の人が話してるのを俺は少し離れて見ていた。
「よかったらまた来てね!」
「はい!」
ぺこりと挨拶をして、その場を去った。
「前、サッカー部の先輩と来たんだ。その時も笑顔で挨拶してくれてさ。なんか、先輩の友達がここの神社の娘らしくて」
神社で話してたことを俺に教えてくれた。
「へぇ。同じ高校か……」
こんなことってあるんだ、と驚く。
「なぁ、桜のことお参りしたの?」
やっぱり気になって、聞いてみる。
「え? あぁ、うん。そう!」
なんか微妙な返事だったが、特に気にしなかった。
朝、いや、もう昼過ぎだ。
休日だったからよかったけど、平日なら間違いなく遅刻していた。
そう思いながら、リビングへ行く。
珍しく誰もいなくてシーンとしていた。
「なんで?」
その呟きも響いて消えただけ。
そう思っていると、後ろから声がした。
「今日はあの日だからふたりともいないよ!」
「わっ! いたの?」
突然ソファーから顔を出した桜に驚く。
そっか。今日はお母さんと父さんの結婚記念日だ。
いつも記念日にはふたりでどこかへ出かけている。
詳しくは知らないが、いつも桜が提案してるらしい。
「ねぇ、お昼ご飯まだー?」
はやくはやく、と急かしてくる。
「えっ、俺が?」
「他に誰が作るの? 私、料理できないの知ってるでしょ!」
「そうでしたね」
たしかにいつも俺が料理をしていた。
どうやら頭の中はまだ眠っているみたいで、冴えていない。
「ええなにその言い方!」
軽くあしらうと、頬を膨らませて少し拗ねた顔をつくっていた。
俺はキッチンへ行き、何を作ろうか考える。
でも、その思考は桜の声によって遮られた。
「ねぇ、初めてあったときのこと覚えてる?」
桜がイスに座ってこっちを窺う。
「……忘れるわけないじゃん」
中学一年生のとき俺たちは初めて出会った。
でも、意識的に会ったわけじゃない。偶然出会った。
その日は、すごく雨が降っていた。
俺は傘なんて持ってなかったし、コンビニで傘を買うお金すら持ってなくて、どうしようかずっと戸惑っていた。
走って帰るべきか、小雨になるまで待つか。
そんな中、傘を差し出してくれたのは桜だった。
「あの、これよかったら使ってください」
控えめな声と共にピンクのかわいい傘を差し出してくれた。
でも、初対面の人に傘を借りるわけにもいかないよな、とまた戸惑う。
「え、でも……」
それに、この人の傘がなくなってしまう。
すると、考えが読めたのか後押しをしてきた。
「あ、私は折り畳みあるので大丈夫です。どうぞ」
「……じゃあ、ありがとうございます」
せっかく親切にしてくれたのに断るのもよくないと思い、ありがたく傘を受け取って家へ帰った。
【傘がないので持ってきてください】
家でテレビを見ていると、父さんからメッセージがきた。
親子そろって傘を持っていかなかったようだ。
傘立てにはさっき貸してもらったピンクの傘。
どこかでまた会えたら返さないと。
そんなことを思いながら、俺は家を出た。
駅に着くとその光景にひどく喫驚した。
まだあの子が駅にいて雨宿りをしていたから。
折り畳み傘あるんじゃなかったのか?
少し遠くから見ていると彼女がだれかに手を振った。
「あ、お母さん!」
「桜? どうしたの? 傘持たせたでしょ?」
「うん。どっかで忘れてきちゃって!」
「また? しょうがないな、一緒に帰ろ」
「うん!」
会話が終わると、お母さんとふたりで仲良く傘を差しながら帰って行った。
俺に気を遣わせないようにするために、折り畳み傘があるなんて嘘をついたんだ。
なんて、優しい人だろうと思った。
初めて会った人なのに。
そのきっかけがあったからこそ桜のこと好きになったんだと思う。
それからその人とすぐ家族になるなんてその頃の俺は 思いもしなかったな。
「あのときは……ありがとう」
2回目に会った時は家族になる時で驚きすぎて、ありがとうを言い忘れていた。
今更だけど。
「困ってる人を助けるのは当然だよ!」
そう言ってにこっと笑う。
たしかに当然のことかもしれない。
でも、だれにもできることじゃない。
少なくとも俺にはできない。
「ご馳走様でした。今日はもう部屋行くね」
夜ご飯を一足先に食べ終わった桜がお皿を片付けながら言う。
なんだか元気がないような……?
