「ええっ!? 凄い! 謝ったんだ!!」
「ああ。廊下で偶然遭遇した時に『傷つきましたか?』っていきなり質問してくるから訳が分からず聞き返したら、『あの日、俺のハゲっていう陰口で先生が傷ついたんなら謝るから』って怒った顔で返された……。俺が傷ついたって正直に答えたらびっくりしたような顔した後に謝ってきたんだ」
「絶対謝んないと思ってたのに……」
「実は、真希に注意されて悪いことをしたって反省してたんだと」
「へぇ……」
 先生に対して反抗的な態度を取っていたことを思い出して信じられなくて戸惑ったけどそんなに悪い人じゃないのかもしれない。
「俺が貰ってもいいんだよな?」
 と、先生が私が両手に持っている紙袋を指差した。
「あっはい! どうぞどうぞ!!」
 私は慌てて先生に向かって差し出して、先生が受け取ったのを確認すると手を離した。
「本当にありがとな」
「はい、まずかったら遠慮なく捨てちゃっていいんで!」
「いや、大切に食べる」
 半分本気で言ったけど先生は生真面目な口調でそう答えて職員室のドアを開けた。その時に聞きそびれていた質問があることをはっと思い出す。
「美味しかったですか? 薫梨さんが作ってくれたチョコ」
「美味しかったよ」
 急に質問したのに先生は即答して嬉しそうに笑う。嬉しくてでも部屋に引きこもって泣きたくなるぐらい悲しくて曖昧に笑った。
「あっお返しは要りませんから!」
 ドアが閉まる直前に早口で言ったけど先生はああだとかうんだとかいう生返事を返してそのまま職員室の中に入っていった。絶対聞いてなかったなと確信する。
「うわっ……ロリコンじゃん」
 後方から声が聞こえて驚いて振り返るとショートカットの女子生徒が立っていた。緑色のネームとスリッパから二年生だと分かった。
「生徒からチョコ貰ってにやにやするとかマジキモいんだけど……。調子に乗んな。クソハゲ」
 無視できない陰口に心臓の音に急かされながら近づくと女子生徒は表情を強張らせて不審者を見るような目を向けてきた。そんなに警戒しなくても貴方より一つ年上だけど貴方より未熟な人間だよと心の中で話しかけながら「違うよ」と言う。
「ロリコン。マジキモい。クソハゲ。沖野先生はそんな人じゃないし全然調子に乗ってないよ」
「は?」
 女子生徒が変な奴に絡まれた最悪と思っていそうな顔をしたからこのまま走り去ろうかと思った。でも駄目だ。身長は約十㎝も負けてるけど言葉では負けるわけにも釘本くんの時と同じように逃げるわけにもいかない。大好きな人が抱かれている大きな誤解を解くんだ、私が。
「あのね、先生は私がチョコをあげたから笑ってたんじゃないよ」
「じゃあ何でにやにや笑ってたんですか?」
 それは、薫梨さんから貰ったチョコレートの味や形を思い出したから、でほぼ間違いないと思うけど、先生に彼女がいることを勝手に暴露していいはずがない。少し考えてから「別のことで笑ってたの」と答えて「だから」と間髪を入れずに話し続けた。
「先生はロリコンじゃない。三十歳下のピチピチ中学生の私が二回も告白したのに二回とも振ってる。先生は私のこと、好きじゃない」
 こんなこと言わせないでよ、と悲しみと少々の苛立ちを覚えながら後輩女子を見詰める。
「え……、ガチ告白?」
 すると、後輩女子が信じられないものを見るような目で見詰め返してきたからショックを受けたけど、「うんガチ告白」とそれを悟られないように真顔で答えた。
「で、キモいとクソハゲは許されない暴言だと思う。直ちに撤回して」
 幸せ一杯の今の先生が陰口を叩かれていたという事実を知ったら嫌な気持ちになるだろうと予想して謝罪は要求しなかった。
「……マジか。先輩、沖野のことが好きなんて頭おかしいですね」
 身体全体に大きな衝撃が走って、傷ついて心がヒリヒリと痛む。放心状態になっている私を放置して後輩女子は敵に勝利した直後のような清々しい表情で立ち去った。