だけど、なかなか落ちないので恐る恐る目を開けて確認すると真顔の先生がいて、「釘本くん」と怒声ではなく穏やかな声を発した。先生が真顔なのはいつものことなのでそれ故に表情から感情を読み取ることが難しい。
「どっからどう見ても腰パンです。正直言って…… (わたし)は腰パンより普通に履いた方がかっこいいと思います」
 釘本くんは全然納得しておらず先生を睨みつけたが、私は先生と同じ感想を持った。かっこよくないし歩きづらそうだと思う。
「何も上げぱんしろと命令してるわけではないんですから……。ほら。今よりほんのちょっとでもいいから上げてください。腰パンしなくても充分イケメンなんですから」
「え!? 俺ってイケメン!?」
「はい。イケメンなので問題ありません」
「……そーっすね。俺、今日から腰パンやめます!」
 大声で宣言した釘本くんは宣言通り制服の黒ズボンを腰まで上げた。
「はい。偉いです」
 先生が僅かに微笑みながら釘本くんを褒めた。心なしか嬉しそうに見えて、蓮歌にまな板と揶揄されたことがあるぐらい小さな胸が大きく高鳴る。
 機嫌がいい時に見せる笑顔がぎこちなくて超怖い。私は馬鹿にするように笑いながらそう言ったクラスメイトを直ちに問い詰めたくなった。ぎこちない、は否定しないが恐怖は一ミリも感じない。
「じゃあもういいですよね?」
 釘本くんは髪を弄りながら早口で尋ねる。
 はい、と先生が頷くと釘本くんは背を向けて靴引きずるようにして気怠げに歩き始めた。
 私が無事に解決したと安心して先生に挨拶しようとしたその時、大袈裟なため息が聞こえた。
「……俺の貴重な時間を奪うな……クソハゲが……」
 ズボンを元の位置まで下げて再び腰パンにしながら陰口を呟く。
「駄目だよ」
 その四文字は口から自然と出た。けど、釘本くんは振り返らずにどんどん離れていく。
 声が聞こえなかったのだと理解した私は、頭の中で考える前に釘本くんの後を走って追いかけた。
「ねぇ待って!」
「えっ!? は、羽瀬川さん!?」
「ちょっと待って! 釘本くん!!」
 先生に慌てふためいた声で名前を呼ばれる。が、釘本くんに話しかけるので精一杯で返事をする余裕がなくてスルーした。
「釘本くん!!」
「は?」
 ようやく振り向いた釘本くんは眉を吊り上げていた。
「何だよ……。朝っぱらからうるせぇなぁ」
 その怖い表情と掠れ気味の怖い声に怯んで思わず何でもありませんと答えそうになったけど、
「……人の陰口を言ったら駄目だよ」
 何のために追いかけた? 先生が傷ついてるかもしれないのに逃げ出すのか? そう自分を奮い立たせてもう一度注意した。
「咄嗟に言っちゃったの? ……それとも注意されてムカついたから沖野先生を傷つけるために言ったの?」
 質問すると、釘本くんは「ははっ」と乾いた笑い声を上げた。
「傷つけようとしたに決まってるだろうが。俺はあのハゲが嫌いなんだ。いつも理不尽に怒鳴るし、授業終わんのいつも遅ぇし……。あれは完全にわざとだろ。俺たちの休み時間を減らそうとしてる」
「わざと遅く終わってるってこと? 先生はそんなことするような人じゃないよ。理不尽に怒鳴ったことなんか一度もないし私たちが無駄話したり課題提出してない時だけじゃん」
「説教がネチネチ長いだろ。あれもわざとだ。俺たちをイラつかせて楽しんでる」
「違う。先生は私たちのためを思って……、」
「ああもう、そういうのマジうぜぇから!!」
 釘本くんは苛立ちを露わに怒鳴ってガリガリと頭を掻いたが今度は怯まなかった。
「別にうざいと思われてもいいよ。とにかく先生に謝って」
 私がまっすぐ見詰めながら言うと釘本くんはすぐに目を逸らした。
「うるせぇな……。謝らない。俺は悪いことしてねぇから」
「先生は大人だからちょっとやそっとの陰口じゃ何も感じないと考えてるならそれは大間違いだよ。大人も子供も関係ない。傷つく時は傷つくんだよ。……私が子供の頃によく考えずに言い返した言葉。この前、『傷ついてた』って親に打ち明けられた。言ってしまった言葉は取り消せないから……謝ることしかできなかったけど。だから釘本くんも先生に謝った方がいいよ。自分が後悔しないためにも」
「俺には傷ついているようには見えないけどな。……見ろよ、羽瀬川。無表情だ」
 釘本くんが私の後方を指差してそう言うので振り返るといつの間にか先生が立っていた。顔を窺うと確かに無表情だが、