「今日はドラマは見ないの?」
いつも食後はドラマを見ているからお母さんが訊く。
「うん。課題多いからさ」
少し苦笑いをし、2階へと上がっていった。
「……珍しいわね」
お母さんがボソッと呟く。
俺は心配で、気づいたら桜の部屋の前に来ていた。
ノックをすると「どうぞ」という声が聞こえる。
入ってみると机に向かって何かを書いていた。
ほんとに課題が多いだけかもしれない。
でも、元気ないように見えたから訊いてしまう。
「桜さ、なんかあった?」
桜の手が一瞬止まる。
でも、再びペンを走らせる。
「なんもないよ」
相変わらず嘘が下手だ。
桜は嘘をつく時、罪悪感からか少し声が上擦る。
「なんでいつも気づいてくれるの?」
それは……ずっと見てきたから。
なんて、そんなこと言えるわけもなく、何か違う言葉を探していると桜が悲しそうに呟いた。
「……葵ちゃんと喧嘩しちゃった」
「え?」
葵ちゃんと呼ばれる女の子はたしか桜が3年生になってからできた友達だ。
よくふたりでどこか出かけたり、家にもたまに遊びに来たりしている。
「でも、私が悪いの。もういない人なんて忘れたらって言っちゃった。葵ちゃんの事情も知らないのに、最低だよね」
そう言いながら顔を伏せた。
こんなに落ち込んだ桜、初めて見た気がする。
なんとかしてあげたい。
そう思った俺は葵さんに会うことにした。
クラスに行くのは桜もいると思うし、なんだか気が引ける。
そう思ったから、校門で待つことにした。
しばらく待っていると葵さんが来た。
誰かと一緒に帰るみたいだ。
なるべくひとりがよかったけど、声をかける。
「はじめまして。桜の弟の涼です。葵さん。ちょっとふたりで話せませんか?」
いきなりの声かけに目を丸くしていたけど、すぐ笑顔を浮かべてくれた。
「大丈夫だよ! 颯太くん、ごめん。先に行ってて」
「わかった。じゃあまた塾で」
颯太くんと呼ばれた人に軽く会釈をし、葵さんとふたりで歩く。
「……桜ちゃんが私のこと想って言ってくれたのはわかってたよ。
でも、忘れられたくない人だったから」
葵さんは下を向きながらぽつぽつと話してくれた。
「そうだったんですね」
「あ、桜ちゃんだけが悪いわけじゃないよ。私が自分のことあんま話せてなかったから。
今日塾終わったら謝りに行くよ」
「え、別に明日でもいいと思いますよ」
塾がいつ終わるかは知らないけど、明日でも桜は待ってくれるはずだ。
そう思ったけど、葵さんは首を横に振った。
「明日じゃ後悔するときもあるかもだから」
そう呟く横顔はどこか儚げに見えた。
「お姉ちゃんのために優しいね」
「いや、そんなことないです」
「涼くん。私は好きな人に伝えたいことを自分の声で伝えられた。だから、どの選択をしても後悔だけはしないでね。どうか最初から諦めないで頑張ってほしいかな、私は」
なんでだろう。
俺の気持ちも全部知っているような口振りをする。
「……ありがとうございます」
葵さんに手を振って別れた。
頑張ってもいいのかな。
俺は桜が好き。だから、できることはしよう。
例え、振り向いてくれなくても、想いに応えてくれなくてもいつかは告白を。
そう決意した。
18時頃、桜は葵さんに呼び出されたきり、まだ帰ってきてない。
”明日じゃ後悔するときもある”
葵さんの言葉を反芻する。
そんなこと考える人もいるんだな。
たしかに、いまがずっと続くわけじゃない。
「涼ー! 仲直りできたよ! ありがとう」
桜は帰ってくるなり嬉しそうな顔で俺に抱きついた。
こういうのやめてほしいって前にも言ったはずなのに。
ゆっくり桜のことを離して、真っ直ぐな瞳を見つめる。
「……俺は別になんもしてないよ」
ほんとに何もしてない。
葵さんはきっと俺が声をかけなくても自分から謝りにいっただろうから。
「それでも話聴いてくれたでしょ? だから、今日は私が腕によりをかけて料理をつくるね!」
「ちょっとまって! 俺、消防車呼びたくないからね?」
桜は料理がめちゃくちゃ苦手だ。
今思い出したけど、前に一度あやうく火事になりそうだったことがある。
桜にやらせては危険だと身体中が訴える。
「もう! 今日は大丈夫だから! 涼は大人しくソファーに座ってて」
「……わかった」
