……時は早朝。
僭越ながら、この屋敷の主をやらせてもらっている私ことハロ。
私の奴隷兼弟子のフィリア。居候のシィナに、この家で匿っているアモル。
そこへさらに新たにやってきた一人の少女を交えた食事の席は、なんとも言いがたい重苦しい空気に包まれていた。
「ハロ、ハロっ。これおいしいね! もしかしてハロが作ったの?」
重苦しい空気になっている原因は言うまでもなく、新たにやってきた五人目の少女である。
全長二〇センチもない超小柄な体格に、花びらを散りばめたような煌めく翅。
神秘的な美しさと禍々しさを両立する二色入り交じる髪と目が、どこか異色な雰囲気を醸し出す。
いわく、異端の妖精。いわく、《全》と謳われる者。
かつて私に魔導のすべてを授けてくれた、私の魔法の師匠でもある。
そんな彼女は今現在、机の上に並べられた料理をとても気分良さそうに頬張りながら、ニコニコと無邪気な笑顔を私に向けてきていた。
そんな彼女だけに注視するならば、重苦しい空気は毛ほども感じられないのだが……。
「ハロー?」
「へ? あ、ああ……うん、私が作ったよ。なんの変哲もない野菜スープだけど、そんなにおいしいかな……?」
「うん!」
彼女は元気な返事とともに少々大げさなほど大きく首を縦に振ると、そっと胸の前に手を当てた。
「味覚なんてとうの昔になくなってたと思ってたけど……ハロが作ってくれたこれは、なんだかすっごく温かくて体に染み渡るようなの! ハロの優しさが詰まってるなぁって感じる!」
「そ、そっか……まあスープだから、温かいのは当然だと思うけど……」
ちなみに、体格が体格なので、彼女の前に用意されているものはすべて小皿だ。
私やフィリア、シィナやアモルがパン一つ食べているのに対して、彼女の小皿に置かれているのはパンの切れ端一つだけ。他の料理も同様で、いくつかの小皿にそれぞれほんの少量だけが盛りつけられている。
数値にすると、ほんの十分の一程度だろうか。しかしたったそれだけでも、超小柄な妖精という種族たる彼女にとっては、私たちと同等の量になり得るのだ。
しかしながら、彼女の大きさに合わせたスプーンやフォークなどはさすがに用意できなかったので、彼女は魔法を駆使して料理を口元まで運んでいる。
彼女がスープの上に浮かぶ野菜に指を向ければ、それがフワフワと浮いて、スープの水滴一つ零すことなくスイーッと彼女の元まで飛んでいく。
妖精は元々、翅を介した魔法でほぼ常に浮いている種族だ。低出力の重力の魔法と、その細かい制御は彼女たちの十八番と言える。
もっとも、この子なら重力の魔法に限らず、上級魔法程度までなら詠唱も魔法陣も魔法名も唱えず、正確かつ綿密な制御で同時にいくつでも扱ってみせるだろうけれど。
「ふんふーん。もぐもぐ」
……さて。
重苦しい空気を作り出している元凶でありながら、そんなものは知らんとばかりに料理に向かう妖精の少女に向けられる視線は、実に多種多様だった。
まずフィリア。天真爛漫な彼女にしては非常に珍しく、敵視とはいかないまでも、警戒と若干の反感が入り乱れる複雑な感情を抱いているように見える。
次にシィナ。いつもなら耳をピコピコさせながら黙々と大量の食事を食べているところ、今回は他の皆とそう変わらないペースで、チラチラと気になるような視線を妖精の彼女に送っている。
そしてアモル。アモルに関しては妖精の少女にそのものというよりも、彼女を取り巻く異質な空気感に萎縮してしまっている感じだ。口数が非常に少なく、とにかく不安そうに私たち全員を見渡している。
最後に、私。
「えへへー、ハロー。せっかくだし、あーんしてあげよっか。あーん」
「あ、あーん?」
「うん! 人族って、そうやって大好きな人に食べさせてもらうのが好きなんでしょ! ワタシもやってあげたいなーって!」
「いや、それは……」
「……うぅ。もしかしてハロ、ワタシのこと嫌いなの……?」
急にしょんぼりとし始めたものだから、私は慌てて首を横に振った。
「き、嫌いじゃないっ。嫌いじゃないけど……」
「じゃあ好きなんだね! えへへ、ワタシもハロのこと大好きだよー! お揃いだね!」
「う、うん……そ、そうだね……?」
妖精の少女は机の上で少し浮くと、上機嫌にクルクルと回る。
そんな彼女に私が向ける感情は、困惑一択であった。
いや、だってさ、おかしいんだもん……。
こんな好意むき出しで迫ってくる妖精の子なんて、私知らない……。
私の記憶が確かなら、あの子はもっと傍若無人で、常に不機嫌そうに口を尖らせてて、いつだって他人のこと見下してて人の話なんて全然聞かなくて、誰が自分をどう思ってるかなんて心底どうでもよくて、こんな媚びるような声は絶対にしないし女の子とは思えないくらい口が悪い……。
そんな感じの、とにかく手がつけられない子だったはずだ。
それがなんだ。
私のこと尊重するみたいに料理を褒め、私と会話することが楽しいかのように頬を緩めて、私がどう思ってるかなんてことを気にして、彼氏にベタ惚れな女の子みたいに甘々にとろけた声を出して……。
おかしい……こんな好き好きオーラ全開で近寄ってきてくれる妖精の子なんて、私知らない……。
「それじゃ……うーんしょ、うーんしょ……! ……はい、ハロ。お口開けてー。ワタシが食べさせてあげるから」
自分で食べる時にしていたように魔法で直接持ち上げればいいはずなのに、師匠は全身を使って私のスプーンを持ち上げると、翅で飛びながら器用にスープを掬って、私の方に運んできた。
魔法で直接持ち上げたものを食べるのであれば、見た目的には浮いているものを食べるだけだったのでよかったのだが、こうして直接スプーンで差し出されてしまうと、気恥ずかしくて少しばかり躊躇してしまう。
やっぱりおかしい……変だ! 絶対変だ!
