「三年四組の羽瀬川真希です。沖野理詞先生に用事があります。入ってもいいですか?」
 羽瀬川真希、とフルネームを口にした時、椅子に座って黙々と作業をしていた先生はぴくりと反応してすぐにドア近くに立っている私に目を向けた。沖野理詞先生に用事が、と話している時には既に立ち上がっており、言い終わった時にちょうど私の目の前に到着した先生は、
「入らなくても結構です。私が出ますから。わざわざフルネームで呼ばなくても苗字だけで大丈夫ですよ。この学校に沖野は私一人しかいませんから」
 開口一番にそう言った。先生は私が緊張のあまりうっかりフルネームで呼んだと誤解している。そうではなくフルネーム呼びしたのはわざとなのに。普段ならキュンとするはずの控えめな微笑みが、腹を立てている今は馬鹿にされているように感じる。
「私が先生をフルネームで呼んだのにはちゃんと理由があるんですよ」
「へぇ、何ですか?」
 先生は興味なさそうな平坦な声で尋ねてきたので、私は先生を見上げて睨みつけながら「それは、」と話し出した。
「昨日の放課後に可愛い生徒が勇気を振り絞って告白したのにもかかわらず!」
 そこまで言った瞬間、先生が「ばっ!」とぎょっと目を剥いてものすごい勢いでドアを閉めた。
「……声が大きい」
「あれ、声が大きいって言う前に馬鹿って言いかけませんでしたか?」
 私が笑いながら背伸びして顔を覗き込むと先生は私がいる方とは反対側に顔を向けた。
「いや……、教師ともあろうものが馬鹿呼ばわりするはずがない」
 私が疑いの目で見ると、先生は少し屈んで顔を近づけてきて「絶対に」と断言した。先生はすぐに顔を離したけど既に騒ぎ始めている心臓はしばらく大人しくなってくれそうにない。
 多分、今しがたのタメ口は素の口調だ。昨日よりも明らかに動揺していることが分かって、また動揺させることができたことが嬉しくて思わず笑みがこぼれる。慌てて口元を引き締めて、先生に途中で遮られて中断した理由の説明を再開しようと思って口を開いた。