戦士と魔法使いの決闘では、戦士の方が圧倒的に有利だと聞いたことがありました。
 それは戦士の方が強いからだという単純な話ではなく、得手不得手と相性の問題だそうです。

 そもそもの話、魔法使いという存在は一人での戦いにまったく向いていません。
 ただ己の肉体を動かすだけで十全に力を発揮できる戦士と異なり、魔法使いは力を発揮するために魔法の構築に意識を割く必要があります。

 一秒一瞬の判断が生死を分ける戦場で、別のことに意識を集中させる――それは本来、自殺にも等しい行為だそうです。

 私は戦いの経験なんてありませんが、魔法を習い始めてから、その意味が少し理解できるようになりました。
 魔法の構築は、針の穴に糸を通すようなものなんです。
 目の前に自分の命を奪わんとするものがいる。一瞬でも注意を外せば、刃が、鏃が、己の喉に向かって飛んでくるかもしれない。
 そんな危険と恐怖の中、普段通り冷静に、手元にある針の穴に糸を通す。そんなことは確かに、できるわけがありません。

 ……そう。できるわけがない、はずなのに。

「ハッ。突っ込むことしかできないの? お前」
「っ……!」

 フードで顔を隠した侵入者の方は、それをいとも容易くこなしていました。

 視覚的に捉えづらい真空の刃で牽制し、広範囲に炎を撒き散らすことでシィナちゃんの動きを制限し。
 大地を操ることで足場の状態を常に変化させ、思うように戦えないようにして。
 それに加え、さらに大地を凍らせることで、踏ん張ることができず滑りやすくなるリスクを与える。
 そしてそれらに攻めあぐね、もしもシィナちゃんが動きを止めるようなことがあれば、尋常でない破壊力が込められた雷撃が一瞬にしてシィナちゃんを襲います。

 結局シィナちゃんが侵入者の方に接近できたのは、最初の一回限りでした。
 それ以降はずっと、この数多の魔法の奔流に押されて近づけずにいます。

 私とファイアボルトやアイシクルランスを撃ち合っていた時とは、まるで迫力が違いました。
 あれは侵入者の方にとっては本当に遊び程度でしかなかったんでしょう。

 風、炎、土、氷、雷――。
 多彩なそれらを自在かつ無数に行使し、シィナちゃんを圧倒する今の侵入者の方の姿は、まるでこの世すべての自然現象をその身に従えているかのようでした。

「うっ……!?」

 シィナちゃんの全身を、突如として閃光が包み込みます。

 炎が生み出す陽炎と、凍った歪んだ大地、宙を舞う氷の破片。それらを利用し、侵入者の方はシィナちゃんに悟らせないように罠を張っていました。
 光の魔法によって作り出した光を多方向から反射し屈折させ、今シィナちゃんが立っている場所に集中させるという、それだけの罠。

 ただの光ですから、それ自体に攻撃する力はありません。
 けれど一箇所にのみ集った光の量はあまりにも莫大で、まさしく閃光と呼ぶべき眩しさに晒されたシィナちゃんは目を見開いて硬直し、激しく動揺していました。

「どれだけすばしっこくたって、光の速さには敵わない……これでしばらくはなにも見えないでしょ?」

 シィナちゃんの動揺の原因は、目がやられて見えなくなってしまったことでした。
 閃光を浴びたことを境にして、目に見えてシィナちゃんの動きが鈍ります。
 さきほどまで余裕を持って躱せていたはずの攻撃が肌を掠るようになり、あらゆる魔法の奔流の中、それでも攻め入る隙を探していたはずが、避けることに専念せざるを得なくなります。