あーんなんていう他人に愛情を捧げるようなこと、私の知っているあの子なら絶対にしない……!
よしんばなんらかの超複雑的かつ怪奇的不可思議な事情でしなくちゃいけない事態に陥ったとしても、ものすっごいイライラした感じで心底だるそうに魔法で浮かせて口にぶち込むだけだったはず。
それが今はどうだ?
妖精である彼女にとっては相当重いだろうスプーンを、額に汗をにじませながら一所懸命に持ち上げて……こうして私がためらっている間にも機嫌が悪くなっていくなんてことはなく、むしろ『食べてくれないの……?』と悲しむように少しずつ眉尻が下がっていく。
そんな顔をする彼女を見ているのが心苦しく、羞恥心を押し殺して食べてみれば、彼女はとても嬉しそうに慈愛溢れた微笑みを浮かべる。
やっぱりおかしいぞ……なにかが、なにかがおかしい……。
見た目や特徴は私の記憶にあるあの子の姿と完全に一致しているのに、その仕草や口調はまるで別人だ。
数年前、彼女と別れる直前までは、確かに冷たく当たられていたはずなのに……。
この数年でなにがあったんだ……?
それともまさか、ただあの子の姿を真似てるだけの偽物とか……?
「次はどれ食べたいの? またワタシがあーんってしてあげる!」
「いや……その、私は……」
「っ……いい加減にしてください!」
このままだと、私が食べるぶん全部をこうしてあーんしてきそうだ。
さすがにそれは勘弁願いたかった私が物柔らかな感じの否定の言葉を探していると、不意にフィリアが抗議するようにガタンとイスを蹴って立ち上がった。
「庭でお師匠さまと会った時から、ずっとその調子で付き纏って……お師匠さまが困ってるじゃないですか! お師匠さまの意思を無視してそういうことをするのは、お師匠さまのためとは言えません!」
ガルルルル……!
人懐っこく、いつも私に駆け寄ってくる元気な子犬みたいな彼女が、吠えて威嚇するかのごとく妖精の少女を睨みつける。
それに対し妖精の少女は私に向けていた慈悲と喜び溢れる笑顔を瞬時に消すと、不機嫌さを隠すこともなくフィリアを睨み返した。
「はぁ? なにお前。嫉妬? 羨ましいからって変ないちゃもんつけないでよね」
「うらやま……!? ち、違います! 私はお師匠さまためを思って……!」
「誰かのためなんて、しょせん誰かを思う自分のためでしょ。目の前のことを我慢できないってだけの言い訳にハロを使うなよな。浅ましい」
お、おお……以前の師匠だ。
そうだよ、このなんでもかんでも見透かしたような態度で斜に構えた屁理屈並べて『はぁーホント人間ってのは愚か極まりないなぁー』みたいに人を見下して鼻を鳴らす感じが、私の記憶にある師匠なんだ!
懐かしい……あまりにも私の知ってるあの子と性格が違ったから、すわ偽物かと疑ってたけど、うむ。
このクソガキ感。間違いない……この子は紛うことなき私の師匠だ!
