この気持ちを愛と呼ぶのであれば

 再び歓声と驚きの声があがる。
「なんと」
「初めて見たぞ」
「あれが、光の精霊?」

 どうやら、マリルが光の精霊と契約をしたらしい。
 ナイチェルルートならここで彼が彼女に労いの言葉をかけるはずだが。その彼はフェリッサの隣に寄り添っている。

「私も、初めて見たな」
「ナイチェル様もですか? 私もです」

 二人は仲良くそんな言葉を交わしている。そこにロランドが入り込むような隙は無い。

「インチキだ」
 突然、そんな怒声が飛んできた。確かあれは、魔導士団の誰かの息子だ。
「パトリック様でさえ、光の精霊とは契約できていないんだ。それを、こんな小娘が」
 どうやら、パトリック信者のようだ。彼よりも上の精霊と契約を交わした彼女が面白くないのだろう。

「やめないか、ジョニー。見苦しいぞ」
 低い声でそう制したのは、ロランドだった。彼がそう発したことに、フェリッサは驚いて目を見開いた。ナイチェルも口をポカンと開けて、事の顛末を見守っている。

「彼女は、ずっと努力をしていた。光の魔法を使えるからといって、それをおろそかにするようなことをしなかった。その結果が今ではないのか」

「ロランド様」
 か細い声で彼の名を呟いたのはマリルだが、その声すらもロランドには届いていない。

「彼女のような力の無い者が、このクラス一でやっていかねばならないという状況を考えたことはあるのか。権力等の後ろ盾の無い状況で、だ」
「ロランド、それくらいにしておけ」
 この場を収めるのは王太子であるナイチェルか、話題にあがったパトリックにしかできないだろうと思われていた。だが、声を発したのは赤髪のジュリアスだった。

「お前にそこまで言われたら、誰も何も言うことはできない」
 ジュリアスはロランドの肩に手を置いた。
「すまない」
 ロランドは落ち着きを取り戻したのか、ふっと息を吐いた。

「マリル嬢」
 彼女に声をかけたのはパトリック。
「光の精霊との契約、おめでとう。できれば、卒業後は魔導士団へ入団して欲しい」

 パトリックが差し出した右手に、マリルも自分の右手を重ねた。
 握手。

「はい。喜んで」

 まさかのパトリックルート解禁か。ロランドが険しい視線でそれを見つめていたことに、ジュリアスは気付く。

 精霊との契約の儀は終わった。さっさとその教室を立ち去ろうとするロランドにマリルが声をかけてきた。

「ロランド様。あの、先ほどはありがとうございました」

「礼を言われるようなことはしていない」

「いえ、ですが。ロランド様は私がずっと魔法の練習をしていたことを、認めてくださいました。それが、嬉しいのです」

「事実を口にしただけだ」

「それが私にとって嬉しいことであることを、ロランド様はお気付きになられていないのですね」
 ロランドが口にしたセリフ。それは、本来であればナイチェルが言うはずだった。彼はまるっとパクっただけにすぎない。そのナイチェルのセリフを。
 そしてマリルから返ってきたそれ。本来であればナイチェルに投げかけるべきそれだった。
 つまり、今、ロランドはナイチェルルートを攻略している、と思っていいのだろうか。

「ロランド。なんか、最近、おかしくないか?」
 そんな彼の様子に気付いたのだろうか。ジュリアスが声をかけてきた。

「そうか?」
 悟られないように、淡々と答える。感情というものを押し殺して。

「なんか、心ここに非ず、という感じがするのだが」

「気のせいだろ?」
 ロランドは笑った。だが、フェリッサの未来を考えると、こうしてはいられないという焦りが生まれてくる。
 そして、今、自分がとっている行動は正しい道なのか、ということも。