 そしてそのせいで、侵入者の方に『余裕』が生まれてしまいました。

 これまで侵入者の方は、隙の少ない予備動作なしの魔法か、魔法名のみを唱える魔法しか使っていませんでした。
 いえ……正確には、それしか使えなかったんでしょう。

 シィナちゃんの放つ気迫。そして隙あらば攻め入らんとする獣じみた虎視眈々さが生み出す、呼吸さえ慎重に行わなければならないと思わせるような圧迫感。
 強力な魔法を使わんと戦場から少しでも意識をそらしてしまえば、その際に生じた隙をシィナちゃんが必ず突いてくるという確信があったんです。
 一見してみれば侵入者の方が圧倒しているようでしたが、シィナちゃんもシィナちゃんで、その存在感のみで侵入者の方の強力な魔法の発動を封じていたんです。

 しかし今、侵入者の方はその枷から解き放たれてしまいました。

「――■■■■(円環の炎)■■■■■(三つの花弁)■■■■■■■(貪欲な捕食者よ)
「っ……!? な、なんですか……これ……」

 ――詠唱。

 数々の自然現象の魔法でシィナちゃんへの牽制を続けながら、侵入者の方が同時進行で詠唱を唱え始めます。
 たった一節、その詠唱を耳にしただけで、全身の毛がゾクリと逆立ちました。

 使用された言語も、魔力の編み方も、折り重なった術式の仕組みも。
 そのすべてが私の知識の埒外にある。今の私では、どれだけ背伸びしても届かない場所にある。

 あれほど魔法に熟達した方が、詠唱を経由しなければ発動できない魔法――。
 完成した時、どれほどの規模の現象を引き起こすのか、まったく想像がつきません。

■■■■■■■■■(一欠片ほどの慈悲も)■■(なく)■■■■■■■■■(遍く命を焼き尽くせ)
「くっ、ぅ……!」

 シィナちゃんも直感的にその危険性を察知したのか、詠唱を阻止しようと無理にでも突っ込もうとしていましたが、魔法の奔流を前に足止めされてしまっていました。

 意識を詠唱に集中させているからか、魔法の奔流は、さきほどまでと比べれば目に見えて弱まっています。
 魔法の威力や量はもちろん、コントロールや軌道も単調で、普段のシィナちゃんなら難なく対応していたことでしょう。

 ですが今のシィナちゃんは、目が見えていません。それに加えて、侵入者の方が繰り出す魔法の奔流はシィナちゃんを仕留めることではなく、妨害を最優先にした使い方に変わってきていました。

 これでは間に合わない。
 シィナちゃんが視覚を取り戻し、詠唱を阻止するよりも先に、詠唱の方が完了してしまう。

「……私は……」

 私は、戦いのことなんてなにもわかりません。
 わかるのはしょせん魔法のことだけで、その魔法だって、あの侵入者の方には遠く及びません。

 だけど……。

「頑張ってください、シィナちゃん!」
「っ……フィリア、ちゃ……」

 私が力いっぱい声を張り上げると、シィナちゃんが驚いたようにこちらに顔を向けました。
 まだシィナちゃんは、ほとんど目が見えていないはずです。ただ、私の声に反応しただけでしょう。

 こんなこと、なんの意味もないかもしれない。
 それでも私は、今の私にできることを精一杯……シィナちゃんを信じて、応援することに全力を尽くします。

「……そう……だった。ともだち……ずっと、ほしかった……わたし、の……たいせつ、な……」

 シィナちゃんは自分に迫った魔法を斬り払うと、腰を低く構えて、その身に魔力を滾らせました。

 ビリビリと、空気が震えているような感覚がしました。
 一目見ただけで伝わってくる、凄まじい集中力。

「……わた、しが……まもる……!」

 ――ダンッ!