……ただ、そのー……できればもうちょっと仲良くしていただけると……。
「っ……だとしても、あなたがしていることは……!」
「あ、あの……!」
二人の言い合いがさらにヒートアップしようとしたところ、抗議するように声が上がる。
声を上げて二人を静止したのは、アモルだ。
一斉に視線が集まってアモルは居心地悪そうに縮こまるが、彼女はそれでも絞り出すように言う。
「その……お姉ちゃんが作ってくれたご飯……そんな風に食べてたら、きっとお姉ちゃんが悲しむから……」
「……アモルちゃん……」
「……」
アモルの一言は、二人にとっては冷水を浴びせられたに等しかったみたいだ。
フィリアは瞬時に落ちつきを取り戻し、軽く深呼吸をすると、静かに自分のイスに座り直した。
「そうですね……アモルちゃんの言う通りです。せっかくお師匠さまが作ってくれたお食事をこんな気持ちで食べるなんて、お師匠さまに失礼ですよね」
「うん……その、妖精さんも……」
「……ふん。別にワタシが騒ぎ立てたことじゃないけどね。でもまあ……ハロを嫌な気持ちにさせちゃうのはワタシとしても不本意だし。いいよ、お前の望む通りにしてあげる」
「ありがとう、妖精さん」
フィリアに注意された時と異なり素直に受け入れると、妖精の少女は自分の食事が並んだ方へいそいそと戻っていく。
どことなく、アモルにだけはほんのちょっとだけ対応が柔らかい感じだ。マジでちょっとだけど。
その理由は私にはわからないが……なにはともあれ、アモルのおかげで、ようやくまともに話ができそうな雰囲気になってきた。
きっと相当勇気を振り絞って声を上げてくれたんだろうし、アモルは後でいっぱい褒めてあげよう。
私は一度こほんと咳払いをして、皆の注目を集める。
「さて。遅くなっちゃったけど、そろそろフィリアたちにも紹介しなきゃね」
私に集まっている注目を誘導するように、妖精の少女に手を向ける。
「この子は私の昔の知り合いで、かつて私に魔法を一から教えてくれた私の師匠に当たる。見ての通り妖精族で、名前は……えぇと……」
……実を言うと、私はこの子から名前を教えてもらっていない。
いや、教えてもらっていないというか……どうにも、自分の名前なんてこの子自身さえそもそも覚えていないらしいのだ。
彼女の境遇を思えば、それもしかたがないとは思うけど……。
そんなこんなでどう紹介したものかと悩んでいると、妖精の少女がポツリと言った。
「リームザード。そう呼んで」
「……呼んでいいのかい?」
なにを隠そう、かつて師匠と呼んだところ、ものすっごく顔を顰めて嫌がられたことがあったのだ。
本人いわく『虫唾が走る』とのことらしい。呼び方に親しみを感じて鳥肌が立つとかなんとか。
あまりの嫌がりように、その後の私はしばらくの間しょぼぼーんとしていたものだ。
あの子とか彼女とか妖精の少女とか、私が妙に迂遠な表現で彼女を呼ぶことが多いのもそれが理由だったりする。
その昔、『じゃあなんて呼べばいいのかな?』と聞いたら『そもそも呼ぶな』と返されてしまったので、しかたがないのである……。
さしづめ、名前を呼べないあの子だ。
そんな彼女のことなので、師匠どころか自分の名前で呼ばれるだなんて、もはや忌み嫌うと表現していいほど嫌がりそうなものなのだが……。
「うん。特にハロには親しみを込めて、リザ、って呼んでほしいな」
人差し指で自分の顔を差しながら、にこーっ、と妖精の少女は言う。
え……だ、誰? 誰ですかあなた。
親しみを込めて……? 親しみって言ったの?
バカな……私の師匠がそんなこと言うはずがない……まさか偽物か……?
