屋敷の外で倒れていた、件の少女。今は私のベッドに横たわる彼女の様態を、今一度確認してみる。
 初めこそ意識不明の重体だったが、危険な状態はすでに脱し、今はもう大分よくなってきているようだ。
 けれど、まだ万全とは言いがたい体調だろう。
 回復魔法も万能ではない。物理的外傷を塞ぐことは得意だが、疲労の回復や精神の回復、エネルギーの補給、血の補給、病気の治療などなど。これらには、せいぜいが改善促進の効果しか得られない。
 今はひとまず安静にしていることが大切だ。

「……今日はフィリアとシィナと、ボードゲームでもして遊ぶつもりだったんだけどね」

 ベッドの横にイスを持ってきて、本を片手に腰を下ろす。

 起きた場合の事情説明や万が一の時のためにも誰かがそばにいる必要もある。
 ただ、あまり大人数で騒ぐと少女の体調に響くかもしれないので、今この場にはフィリアとシィナはいない。この部屋にいるのは私と、この少女だけだ。
 一応、この子が重体に陥った原因の一端は私にもある。なにせこの子には防犯用の電気ショックをその身に受けた形跡があった。それを仕掛けた当人である私が遊び呆けているわけにもいかないだろう。

「……そもそも、なんでこの子は外にいたのかな」

 作動した防犯魔法の周辺の様子を見に行った時は、不注意で外出してしまった誰かがこの屋敷まで誤って飛ばされてきた可能性を考慮していたものだが、しょせんは可能性だ。
 あるいは故意に屋敷に侵入を図った確率もゼロではない。たとえば、金目のものを目的にしていたりとか。

 ……もしかして、孤児だろうか?
 この世界には、そういう身寄りのない子どもはそれなりにいる。

 もとを辿れば私だって孤児のようなものだ。
 異世界からの来訪者。当然、親も兄弟もいなければ、住む家も身分を証明できるようなものもない。
 今でこそ魔法使い、それから冒険者として名を上げて悠々自適な生活を送ることができているが、一歩間違えばどんな人生になっていたかわかったものではない。

 もしかすればフィリアみたいに奴隷にでもなって、どこの誰ともわからない金持ちをご主人さまと呼んでいた可能性だってある。
 なんの力もないまま冒険者になって、最初の冒険でのたれ死んだりとか。
 親切な話に騙されて、人攫いの被害者になったりだとか。

 ……本当に、こんな私に魔法のすべてと生きる術を授けてくれた彼女(・・)には感謝してもしきれない思いだ。
 また会いたいなぁ。仲違いみたいなことになってしまって、もうずっとそれっきりだけど……どこかで元気にしてくれていたらいいな。

「って。今はこの子のことこの子のこと」

 自分で言うのもなんだが、Sランク冒険者は特別な存在だ。
 Sランクの魔物を単独で撃破できる能力を持つと判断された者だけが、その称号を得ることを許される。
 その名声は冒険者だけにとどまるものではない。私やシィナのように一箇所にとどまって活動している場合なんかは特に、その街の一般人にも名前が知れ渡る。
 つまり、この屋敷がSランク冒険者の《至全の魔術師》の家であるということは、この街の住民にとっては周知の事実であるはずなのだ。
 名のある魔法使いの家。少し考えれば、侵入防止の魔法が展開してあることなど簡単に予想がつく。そうでなくとも、侵入した痕跡を魔法で調べられれば、その正体を暴かれて一巻の終わりだ。

 それらのリスクをすべて無視し、侵入を図る……あまり賢い選択とは言えそうもない。
 まあ、見たところ子どもだから、そこまで考えが巡らなかっただけなのかもしれないけど。

 なんにしても、しょせんはどれも予想でしかないことだ。
 この子が目を覚ますまでは、はっきりしたことはまだなにも言えない。

 それまでは『オークと女騎士』の続きでも読んで、適当に暇を潰していよう。

「…………」

 普段なら掛け時計のわずかな秒針の音だけが響くところだが、屋敷の外を荒れ狂う嵐がそれをかき消している。
 どうやら今日の朝に外へ出た時よりも、さらに激しさが増しているようだ。
 こういう日は風で飛ばされてきたものが当たって窓が割れる危険があるが、あらかじめ魔法で固定、及び保護をしてあるので、その辺りは心配はない。

「……良い話だった」

 ぱたんっ、と『オークと女騎士』を閉じる。
 ぽつりとこぼれた感想はまぎれもない私の本心だ。

 いやぁ、本当に良い話だった……。
 一時はバッドエンドになるかとも危惧したものだが、ちゃんとハッピーエンドで終わってくれてよかった。
 それにしても、女騎士がまさか最後にあんな行動を取るとは……なんだか人類と魔物の関係の新たな可能性を見たような気がしたぜ。ふふふ。

 ……まあ、オークはさすがにどうかと思うが。
 ゴブリンもちょっと……。
 オーガも嫌だな。
 あとトロールも……うん。可能性なんてなかったんだ。
 でもスライムとは仲良くなれそうな気がする。私はまだ第二次スライム大作戦を諦めてないぞ。

「もうすぐお昼か」

 フィリアとシィナは、今頃なにをしているだろうか。
 フィリアには今日は魔法の訓練も勉強もしなくていいと言ってあるけど……。

 ……もしかして二人で仲良く遊んでたりするのかな?
 いや、うん。別にいいんだよ。ギスギスしているよりも、仲が良いに越したことはないし。
 でも、こう、なんというか……看病も兼ねてるからしかたないんだけど、私だけ除け者にされてる感が……。
 いや、混ざりたいとかじゃなくて。えっと…………ま、混ざりたいけど。混ざりたいんだけども、別の理由もあって。
 ……本当にあの二人、くっついたりしないよね?
 知らないうちに仲がものすごい進展してて、『実はもう付き合ってます』みたいな報告を受けたりしないよね?