 シィナちゃんが力強く宣言した次の瞬間、シィナちゃんの姿が一瞬にしてかき消えました。
 右を見ても左を見ても、どこにもその姿はありません。
 ただ偶然、視界を覆うように影が差した時に反射的に空を見上げたことで、シィナちゃんが高く跳躍していたことに気づきました。

「シィナちゃん……!」

 見ていた限り、シィナちゃんが攻め入ることができなかったもっとも大きな要因は、足場がとても不安定なことでした。
 侵入者の方が常に大地を流動させ、さらには凍らせてくるものだから、ほんの少しでも足元の動きの加減を間違えてしまえば命取りになる状況下に置かれていたんです。
 だから、最初の時のように単純に距離を詰める戦法が使えなかった。そんなことをしてしまえば、魔法の奔流に飲まれるのみならず、不安定な着地の瞬間を必ず狙われてしまうから。

 だけど空中なら、その制約はありません。
 ……ですがその一方で、至極当然なことですが、空中には足場が存在していません。

 空中ではただ落下に身を任せるしかできず、攻撃を躱すことすらできない。
 そんな場所に身を投げるのは、本来であれば、歪んだ凍った大地を駆けるよりも遥かに危険なことです。

 無論、そんな隙だらけのシィナちゃんを侵入者の方が見逃すはずがありませんでした。
 無数の魔法の奔流が上空に向け、一斉に放たれます。

 けれど、その無数の魔法のたった一つですら、シィナちゃんに当たることはありませんでした。

「これ、ならっ……!」
「っ……空中に、足場を……? そんな魔法、どこで……」

 空中に足場を作り、跳躍。体を反転させ、さらにもう一度足場を作り、また跳躍。
 シィナちゃんはそれを残像が残るほどの速度で、幾度となく繰り返します。

 少し前のように大地や重力に縛られず、高速でジグザグと三次元的に空中を横断するシィナちゃんを捉えるのは、いかに侵入者の方と言えど困難なようでした。
 まるで、稲妻。文字通り、自由自在に空を走って跳び回るそれの軌道は予測することはおろか、目で動きを捉えることもできず、侵入者の方の魔法が当たったように見えたとしても、それはすべてシィナちゃんの残像でしかありませんでした。

 そんなシィナちゃんの姿を眺め、侵入者の方はなにかに気づいたように呟きます。

「その魔法の術式は……まさか、あの子が手掛けた……ちっ!」

 シィナちゃんはまだ視覚が戻っていないはずです。
 なのにあれだけ高速で動き回りながら、侵入者の方の位置を正確に把握しているようでした。

 その手段と理由はおそらく、ずば抜けた第六感です。
 本来曖昧な直感に過ぎないそれを視覚の代わりとして当てはめ、その身を動かす判断の大部分を委ねている。
 一歩間違えば相手の攻撃に向かって一直線に突っ込んでしまいかねない、正気の沙汰ではない所業でしたが、シィナちゃんは迷うことなく自分自身の感覚を信じ切っていました。

「クソが……」

 侵入者の方は最初こそシィナちゃんを捉えようと躍起になっていましたが、それが不可能なことを察すると、すぐに捉えることを諦め、詠唱を完了させることを優先し始めます。

■■(嗚呼)■■■■■■■■(もういいだろ全部)

 もちろんシィナちゃんがそんな隙を見逃すはずもなく、空中に作り出した足場を蹴って急接近します。

■■■(絶滅だ)■■■■(消えろ命)
「これ、で……! ……っ!?」
「こ、これは……?」

 シィナちゃんの剣が侵入者の方を斬り裂いた……かのように見えました。
 ですがその刀身はスルリと侵入者の方の体をすり抜け、侵入者の方の体は泡沫のように消えてしまいます。

「げ、幻影の魔法ですかっ……?」

 いったいいつからそんなものを仕込んでいたのかと思考を巡らせて……おそらく、閃光でシィナちゃんの視覚を封じた直後だと思い当たります。
 シィナちゃんがもっとも動揺し、侵入者の方から完全に意識を外したタイミングが、そこだけだったからです。
 視覚の剥奪と、幻影による保険。最初からその二段構えで、詠唱が完了するまでの時間稼ぎをするつもりだったんです。

■■■■■■■(生まれてくるな)■■■■■(ゴミどもが)

 詠唱が聞こえたのは、少し離れた林の手前でした。
 私も魔法使いの端くれですから、内容は理解できずとも直感でわかりました。詠唱はもう、最終段階に入っています。
 次の一節で、詠唱が終わる――。