どこか期待するような視線に私が戦々恐々としていると、「次は私の番ですね」とフィリアが口を開いた。
「私は、お師匠さまの弟子のフィリアです。正直に言いますと、まだ少々納得いかない部分もあるのですが……ひとまずよろしくお願いします、リザさん」
「はぁぁぁぁぁー!? お前話聞いてた!? その呼び方はハロにしか許してないんだけど! お前ごときが勝手に呼ぶな! 虫唾が走る……!」
「えぇ……?」
あ、師匠だ。この『いや嫌がりすぎやろ……』って感じの嫌がりようは絶対に私の知ってる師匠だ。間違いない。
妖精の少女は目元をピクピクとさせながら、苛立ちのままにフィリアを睨みつけた。
「そもそも! 名前呼びを許可するだけでも譲歩してやってるっていうのに……! こともあろうにお前、ハロにだけ許した愛称を……!」
「し、ししょ……じゃなくて、リザ。ちょっと落ちついて……」
「……! も、もう一回! ハロ! 今のもう一回言って!」
このままだとせっかくアモルが良くしてくれた空気感が元に戻ってしまう。
それはさすがに見過ごすことができずに口を挟んだのだが……私が愛称で呼んだ瞬間、妖精の少女は即座に怒りを引っ込めて翻ると、キラキラとした眼差しで私を見上げてきた。
「えっと……リザ?」
「~~! えへ、えへ、えへへへ……そう、そうだよ。リザ……ワタシはリザだよ!」
「う、うん……?」
怒り心頭と言った様子から一転、はにかむように微笑んで、なんだかものすっごく嬉しそうだ。私の知ってる師匠とは真逆の反応である。
やっぱり偽物なんだろうか……。
「ふん……ハロに免じて今回は許してあげる。お前、次は絶対呼ぶなよな」
「お前じゃなくて、フィリアです。ちゃんと呼んでほしいなら、私のこともきちんと名前で呼んでください」
「お前に指図される筋合いは」
「リザ。私は、二人に仲良くしてもらえると嬉しい」
師匠――リザの言葉を遮って私が口を挟むと、彼女は少々葛藤するように沈黙する。
「……む、ぐぐ……はぁ。まあ、ハロが言うなら……よろしくしてあげないこともないよ。フィリア」
「……なんだかどういう人なのか少しわかってきた気がします。はい、よろしくお願いしますね。リームザードさん」
……うーむ……。
リザはなんというか、かつて私に当たっていた以上にフィリアへの態度が妙に刺々しい。
さっきはアモルのおかげで、そして今回は私が仲裁することでなんとかことなきを得たが、この二人はできるだけ二人きりにはしない方がよさそうだ。
いや、よさそうだというか……正直なところ、今のところ私はリザがこの屋敷にいる間はリザから目を離す気は毛頭なかった。
境遇的に致し方ない部分もあるけれど、彼女ははっきり言って倫理観が破綻している。
彼女の目には、虫も動物も魔物も人も、あらゆる生命が等価値にしか映らない。
等価値――彼女にとって、すなわちそれは無価値だ。
人が容易く虫を踏み潰すように、彼女もまた人を殺すことになんの感情も覚えない。
実際、私が知らない間に、リザはフィリアとシィナの二人を殺しかけていたという。
つい数時間前のことだ。激しい戦闘の音、そして尋常でない魔力の高まりを庭から感じたので駆けつけてみたら、フィリアとシィナがリザの作ったゴーレムと対峙していた。
魔法使いにとってシィナのような戦士は天敵なので、フィリアとシィナの二人で力を合わせて、どうにか勝利することはできていたみたいだったけど……あと一歩駆けつけるのが遅かったら、危なかったかもしれない。
なにせリザはまだ本気を出していなかった。
……あるいは、出せなくなってしまっているのかもしれないが。
ともかくそういうわけなので、リザは可能な限りそばに置いて監視しておきたい。
少なくとも、フィリアたちを殺さないと確信を持てるまでは。
フィリアもシィナもアモルも、私の大切な家族だ。誰一人失うわけにはいかない。
万全を期すのなら、リザを遠ざけるのが一番いいんだろうけど……。
彼女だって私にとっては命の恩人で、尊敬してる人で、大切な友人で、この世界での母親のような人だ。
たとえ彼女が私のことを本心ではどう思っていようとも、私が彼女に救われ、一緒にいた時間が楽しかったと感じた事実は変わらない。
「……わた、しは……シィナ。よろ……しく(な、なんだかすごく変わった子だなぁ……フィリアちゃんを殺そうとしてたし、油断はできないけど……もし仲良くできるなら、仲良くしたい、かな)」
「わ、わたしはアモル。よろしくね? 妖精さん」
フィリアに続き、シィナとアモルが自己紹介をする。
ちなみに二人に対するリザの反応は、フンと鼻を鳴らす。ただそれだけであった。
あの……なんかこの子、さっきから私とそれ以外への対応の差がひどいんですが……。
「えっと、リザ? 私とフィリアだけじゃなくて、シィナとアモルにもよろしくしてあげてね……?」
リザは再び葛藤するように黙り込んだが、その時間はフィリアの時よりは短かった。
私が注意したのが二度目だからか、それとも相手がフィリアじゃないからか。
「まあ、ハロがそう言うなら……よろしくしてあげないこともないよ。お前たち」
「……(う、うーん……ほ、ほんとに仲良くなれるのかなぁ……)」
「うん。よろしくね、妖精さん」
……フィリアたちからの反応は、アモル以外はなんとも前途多難と言ったところか。
フィリアとシィナに関しては、直接戦ったのだからしかたがないと言えばしかたがないのかもしれないけど……。
リザとフィリアたちを馴染ませる――。
その難題にしばらく頭を悩ませることになりそうで、どうしたものかと、私は密かにため息をつくのであった。
僭越ながら、この屋敷の主をやらせてもらっている私ことハロ。
