先生はほっとしたように微笑み、「大丈夫か?」と尋ねる。
「だ……、大丈夫です。……ごめんなさい」
「何で謝るんだ? 何も悪いことしてないだろ」
「……ううん。汚い音、聞かせた」
「汚い音? 気にするな。俺も全然気にしてない。それよりも苦しそうだったから本当に心配した。謝る必要ないし……泣くなよ。真希が涙をぼろぼろこぼす光景は、トラウマなんだ」
 入学して間もないころ、国語のオリエンテーションで直接書き込まないと指示された漢字ドリル。その時はちゃんと聞いて理解していたけど極度の緊張によりいざ書く時になって忘れて直接書き込んでしまった。やがて生徒たちを見て回っていた先生が私の席の前で立ち止まって、
『書き込まないって言いましたよね?』
 見下ろしながら冷たい声でそう尋ねてきた。恐怖のあまり大泣きし始めた私に先生は『別に怒ってませんよ』と小声で否定した。でも真顔だからさらに怯えるに決まっている。
「トラウマ作ってごめんなさい」
 私が謝罪すると「いやこれも気にしなくていい」と頭を撫でられた。手は背中をさすっていた時と同じで優しくて熱かったけどすぐに離れる。
「言うんじゃなかった。あれは……、完全に俺が悪いから。トラウマになったのも自業自得だ」
 ううん、と私はかぶりを振った。
「忘れて書き込んだ私が悪い。あの時は凄く怖かったけど……先生は一番優しい人間だと思います」
 咳き込む前に伝えたかった言葉をようやく伝えることができた。でも先生は否定するように無言で首を横に振る。