 今のシィナちゃんの位置からでは、おそらくギリギリ間に合いません。
 シィナちゃんは何度か魔法を斬り裂いていましたが……今まさに完成しようとしているこの魔法をどうにかするのは、まず不可能でしょう。
 津波、地震、噴火。たった一人、身一つでそんなものに対応できるはずがないように……これはきっとそういった、災害を引き起こす類の魔法です。

 このままじゃ、私たちは二人とも……。

 ――いつもありがとうね、フィリア。

「っ、そうです……私は……!」

 約束をしました。お師匠さまと、ずっと一緒にいるって。
 その約束を、こんなところで違えるわけにはいきません!

 お師匠さまとの約束を思い出した途端、ふっと、急に脳が冴え渡る感覚がしました。
 視界から、色が消えていきます。それからすぐに音も消えて、匂いもなにも感じなくなって、自分だけが世界から切り離されたかのような錯覚に陥りました。
 深く深く、沈んでいく。それはなんというか、決して不安を覚えるような感覚ではなくて……たった一人、自分という存在だけがあるその場所で、自分の魔力の流れだけが鮮明に感じ取れました。

 今なら、なんだってできそうな気がしました。

 そうです。たとえお師匠さまに及ばないかもしれなくても、この身はお師匠さまが見初めてくれた魔法の才能の塊です。
 なら……一度この目で見た魔法を再現するくらい、私にだってできるはずです。

 今、この場面で必要な魔法。
 一瞬にして届くくらい素早く。それでいて威力を兼ね備え、防御を強制する魔法。

 ――シィナちゃんが来る直前に、あの侵入者の方が私を殺そうと放った、雷撃の魔法。

■■■■(我此処に)■■■■■■■■■(全ての命を贄と捧ぐ)! 顕現せよ、『外界(イォマ)、っ!?」

 シィナちゃんとの戦いの中でも何度か使っていましたから、その仕組みを理解するだけの時間はじゅうぶんありました。

 これまで私が使ったことがないレベルで強大な魔法だったので、実のところ発動できるかどうかは賭けに近いものでした。
 発動できたところで、下手をすれば魔法が暴走し、自分自身が焼き焦がされていたかもしれません。
 それでも正しく雷撃を放つことができたのは、あの深く沈んでいくような不可思議な感覚と……お師匠さまのおかげです。
 お師匠さまは魔法の暴走という危険を最小限にするために、これまでずっと精密操作を重視して魔法を教えてくれていましたから。

 侵入者の方は未熟ではありませんから、避けることも防ぐこともできなかった私と違い、当たる直前で咄嗟に障壁を展開して防いでいました。
 私一人だったなら、ただ防がれて終わりなだけの無意味な一撃だったでしょう。
 でも今は、この一瞬の時間稼ぎが勝敗を分けるに足るものでした。

 私の横を、赤い稲妻が走り抜けます。

「ちぃっ! 『外界より(イォマグヌ)――っ!」
「お、そい……!」

 私が稼いだほんの一瞬で侵入者の方との距離を詰めたシィナちゃんが、一気に剣を振り抜きます。
 今度は、幻影ではありません。
 シィナちゃんが繰り出した一撃は確かに侵入者の方の喉を捉え、その首から上を斬り飛ばしました。

 それによって、今まさに発動しようとしていた魔法と侵入者の方の繋がりが絶たれ、集っていた魔力が急激に霧散します。
 さらに一歩遅れてシィナちゃんが駆け抜けた時の風圧で風が吹き荒れて、私の髪をかき上げました。

 ……静寂。

 飛ばされた侵入者の方の首がボトンと地面に落ちる音がして、ようやく私はハッとしました。

「……え、えっと……シィナちゃん……こ、殺しちゃったんですか?」

 た、確かにあの状況では、中途半端な一撃ではこちらが危なかったので、それしか手はなかったのはわかっているのですが……。

 私がオロオロと問いかけると、剣を振り抜いた時の姿勢のままだったシィナちゃんは落ちついた様子で剣を下ろして、首から上を失った侵入者の方へと振り向きます。
 侵入者の方はシィナちゃんに斬られた直後から完全に動きが停止し、倒れる気配もありません。