私の奴隷兼弟子のフィリア。居候のシィナに、この家で匿っているアモル。
そこへさらに新たにやってきた一人の少女を交えた食事の席は、なんとも言いがたい重苦しい空気に包まれていた。
「ハロ、ハロっ。これおいしいね! もしかしてハロが作ったの?」
重苦しい空気になっている原因は言うまでもなく、新たにやってきた五人目の少女である。
全長二〇センチもない超小柄な体格に、花びらを散りばめたような煌めく翅。
神秘的な美しさと禍々しさを両立する二色入り交じる髪と目が、どこか異色な雰囲気を醸し出す。
いわく、異端の妖精。いわく、《全》と謳われる者。
かつて私に魔導のすべてを授けてくれた、私の魔法の師匠でもある。
そんな彼女は今現在、机の上に並べられた料理をとても気分良さそうに頬張りながら、ニコニコと無邪気な笑顔を私に向けてきていた。
そんな彼女だけに注視するならば、重苦しい空気は毛ほども感じられないのだが……。
「ハロー?」
「へ? あ、ああ……うん、私が作ったよ。なんの変哲もない野菜スープだけど、そんなにおいしいかな……?」
「うん!」
彼女は元気な返事とともに少々大げさなほど大きく首を縦に振ると、そっと胸の前に手を当てた。
「味覚なんてとうの昔になくなってたと思ってたけど……ハロが作ってくれたこれは、なんだかすっごく温かくて体に染み渡るようなの! ハロの優しさが詰まってるなぁって感じる!」
「そ、そっか……まあスープだから、温かいのは当然だと思うけど……」
ちなみに、体格が体格なので、彼女の前に用意されているものはすべて小皿だ。
私やフィリア、シィナやアモルがパン一つ食べているのに対して、彼女の小皿に置かれているのはパンの切れ端一つだけ。他の料理も同様で、いくつかの小皿にそれぞれほんの少量だけが盛りつけられている。
数値にすると、ほんの十分の一程度だろうか。しかしたったそれだけでも、超小柄な妖精という種族たる彼女にとっては、私たちと同等の量になり得るのだ。
しかしながら、彼女の大きさに合わせたスプーンやフォークなどはさすがに用意できなかったので、彼女は魔法を駆使して料理を口元まで運んでいる。
彼女がスープの上に浮かぶ野菜に指を向ければ、それがフワフワと浮いて、スープの水滴一つ零すことなくスイーッと彼女の元まで飛んでいく。
妖精は元々、翅を介した魔法でほぼ常に浮いている種族だ。低出力の重力の魔法と、その細かい制御は彼女たちの十八番と言える。
もっとも、この子なら重力の魔法に限らず、上級魔法程度までなら詠唱も魔法陣も魔法名も唱えず、正確かつ綿密な制御で同時にいくつでも扱ってみせるだろうけれど。
「ふんふーん。もぐもぐ」
……さて。
重苦しい空気を作り出している元凶でありながら、そんなものは知らんとばかりに料理に向かう妖精の少女に向けられる視線は、実に多種多様だった。
まずフィリア。天真爛漫な彼女にしては非常に珍しく、敵視とはいかないまでも、警戒と若干の反感が入り乱れる複雑な感情を抱いているように見える。
次にシィナ。いつもなら耳をピコピコさせながら黙々と大量の食事を食べているところ、今回は他の皆とそう変わらないペースで、チラチラと気になるような視線を妖精の彼女に送っている。
そしてアモル。アモルに関しては妖精の少女にそのものというよりも、彼女を取り巻く異質な空気感に萎縮してしまっている感じだ。口数が非常に少なく、とにかく不安そうに私たち全員を見渡している。
最後に、私。
「えへへー、ハロー。せっかくだし、あーんしてあげよっか。あーん」
「あ、あーん?」
「うん! 人族って、そうやって大好きな人に食べさせてもらうのが好きなんでしょ! ワタシもやってあげたいなーって!」
「いや、それは……」
「……うぅ。もしかしてハロ、ワタシのこと嫌いなの……?」
急にしょんぼりとし始めたものだから、私は慌てて首を横に振った。
「き、嫌いじゃないっ。嫌いじゃないけど……」
「じゃあ好きなんだね! えへへ、ワタシもハロのこと大好きだよー! お揃いだね!」
「う、うん……そ、そうだね……?」
妖精の少女は机の上で少し浮くと、上機嫌にクルクルと回る。
そんな彼女に私が向ける感情は、困惑一択であった。
いや、だってさ、おかしいんだもん……。
こんな好意むき出しで迫ってくる妖精の子なんて、私知らない……。
私の記憶が確かなら、あの子はもっと傍若無人で、常に不機嫌そうに口を尖らせてて、いつだって他人のこと見下してて人の話なんて全然聞かなくて、誰が自分をどう思ってるかなんて心底どうでもよくて、こんな媚びるような声は絶対にしないし女の子とは思えないくらい口が悪い……。
そんな感じの、とにかく手がつけられない子だったはずだ。
それがなんだ。
私のこと尊重するみたいに料理を褒め、私と会話することが楽しいかのように頬を緩めて、私がどう思ってるかなんてことを気にして、彼氏にベタ惚れな女の子みたいに甘々にとろけた声を出して……。
おかしい……こんな好き好きオーラ全開で近寄ってきてくれる妖精の子なんて、私知らない……。
「それじゃ……うーんしょ、うーんしょ……! ……はい、ハロ。お口開けてー。ワタシが食べさせてあげるから」
自分で食べる時にしていたように魔法で直接持ち上げればいいはずなのに、師匠は全身を使って私のスプーンを持ち上げると、翅で飛びながら器用にスープを掬って、私の方に運んできた。
魔法で直接持ち上げたものを食べるのであれば、見た目的には浮いているものを食べるだけだったのでよかったのだが、こうして直接スプーンで差し出されてしまうと、気恥ずかしくて少しばかり躊躇してしまう。
やっぱりおかしい……変だ! 絶対変だ!
