「似合ってます」
「おお！」
「って答えるのが正解ですか？」
「えっ……？」
　鏡を見なくても今自分がとてつもなく間抜けな顔をしていることが分かった。
「正直、似合ってるか似合っていないか私には分かりません。それよりも温かいかどうかの方が重要だと思います」
　いいえ、と私は俯きながら首を横に振った。
「私にとってタイツを履いてる私を見て先生がどう思うかの方が重要なんです」
「それは……、どうしてですか？」
　そう訊いた先生は皆目見当がつかないという顔をしていた。分からないなら説明するしかない。
「やっぱり好きな人に似合ってるって思ってもらえるのが一番嬉しいじゃないですか。私、先生のことが好きなので先生に似合ってるって褒めてもらいたかったんです」
　そう思った瞬間に重りをつけて胸の奥底に沈めたはずの巨大なハートが重りごとぽーんと口から飛び出てきた。こんな形で気持ちを伝えたくなかった。告白したことを後悔して泣きそうになりながら席から立ち上がったら、がたんと大きな音が鳴った。心臓の音が鳴り響き始める中、何か言われる前に帰ろうと思って急いで生徒指導室から出る。
　ドアを閉めようと振り返ると、先生は席に着いたままで何が起こったのか分からないというような呆然とした表情で私を見上げている。
「あの……、」
　先生が言葉を発したその時、私は勢いよくドアを閉めた。ドア越しに椅子から立ち上がる音と革靴のコツコツという足音が徐々に大きくなり、「羽瀬川さん！」と大好きな声が聞こえた。は、と私は思わず返事をしかけたけど静かに口を閉じて、音を立てないように気をつけながらドアに寄りかかる。
「羽瀬川さん！！　……羽瀬川さん？　もしかして、もう帰ったんですか？」
　先生のこれほど不安そうな声を聞くのは初めてで申し訳なさで胸が潰れそうになり、まだここに居ることを伝えるために音を立てながら寄りかかった。
「あっ……。羽瀬川さん、ですか？」
　鉄製ドアは氷のように冷たくて冬の時期には触れるべきではなかったと後悔した。
「はい……。沖野先生」　
「……はい」
「今日はもう帰ります……。さようなら」
「帰る？」
　戸惑ったような声がしてしばらく経った後に「そういうことか」と呆れたような声が聞こえた。
「伝えるだけで訊かないということはつまり……。なるほど。理由や目的が分からなくて混乱していましたがようやく分かりました」
　独り言だろうか、と首を傾げていると「羽瀬川さん」と不意に名前を呼ばれてどきりとする。
「気をつけて帰ってくださいね。さようなら。また明日」
　私は返そうか迷った後に「また明日」と小声で言った。途方もなく寂しい。ドアを一枚挟んでいるだけでドアを開ければ先生がいるのに暗闇の中に独りぼっちでいるような気がする。つい先程の独り言を聞いた限り、変な風に誤解されているように思えてならない。また不安そうだった声はもう落ち着いているように聞こえた。それを悔しく思うのはもっと動揺して欲しかったからか。
　心がもやもやして立ち尽くしていた私は、十九時から学習塾に行かなければいけないことをはっと思い出してすぐさま教室に鞄を取りに行って下校した。