 や、やっぱり死んじゃってます……よね?
 首を斬られて死なない人なんているはずないですし……。

 ……でも、なんというか……どこか死に方が不自然なような……?
 い、いえ、人が死んだところなんて見たことはないので、確かなことは言えないのですが……。

 その言いようのない感覚は、私だけでなくシィナちゃんも感じているようでした。
 むしろ直接侵入者の方を仕留めたこともあって、シィナちゃんの方がその違和感の正体をきちんと理解しているようでした。

「……ううん……ちがう。これ……たぶん、ひとじゃ……ない」
「え? それはどういう……」

 シィナちゃんの言葉の意味について聞き出そうとした瞬間、バチン、と、まるで再起動するような音が侵入者の方の体から発せられました。

「あっ、シ、シィナちゃん!」
「わっ……!?」

 動きを停止していたはずの侵入者の方の体が、突如として全方位に雷撃を撒き散らし始めます。
 シィナちゃんは堪らずその場を離れると、私を庇うように私の前に立ちました。

「……やってくれたね」

 雷撃が収まると、首から上を失ったはずの侵入者の方からそんな声が放たれます。

 よく見れば、その斬られた首の断面からは血が出ていませんでした。
 いえ、それどころか……そこから窺えるものは骨や肉と言った人体なんてものではなく、水晶のような鉱石でした。
 少し離れた位置に落ちた頭の方も、それは同様です。フードが外れ、むき出しになった頭は、半透明な紫の水晶で作られていました。

 こ、これは……。

「ゴ……ゴーレムですか……?」
「ああ? あぁ……本来の姿を晒すと、私は目立つんだ。これは人間どもに混じって活動するために手ずから作った、問題なく魔法を使えるようにした私の傀儡……だったってのに。ちっ、せっかく貴重な素材使って作ったおもちゃをおしゃかにしやがって……」

 自分は悪くないとばかりにイライラと呟く侵入者の方を見て、私もちょっとムッとしてしまいました。

「それは、あなたが私とシィナちゃんを殺そうとするからです。私たちはなにも悪くありません」
「ハッ。あの子を苦しめる癌に過ぎないくせに、よくもまあいけしゃあしゃあと言えるね」
「っ、あなたの言っていることはずっとめちゃくちゃです! これっぽっちも意味がわかりません……! ちゃんと私たちにわかるように話してください!」

 ――あの子が抱える……果てのない苦しみと絶望も。
 ――お前じゃハロを救えない。
 ――必死に助けを乞うあの子の、言葉にならない嘆きの声に……。

 最初からずっとそうです。この方の言っていることは、支離滅裂で脈絡がない。

 お師匠さまが孤独で苦しんでいたことはもちろん私も知っています。
 お師匠さまは奴隷だった私をお買いになった日に、その理由について、魔法の才能を見初めたからだけでなく……寂しかったから、とおっしゃっていましたから。
 でも今は、私だけじゃなくてシィナちゃんやアモルちゃんだって、お師匠さまと一緒に暮らしています。

 お師匠さまはもう一人じゃありません。私たちが、絶対に一人にしません。
 なのにこの方はそれを……まるでそれこそがお師匠さまの苦しみだと、私たちのことを癌だと言っている。

 わかりません。侵入者の方が言っていることは、やっぱり支離滅裂です……!