あーんなんていう他人に愛情を捧げるようなこと、私の知っているあの子なら絶対にしない……!
よしんばなんらかの超複雑的かつ怪奇的不可思議な事情でしなくちゃいけない事態に陥ったとしても、ものすっごいイライラした感じで心底だるそうに魔法で浮かせて口にぶち込むだけだったはず。
それが今はどうだ?
妖精である彼女にとっては相当重いだろうスプーンを、額に汗をにじませながら一所懸命に持ち上げて……こうして私がためらっている間にも機嫌が悪くなっていくなんてことはなく、むしろ『食べてくれないの……?』と悲しむように少しずつ眉尻が下がっていく。
そんな顔をする彼女を見ているのが心苦しく、羞恥心を押し殺して食べてみれば、彼女はとても嬉しそうに慈愛溢れた微笑みを浮かべる。
やっぱりおかしいぞ……なにかが、なにかがおかしい……。
見た目や特徴は私の記憶にあるあの子の姿と完全に一致しているのに、その仕草や口調はまるで別人だ。
数年前、彼女と別れる直前までは、確かに冷たく当たられていたはずなのに……。
この数年でなにがあったんだ……?
それともまさか、ただあの子の姿を真似てるだけの偽物とか……?
「次はどれ食べたいの? またワタシがあーんってしてあげる!」
「いや……その、私は……」
「っ……いい加減にしてください!」
このままだと、私が食べるぶん全部をこうしてあーんしてきそうだ。
さすがにそれは勘弁願いたかった私が物柔らかな感じの否定の言葉を探していると、不意にフィリアが抗議するようにガタンとイスを蹴って立ち上がった。
「庭でお師匠さまと会った時から、ずっとその調子で付き纏って……お師匠さまが困ってるじゃないですか! お師匠さまの意思を無視してそういうことをするのは、お師匠さまのためとは言えません!」
ガルルルル……!
人懐っこく、いつも私に駆け寄ってくる元気な子犬みたいな彼女が、吠えて威嚇するかのごとく妖精の少女を睨みつける。
それに対し妖精の少女は私に向けていた慈悲と喜び溢れる笑顔を瞬時に消すと、不機嫌さを隠すこともなくフィリアを睨み返した。
「はぁ? なにお前。嫉妬? 羨ましいからって変ないちゃもんつけないでよね」
「うらやま……!? ち、違います! 私はお師匠さまためを思って……!」
「誰かのためなんて、しょせん誰かを思う自分のためでしょ。目の前のことを我慢できないってだけの言い訳にハロを使うなよな。浅ましい」
お、おお……以前の師匠だ。
そうだよ、このなんでもかんでも見透かしたような態度で斜に構えた屁理屈並べて『はぁーホント人間ってのは愚か極まりないなぁー』みたいに人を見下して鼻を鳴らす感じが、私の記憶にある師匠なんだ!
懐かしい……あまりにも私の知ってるあの子と性格が違ったから、すわ偽物かと疑ってたけど、うむ。
このクソガキ感。間違いない……この子は紛うことなき私の師匠だ!
