「昨日聞き忘れてしまったので今日聞きます。釘本くんはみんなに言いふらしていませんか?」
 怒鳴りつけるという予想に反して私にだけ聞こえるような声の大きさで尋ねられて戸惑って黙り込む。その間、先生は急かさずに静かに返答を待ってくれて、だから落ち着いて「大丈夫です」と返すことができた。
 大丈夫というのは本当で先生が宣言通り釘を刺してくれたお陰か、今のところ言いふらされずに済んでいる。もしかして心配してくれているのだろうか。幸せを感じながら教室を見回すと釘本くんは教室にいなかった。お手洗いに行ったのかもしれない。先生は釘本くんが教室を出たタイミングを見計らって質問してきた可能性が高いと推測しつつ先生に視線を戻す。
「そうですか……」
 先生が表情を緩めたので私は安堵して微笑んだが、
「羽瀬川さんに伝えたいことが一つあります」
 すぐに眉を寄せた怖い顔に戻る。何で、と心の中で突っ込んでいると先生が自分の顔を近づけてきた。すぐ左横に先生の顔ある。私は突然の出来事にパニックになって声すら出せずに口が半開きになる。
「……大人を揶揄うのはやめた方がいいですよ……」
 怒りを堪えているように聞こえる声と生温かい息を耳に直接入れられたその瞬間、頭からつま先まで痺れて魔法をかけられたかのように身体が動かなくなった。顔が離れて、地味な色の洋服が左横を慌てて通り過ぎていくのを視界の端で捉える。

 大人を揶揄うのはやめた方がいいですよ

 先生の言葉を頭の中で反芻したことでようやく魔法が解けて動けるようになった私は勢いよく立ち上がった。
「沖野先生!」
 教室を出てお父さんを連想させるような大きな背中を追いかける。高速早歩きは早歩きでは追いつけなくて、
「さっきの……、どういう意味ですか?」
 走ってようやく追いついて少し息を切らしながら問う。でも、先生は立ち止まらずに「言葉通りの意味ですよ」とそっけなく答える。
「言葉通りって……。私には理解できません。ちゃんと説明してください」
 説明を求めたけど先生は無言でどんどん進んでいく。
「ちょっと待ってください!!」
 学校では滅多に出さない大声で呼び止めてそのまま後を追おうとしたその時だ。
「ちょっとどうしたの!?」