 私たちといる時にお師匠さまが浮かべてくれる笑顔を思い出し、必死に睨みつける私を見て、けれど侵入者の方はバカにするように鼻を鳴らしました。

「言っても無意味だし、お前じゃ無理だよ」

 変わらない。なにも教えず、突き放すような言動。
 まるで自分の方がずっとお師匠さまのことをわかっているとでも言わんばかりの態度に、私の中にどんどん怒りが蓄積していきます。

「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃないですか!」
「わかるんだよ。お前は言っただろ。あの子と死ぬまで一緒にいるって。あの子に並び立つ、って。それがもうダメなんだ。それじゃあ意味がない」
「なにを……!」
「いい加減わかれよ。お前のそれは自己満足なんだ。本当にあの子のことを思うのなら、お前は――」

 不意に、侵入者の方の言葉が止まりました。
 首から上がないのでよくわかりませんが、その視線は私よりも後ろへと向けられているような気がしました。

「…………ハロ……」
「お師匠、さま?」

 侵入者の方の呆然とした呟きに思わず振り向くと、アモルちゃんを傍らに連れたお師匠さまが、ゆっくりとこちらに歩いてきていました。

「……外が騒がしいから来てみたけど……これは、どういう状況かな」

 お師匠さまの纏う空気が、いつもと違いました。
 いつもはなんというか、緑豊かな自然に流れる風のような穏やかな雰囲気なのですが……今のお師匠さまは、曇天の下、嵐の前に吹いている強風のようでした。
 この変化にはシィナちゃんも少し驚いたように目をパチパチとさせていましたから、きっと普段冒険者として活動する時ですら、お師匠さまはこのような雰囲気にはならないのでしょう。

「シィナ。フィリアとアモルをお願い」
「……うん」

 お師匠さまはアモルちゃんを私に預けると、私たちの前に立ちました。
 お師匠さまと侵入者の方が、一対一で対峙します。

「あ、あの……大丈夫……?」
「あ、はい。大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます、アモルちゃん」

 私と傷だらけなシィナちゃんを見て、不安そうにするアモルちゃんの頭を撫でてあげます。
 それから、私たちはお師匠さまの邪魔にならないよう、私とシィナちゃんを連れて少し離れた位置に移動しました。

「……アハ、アハハ……うん、うん。大きくなったね、ハロ……」
「……」

 侵入者の方はお師匠さまと向き合ってしばらくすると、ぽつり、ぽつりと、感慨深いものがあるように呟きました。
 お師匠さまは、なんの反応も示しません。

「……ねえ、ハロ。あの子たちはさ……あなたの、なに?」

 そこでようやく、お師匠さまは口を開きます。

「家族だよ。血の繋がりはないけど……私なんかのことを慕ってくれる、大切な家族だ」
「……でもあの子たちは、あなたの苦しみを理解してないよ。あなたが本当に望んでいることを知らない。あなたがどれだけそれに身をやつし、焦がれてきたのか……」

 お師匠さまはなにか心当たりがあるのか、口を噤んで神妙な面持ちで侵入者の方を見つめています。

「それでも、家族と呼ぶの? あなたの真実を知ったら、離れて行ってしまうかもしれないのに……そんなものが、あなたにとって本当に大切なものなの?」
「……そうかもね。私は嘘つきだ。本当の私を知ったら、幻滅されて……皆、私なんか見限って、どこかへ行ってしまうかもしれない」
「なら……」
「それでも、それは全部私の罪だ。悪いのは嘘をついてきた私で、フィリアもシィナもアモルも、誰も悪くない。だから私はあの子たちが私を慕ってくれる限り、あの子たちのことを家族と呼ぶし、絶対に守る。誰にも傷つけさせない」

 ……侵入者の方が言っていたことは……デタラメじゃ、なかったんでしょうか。

 お師匠さまの返答には嘘偽りない感情が込められていて、お師匠さまが感じている葛藤がひしひしと伝わってくるようでした。

「……そっか。アハハ……あいかわらずバカだね。けど、それがあなたの選択だって言うなら……ワタシは……」
「あなたが何者なのかは知らない。だけど、フィリアたちを傷つけた報いは受けてもらう」
「……うん。そうだね……あなたの大切なものを、壊そうとしたんだもん。けじめは、つけなくちゃいけないよね……」