……ただ、そのー……できればもうちょっと仲良くしていただけると……。
「っ……だとしても、あなたがしていることは……!」
「あ、あの……!」
二人の言い合いがさらにヒートアップしようとしたところ、抗議するように声が上がる。
声を上げて二人を静止したのは、アモルだ。
一斉に視線が集まってアモルは居心地悪そうに縮こまるが、彼女はそれでも絞り出すように言う。
「その……お姉ちゃんが作ってくれたご飯……そんな風に食べてたら、きっとお姉ちゃんが悲しむから……」
「……アモルちゃん……」
「……」
アモルの一言は、二人にとっては冷水を浴びせられたに等しかったみたいだ。
フィリアは瞬時に落ちつきを取り戻し、軽く深呼吸をすると、静かに自分のイスに座り直した。
「そうですね……アモルちゃんの言う通りです。せっかくお師匠さまが作ってくれたお食事をこんな気持ちで食べるなんて、お師匠さまに失礼ですよね」
「うん……その、妖精さんも……」
「……ふん。別にワタシが騒ぎ立てたことじゃないけどね。でもまあ……ハロを嫌な気持ちにさせちゃうのはワタシとしても不本意だし。いいよ、お前の望む通りにしてあげる」
「ありがとう、妖精さん」
フィリアに注意された時と異なり素直に受け入れると、妖精の少女は自分の食事が並んだ方へいそいそと戻っていく。
どことなく、アモルにだけはほんのちょっとだけ対応が柔らかい感じだ。マジでちょっとだけど。
その理由は私にはわからないが……なにはともあれ、アモルのおかげで、ようやくまともに話ができそうな雰囲気になってきた。
きっと相当勇気を振り絞って声を上げてくれたんだろうし、アモルは後でいっぱい褒めてあげよう。
私は一度こほんと咳払いをして、皆の注目を集める。
「さて。遅くなっちゃったけど、そろそろフィリアたちにも紹介しなきゃね」
私に集まっている注目を誘導するように、妖精の少女に手を向ける。
「この子は私の昔の知り合いで、かつて私に魔法を一から教えてくれた私の師匠に当たる。見ての通り妖精族で、名前は……えぇと……」
……実を言うと、私はこの子から名前を教えてもらっていない。
いや、教えてもらっていないというか……どうにも、自分の名前なんてこの子自身さえそもそも覚えていないらしいのだ。
彼女の境遇を思えば、それもしかたがないとは思うけど……。
そんなこんなでどう紹介したものかと悩んでいると、妖精の少女がポツリと言った。
「リームザード。そう呼んで」
「……呼んでいいのかい?」
なにを隠そう、かつて師匠と呼んだところ、ものすっごく顔を顰めて嫌がられたことがあったのだ。
本人いわく『虫唾が走る』とのことらしい。呼び方に親しみを感じて鳥肌が立つとかなんとか。
あまりの嫌がりように、その後の私はしばらくの間しょぼぼーんとしていたものだ。
あの子とか彼女とか妖精の少女とか、私が妙に迂遠な表現で彼女を呼ぶことが多いのもそれが理由だったりする。
その昔、『じゃあなんて呼べばいいのかな?』と聞いたら『そもそも呼ぶな』と返されてしまったので、しかたがないのである……。
さしづめ、名前を呼べないあの子だ。
そんな彼女のことなので、師匠どころか自分の名前で呼ばれるだなんて、もはや忌み嫌うと表現していいほど嫌がりそうなものなのだが……。
「うん。特にハロには親しみを込めて、リザ、って呼んでほしいな」
人差し指で自分の顔を差しながら、にこーっ、と妖精の少女は言う。
え……だ、誰? 誰ですかあなた。
親しみを込めて……? 親しみって言ったの?
バカな……私の師匠がそんなこと言うはずがない……まさか偽物か……?