 いや。いやいや。いやいやいや。いやいやいやいや。
 ありえないありえないありえない……いや、でも、私とくっつくよりはありえる気がする……。
 だって私なんて全然一途じゃなくて、フィリアとシィナの両方といちゃいちゃにゃんにゃんしたいとか平気で思ってるような浮気者のクズ野郎だ。
 こんなのに惚れるよりは、二人が惹かれ合う方がしっくりくる。

 フィリアなんて、いつだって私の役に立てることを探し続けていて、嫌な顔ひとつせず身の回りの世話をしてくれるような献身さがあって、放っておけばいつまでだって頑張り続けるような努力家で。
 私の言葉をまるで疑わず、なんの根拠もなくとも信じてくれるくらい素直で、純真無垢で。過去の辛い経験を理由に誰かに当たり散らしたりもせず、むしろ同じような経験がある誰かを救いたいと考えるような温かい心根の持ち主で。
 フィリアが隣で笑ってくれているだけで、毎日が鮮やかに色を変える。

 シィナなんて、きっと想像も絶するような過酷な人生を送ってきただろうに、その痛みや苦しみを決して誰にも見せない強さを持っている。
 彼女はずっと一人で生きてきた。だけどその強さは、たぶん弱さでもあって。
 おそらくは壮絶な過去によるものだろうが、シィナは少々心が病んでしまっている。《鮮血狂い》の二つ名の通り、必要以上に血しぶきを浴びながら魔物を惨殺する姿が良き例だろう。
 だけどそんなシィナでも、彼女自身が大切だと感じたものを傷つけることだけはしない。
 私と、きっと今はフィリアもその対象のはずだ。
 その不器用な弱さ(やさしさ)こそが、彼女の一番の魅力なんだ。

 ……う、うぅむ……考えれば考えるほど、やっぱり二人が結ばれた方がよっぽど幸せになれそうだな……。
 むしろ私いる?

「……覚悟だけはしておこう……」

 いつ付き合い始めた報告を受けても平静に対応できるよう、覚悟だけは……。
 かく、覚悟……覚悟、だけは……。

「…………ちょ、ちょっとだけ様子を見に行ってこようかな……」

 覚悟することと実際どうなっているかは話は別だ。別なのだ。
 覚悟が無駄になるなら、それに越したことはない……というか無駄になってほしい。

 こっそりフィリアとシィナの様子を見に行くために、私は、そうっと部屋の扉の前まで歩いていく。
 別に今、そうっとする必要はないと言われたらそうなのだが……あれだ。予行演習とかそんな感じなのだ。
 別に緊張してるわけではない。本当だ。

 ドアノブに手をかけて、それをひねる。
 その直後だった。その声が聞こえたのは。

「ぁ――――」

 少し離れた後ろの方から聞こえた、小さく呻くような声。
 フィリアでもシィナでも、もちろん私のものでもない。
 そもそもこの部屋には私と、あともう一人しかいないのだから、答えは考えずとも決まっていた。

 振り返ると、そこには私の予想通りの光景があった。
 私のベッドに横たわっていた件の少女がほんのわずかに瞼を開けて、ぼんやりと天井を見上げている。

「……気がついたかい?」

 廊下に出ることを中断して、声をかけながらベッドの方に戻った。
 初め、少女はただ音に反応しただけと言った具合に焦点の定まらない瞳を私の方に向けてきたが、少しずつそこに理性の光が灯っていく。
 そして数秒後、彼女は突如目を見開くと、弾かれたように起き上がった。

「だっ、誰っ?」

 壁を背に、かけられていた布団を盾のようにして、明らかに怯えた様子で私を見据えてくる。
 誰? という質問は私のセリフでもあるのだが、彼女の警戒を解すためにも先に名乗った方がよさそうだ。

「私はハロだ。ハロ・ハロリ・ハローハロリンネ。魔法使いさ」

 そう告げると、少女は訝しげな表情をする。

「はろ、はろり、はろー、はろ……なに、その変な名前。初めて聞いた」
「まあ、そうだね。へんてこだってことは自覚しているよ。なんというか、これは私に魔法を教えてくれた師匠がくれた名前でね……」

 ――名前? あー、ハロでいいんじゃない? 呼びやすいし。
 ――不満なの? なら、ハロ・ハロリ・ハローハロリンネね。
 ――ミドルネームもラストネームもあるんだから文句言わない。豪華でいいじゃん。

 思い返してみると、ほんとろくな名付け方されなかった……。

「……でもまあ、甚だ不本意ではあるけど、私にとっては一応大切な名前さ」
「…………ごめん、なさい」

 小さな声で、ぽつりと呟く。

「ん。気にしなくてもいいさ。変な名前だってことは本当だ」
「……」

 どうやら布団を握りしめる力を少し弱めるくらいには心をほぐすことに成功したようだ。
 要するに、まだ全然警戒されている。

 しかしなにやら、そこまで悪い子ではなさそうだ。