 侵入者の方が、腕をお師匠さまの方へと向けました。

■■■■(円環の炎)■■■■■(三つの花弁)■■■■■■■(貪欲な捕食者よ)
「……古代魔法か」

 お師匠さまは、動きません。
 次々と紡がれる詠唱を、その場に立ったまま黙って聞いていました。

「お師匠さま……!」
「大丈夫。見てて、フィリア。魔法使い同士の勝負なら、私はこの世界の誰にだって負けないから」

 私の方に振り向いて、そう言って浮かべたお師匠さまの微笑みには、なんの気負いもありませんでした。
 自分が勝つと、そう確信している。
 あの侵入者の方の強さを知っているだけに、思わず不安で声を上げてしまいましたが……そのお師匠さまの笑顔を見ると、不思議と心が落ちついてきました。

「私の魔法は、あの子に教わったものだ。あの子にもらった名前に、泥を塗るわけにもいかないしね」
「……■■■■(我此処に)■■■■■■■■■(全ての命を贄と捧ぐ)

 詠唱が完了すると、莫大な魔力が現象として形を為そうと侵入者の方に集いました。
 周囲の温度が急激に上昇し、侵入者の方がかざした腕の前に円環の炎が出現し、その中心に三つの花弁が咲き誇ります。

 ですがやはり、お師匠さまは一切動じません。さあ撃ってみろとばかりに、魔法の発動を見守っています。

「顕現せよ、『外界より(イォマグヌ)来る貪食なる焔(・アウターフレイム)』」

 次の瞬間、その花弁の中央から尋常でない規模の爆炎が発生しました。
 お師匠さまも、この庭も、お師匠さまの屋敷も、すべてを覆い尽くして余りあるほどの業火でした。

 言うなればそれは、世界を喰らう炎。炎の形をした巨大な生物が、貪欲に大口を開けて私たちを食べようとしていました。
 触れうるものを区別なく焼き払う。そんな生命にとっての絶大な脅威に対し……お師匠さまは、まるで火の粉でも払うように軽く腕を凪ぎました。

 そしてそれだけで、爆炎は押し止められてしまいました。
 お師匠さまより後ろへ炎が到達することはなく、私たちはもちろん、庭も家も原型を保っています。

「術式掌握」

 続けてお師匠さまが呟いたその一言で、あらゆるものを焼き尽くさんばかりだった炎が急激に縮小していきます。
 なおも広がって規模を大きくし、炎を押し止めるお師匠さまの力さえ飲み込まんとしていた炎の熱が呆気なく収束し、お師匠さまの手元に燃え盛る真っ赤な球体が生まれました。

 その球体を、お師匠さまはスッと侵入者の方へと押し出します。

「ほら、全部返すよ。『外界より(イォマグヌ)来る貪食なる焔(・アウターフレイム)』」
「っ――」

 次の瞬間、一箇所に収縮したエネルギーが再度解き放たれ、数多の命を焼き尽くさんと猛る爆炎が今度は侵入者の方に向かって放たれました。

 これは元々、侵入者の方がわざわざ詠唱までして発動した魔法です。
 苦労して時間をかけて作り上げたはずのそれを、こんな数秒でそっくりそのまま返されては為すすべもなく、侵入者の方はその炎に呆気なく飲み込まれてしまいました。

 しかもお師匠さまは爆炎の影響が余計な範囲に及ばないよう、侵入者の方を覆うように瞬時に半円状の障壁を展開していました。
 障壁の中で熱量が閉じ込められて、さらに火力は上がっていたことでしょう。

「これが……お師匠さまの本気……」

 術式の掌握。魔法の強奪。それも、こんな特大規模の魔法を……。
 お師匠さまが、魔法使い同士での勝負なら絶対に負けないと豪語したことも頷けました。
 相手が作り出した魔法の術式に介入し、こうして簡単に奪ってしまえるのなら……確かにお師匠さまに敵う魔法使いなんて、誰もいるはずがありません。