どこか期待するような視線に私が戦々恐々としていると、「次は私の番ですね」とフィリアが口を開いた。
「私は、お師匠さまの弟子のフィリアです。正直に言いますと、まだ少々納得いかない部分もあるのですが……ひとまずよろしくお願いします、リザさん」
「はぁぁぁぁぁー!? お前話聞いてた!? その呼び方はハロにしか許してないんだけど! お前ごときが勝手に呼ぶな! 虫唾が走る……!」
「えぇ……?」
あ、師匠だ。この『いや嫌がりすぎやろ……』って感じの嫌がりようは絶対に私の知ってる師匠だ。間違いない。
妖精の少女は目元をピクピクとさせながら、苛立ちのままにフィリアを睨みつけた。
「そもそも! 名前呼びを許可するだけでも譲歩してやってるっていうのに……! こともあろうにお前、ハロにだけ許した愛称を……!」
「し、ししょ……じゃなくて、リザ。ちょっと落ちついて……」
「……! も、もう一回! ハロ! 今のもう一回言って!」
このままだとせっかくアモルが良くしてくれた空気感が元に戻ってしまう。
それはさすがに見過ごすことができずに口を挟んだのだが……私が愛称で呼んだ瞬間、妖精の少女は即座に怒りを引っ込めて翻ると、キラキラとした眼差しで私を見上げてきた。
「えっと……リザ?」
「~~! えへ、えへ、えへへへ……そう、そうだよ。リザ……ワタシはリザだよ!」
「う、うん……?」
怒り心頭と言った様子から一転、はにかむように微笑んで、なんだかものすっごく嬉しそうだ。私の知ってる師匠とは真逆の反応である。
やっぱり偽物なんだろうか……。
「ふん……ハロに免じて今回は許してあげる。お前、次は絶対呼ぶなよな」
「お前じゃなくて、フィリアです。ちゃんと呼んでほしいなら、私のこともきちんと名前で呼んでください」
「お前に指図される筋合いは」
「リザ。私は、二人に仲良くしてもらえると嬉しい」
師匠――リザの言葉を遮って私が口を挟むと、彼女は少々葛藤するように沈黙する。
「……む、ぐぐ……はぁ。まあ、ハロが言うなら……よろしくしてあげないこともないよ。フィリア」
「……なんだかどういう人なのか少しわかってきた気がします。はい、よろしくお願いしますね。リームザードさん」
……うーむ……。
リザはなんというか、かつて私に当たっていた以上にフィリアへの態度が妙に刺々しい。
さっきはアモルのおかげで、そして今回は私が仲裁することでなんとかことなきを得たが、この二人はできるだけ二人きりにはしない方がよさそうだ。
いや、よさそうだというか……正直なところ、今のところ私はリザがこの屋敷にいる間はリザから目を離す気は毛頭なかった。
境遇的に致し方ない部分もあるけれど、彼女ははっきり言って倫理観が破綻している。
彼女の目には、虫も動物も魔物も人も、あらゆる生命が等価値にしか映らない。
等価値――彼女にとって、すなわちそれは無価値だ。
人が容易く虫を踏み潰すように、彼女もまた人を殺すことになんの感情も覚えない。
実際、私が知らない間に、リザはフィリアとシィナの二人を殺しかけていたという。
つい数時間前のことだ。激しい戦闘の音、そして尋常でない魔力の高まりを庭から感じたので駆けつけてみたら、フィリアとシィナがリザの作ったゴーレムと対峙していた。
魔法使いにとってシィナのような戦士は天敵なので、フィリアとシィナの二人で力を合わせて、どうにか勝利することはできていたみたいだったけど……あと一歩駆けつけるのが遅かったら、危なかったかもしれない。
なにせリザはまだ本気を出していなかった。
……あるいは、出せなくなってしまっているのかもしれないが。
ともかくそういうわけなので、リザは可能な限りそばに置いて監視しておきたい。
少なくとも、フィリアたちを殺さないと確信を持てるまでは。
フィリアもシィナもアモルも、私の大切な家族だ。誰一人失うわけにはいかない。
万全を期すのなら、リザを遠ざけるのが一番いいんだろうけど……。
彼女だって私にとっては命の恩人で、尊敬してる人で、大切な友人で、この世界での母親のような人だ。
たとえ彼女が私のことを本心ではどう思っていようとも、私が彼女に救われ、一緒にいた時間が楽しかったと感じた事実は変わらない。
「……わた、しは……シィナ。よろ……しく(な、なんだかすごく変わった子だなぁ……フィリアちゃんを殺そうとしてたし、油断はできないけど……もし仲良くできるなら、仲良くしたい、かな)」
「わ、わたしはアモル。よろしくね? 妖精さん」
フィリアに続き、シィナとアモルが自己紹介をする。
ちなみに二人に対するリザの反応は、フンと鼻を鳴らす。ただそれだけであった。
あの……なんかこの子、さっきから私とそれ以外への対応の差がひどいんですが……。
「えっと、リザ? 私とフィリアだけじゃなくて、シィナとアモルにもよろしくしてあげてね……?」
リザは再び葛藤するように黙り込んだが、その時間はフィリアの時よりは短かった。
私が注意したのが二度目だからか、それとも相手がフィリアじゃないからか。
「まあ、ハロがそう言うなら……よろしくしてあげないこともないよ。お前たち」
「……(う、うーん……ほ、ほんとに仲良くなれるのかなぁ……)」
「うん。よろしくね、妖精さん」
……フィリアたちからの反応は、アモル以外はなんとも前途多難と言ったところか。
フィリアとシィナに関しては、直接戦ったのだからしかたがないと言えばしかたがないのかもしれないけど……。
リザとフィリアたちを馴染ませる――。
その難題にしばらく頭を悩ませることになりそうで、どうしたものかと、私は密かにため息をつくのであった。