心配だったけど、今日は大丈夫って言われちゃったし、とりあえずソファーから温かく見守ることにした。
すると、すぐに「あれ、お砂糖どこ? うーん。適量ってどのくらい……?」なんて声が聞こえてくる。
はぁ……。
やっぱ手伝ったほうがいいよな。
そう思ってると「あっつ!」という声が聞こえた。
俺は慌てて駆け寄り、その手を水につけた。
咄嗟にしたことで、桜との距離が0センチなことに気づく。
お互い見つめあっているのが余計に気まずい。
しばらく沈黙が続き、その沈黙を破ったのは桜だった。
「……ごめん。火かけてるの忘れてた」
「バカなんだから最初からやめとけばよかったのに」
照れ隠しで、こんなことしか言えなかった。
大丈夫だった? とか他に言うことあったはずのに。
「あー! お姉ちゃんに向かってなんてこと言うの?」
桜はちょっと怒ってるみたいだったけど、すぐ笑顔に変わり、ふたりで笑いあった。
よかった。もう気まずくない。
「俺がつくるから桜は座っててよ」
「ううん。私も見て次は作れるようにする!」
「はいはい」
俺がそっけなく返すと「絶対期待してないじゃん!」と言いながらおどけて笑う。
笑顔が戻ってほんとによかった。
やっぱり桜が笑ってないと家が明るくないから。
好きだな、やっぱりそう想ってしまう。
この想いを打ち明けても隠しても今は辛いだけ。
だったら、せめてこの平和で幸せな毎日が、ただ桜が笑っている毎日が続けばいい。
「桜ちゃんだ!」
窓の外を見て春樹が嬉しそうな顔をする。
それから、大きく手を振った。
遠いし気づかないだろ、そう思いながら俺も窓の外を見る。
「あ、気づいてくれた」
すごくニヤけてる。
そんな春樹に俺はため息をつきながら言う。
「もうさっさと告白すればいいじゃん」
そうすれば俺は少しは楽になれるかもしれない。
いや、もっと辛くなるだろうか。
「なぁ、協力してくれよ! ひとりじゃ無理!」
「……俺が弟だから?」
「違う! 親友として頼んでんの!」
今度は真剣な顔をして言ってきた。
こういうとこなんだよな。春樹のいいところ。
俺が弟だから協力して、というのは前にもあった。
でも、春樹は俺が好きな人の弟だから近づいてるわけじゃない。
あくまで親友として。
我ながらいい親友をもてたと思う。
家でひとり昔のアルバムの整理していた。
そこには俺の母さんも当然映っている。
会いたいな。
「それ前のお母さん?」
「わっ!」
目の前には桜の顔があった。
いつも急に現れるな、と思う。
「ごめんごめん。驚かせちゃった!?」
そういいながら、俺の隣に座る。
その目線はアルバムに向けていた。
「ううん、別に!」
「会いたい?」
俺の隣に座りながら桜が問う。
「……ずっと会ってないからちょっとだけ」
「そっか」
もう何年も会ってない。
でも、母さんも新しいだれかと結ばれて新たな家族の形をつくっていてくれていたら嬉しいと思う。
「桜だって自分のお父さんと会いたくないの?」
俺だってまだ時々会いたくなる。
でも、父さんに会っちゃいけないって言われてるし。
だから、桜も会いたくてたまらないだろうと勝手に思っていた。
「あぁ、私は別にだよ……」
そっけなく返された。
そういえば、桜のお父さんは隣町に住んでいるし、会えない距離ではないだろう。
だからなのか? そう思っていると桜が疑問を見透かしたように話す。
「だって、会おうと思えば会えるし。お母さんとお父さんの縁はずっと切れないし……」
どういう意味だろう。
そんな顔をしていると桜が苦笑いして話し出した。
「実は私のお母さんとお父さん義理の兄妹だったんだよね」
「えっ?」
思ってもないことを言われ、素っ頓狂な声が出る。
「親同士の反対を押し切って結婚したらしいけど。近すぎる存在は逆によくないみたい。それに別れても義理の兄妹ってことは変わらないからつらいって。だから私たちのこと自分たちみたいになるかもしれないことを心配してる」
ただただ驚いて、声も出なかった。
桜の両親が義理の兄妹だったなんて。
お母さんがそんなこと心配してたなんて。
「だから、ね?」
桜はもしかして俺の気持ちをもう見透かしてるのだろうか。
それとも、これはただの忠告なのか。
「……うん」
俺は頷くことしかできなかった。