 侵入者の方はお師匠さまの魔法の才能を、星のごとき眩い光だとおっしゃっていました。
 手を伸ばしても伸ばしても、届かない。星のように遠い場所に立っている。そういう才能なのだと。
 その片鱗を今、垣間見た気分でした。

 炎が収まると、お師匠さまは障壁を解除します。
 障壁で包まれていた空間は、当然ですが跡形もありません。
 地面は溶け、すべては灰燼と化し、あるものは凄まじい熱の残骸だけです。
 侵入者の方のゴーレムの肉体も、一欠片すら残っていませんでした。

「終わった……んですか?」
「……っ、いや、まだ……!」

 お師匠さまがなにかに気づいたように振り向きました。

 その視線の先にあったのは、最初にシィナちゃんが斬り飛ばした、侵入者の方の首から上に当たる水晶の塊です。
 頭だけは離れた場所に飛んでいたので、あれだけは障壁の中に閉じ込められず、爆炎の影響を免れていました。

 その頭だった水晶に、バキン、と罅が生じます。
 私たちが見守る中、亀裂は見る見る間に広がっていき、数秒のうちに砕け散りました。

 なにも見えませんでしたが……その水晶の中からなにかが飛び出てきたことを、私は感覚的に察知しました。
 シィナちゃんもそこになにかの存在を感じたようで目を凝らすようにして、なにもない空間をじっと見つめています。

 その存在を最初に捉えることができたのは、魔眼という特殊な目を持っていたアモルちゃんでした。

「……妖精、さん?」
「え? よ、妖精……? 妖精が、そこにいるんですか? ……じゃ、じゃあまさか……あの方は……」

 驚愕で動きが固まっていたお師匠さまへと、見えないなにかが近づいていきます。
 お師匠さまに近づくにつれ、徐々にその姿は鮮明に、そして色がついていきました。

 手のひらで包み込んでしまいそうなほど、あまりにも小さな体躯。
 小さな花びらが点在しているかのような、幻想的で美しい翅。

 肩や脇が露出したフリフリとした衣装は、まさに物語に出てくるような妖精と言った風貌です。
 しかしその一方で、髪と瞳が元来の妖精のイメージを覆す異様な雰囲気を醸し出していました。

 髪は主には夕日のようなオレンジ色なのですが、毛先に近づくにつれ、まるで夜の訪れを現すかのように深紫色に変わっています。
 瞳も同様で、左目は自然を体現した美しい緑色をしているのに対し、右目は禍々しさを思わせる赤紫に染まっていました。

 異質。異端。
 かつて人に魔法という叡智をもたらした妖精という存在でありながら、どこか危うく……人々に滅びをもたらしかねないような、不吉な空気を纏っていました。

「き、みは……」
「アハ、アハハ!」

 その妖精は、お師匠さまが自分の存在を正しく認識したことを確認すると、嬉しそうに満面の笑みを浮かべました。

「はい、どーん!」

 翅を羽ばたかせ、無邪気な掛け声とともに、ポフッとお師匠さまの胸に飛び込んだ妖精の少女は、なにかを期待するようにお師匠さまを見上げます。
 お師匠さまは、未だ信じられないと言った様子で目を見開きながらも……それに応えるように、おずおずと口を開いて言いました。

「し、師匠……?」
「えへ、えへへ、えへへへー! そうだよー! 久しぶりだね、ハロー!」

 お師匠さまの服の襟を掴み、空中で足をパタパタとさせてじゃれつくその姿は……少し前までの傲慢な立ち振る舞いとは、似ても似つかないものでした。

 こ、この方が……お師匠さまの、お師匠さま……?

 あまりの性格の変容についていけず、私はちょっとポカンとしてしまいます。
 なぜかお師匠さままで困惑したように目を瞬かせている気もしましたが……さすがにそれは気のせいでしょう。

 お師匠さまのお師匠さまと思しき妖精の少女からは、もうさきほどまでの敵意は感じませんでした。
 ひとまず事態は収まったみたいでしたが……まだまだ波乱は始まったばかりだと、東の空に昇り始めたお日さまが告げていたのでした……。