「ほら、次。マリル嬢の番だ」

 今は攻撃魔法の授業の時間だ。先日、契約した精霊たちを自由に使いこなすための授業。

「光属性の攻撃ってどうやるんだろうな。興味はあるな」

 そう。光魔法は攻撃魔法ではない。

「あの、ロランド様」
 なぜかマリルはロランドを名指しした。
「その、手伝っていただいてもよろしいでしょうか」

 はあ、俺? という意味を込めて、ロランドは右手の人差し指で自分を指した。それにマリルは頷いた。
 光の魔法単独では攻撃をしかけることができない。それについては誰もが知っていることであるため、誰かの力を借りることになっていた。その誰かにと指名されたのがロランド。

「パトリックでなくていいのか?」

 自分なら間違いなくパトリックを選ぶ。

「はい。ロランド様の風の魔法が良いのです」
 多分、相性が良いはず、とマリルは続けたのだが、その言葉はロランドの耳には届いてはいない。

「もし、失敗しても俺を恨むなよ」
 鼻の先で一笑すると、ロランドは風の精霊を呼び出し、小さな竜巻を起こした。さらにマリルが光の精霊を呼び出し、その竜巻の力を増幅させる。

 バシン、と、的を綺麗に真っ二つにした。縦に真っ二つに。

「なるほど、光の魔法は攻撃魔法の力を増幅させるのか」
 パトリックが頷き、感心している。さらに口の中で何かもごもごと呟いている。恐らく、今の光魔法について考察をしているのだろう。だが、ロランドには彼が何を言っているのかはわからない。

「あの、ロランド様。ありがとうございました」

 マリルはペコリと頭を下げた。ロランドはふっと鼻で笑い。
「いや、こちらこそ。貴重な体験ができた」

「マリル嬢」
 魔法バカのパトリック。
「私の魔法にもその光魔法をかけてもらえないだろうか」

 他の生徒がざわざわとどよめく中、マリルは断れない様子だった。さらに教師からも「試してみなさい」と言われたのであれば、どうして断ることなどできるだろう。
 パトリックは間違いなくこの状況を楽しんでいる。楽しんでいるがために、水属性の上位魔法である氷の魔法を使い始めた。
 そこにマリルが光魔法を放つ。
 それはロランドにさえ、気付いたこと。二つの力は反発している。

「マリル」
 彼女の名を呼ぶと同時に、ロランドの身体は勝手に動いた。
 彼女に襲い掛かろうとする氷の粒たち。光魔法を放ったばかりの彼女にはそれを避けるだけの余力は無い。
 ロランドは彼女の背と頭に腕を回すと、彼女の全てを守るかのように自分の身体で包み込んだ。そのロランドの背に容赦なく襲い掛かる氷の粒。

 すっとナイチェルが動いた。
 水の対である火の魔法を使う。氷は火によって水になり、ロランドを襲うのをやめた。

 ロランドの腕の中のマリルは震えている。
「ロランド様」
 また鳥が鳴くような声で、彼の名を呼んだ。

「マリル嬢、怪我はないか?」
 頷くマリル。

「そうか、それは良かった」
 そこでロランドは彼女を解放した。

 その後、ロランドはフェリッサに引きずられるようにして救護室へと連れていかれた。というのも。
「これくらい、大したことない」
 とロランドが騒いだため。

 そしてこれは、パトリックルートのイベントだ。
 光の精霊と契約をしたマリルは、それ以降、クラス一の生徒とも話をすることが増えた。ロランドは必要なときには彼女と話はするが、特段、用事が無ければ彼の方から声をかけることはなかった。
 スクールカーストという言葉が昔の記憶にあるが、このゲームの世界にその言葉は存在していない。だけど、そういった言葉がないだけで、このクラスにもそれは存在しているのだろうと思っていた。
 このカーストのトップにいるのはもちろんナイチェルとフェリッサの二人。この二人は別格だ。次が攻略対象者の残り三人とそしてロランド。続いて、親が騎士団だったり魔導士団だったりする、それらの子。そして底辺は、商売をやっている子や庶民あがりの子。つまりのところ、四段階。クラス一は成績上位者だから、親もそれなりの人が多いのだが、数年の学園生活の中において、努力でこのクラスに入ってくる者だっている。それが、最下層。

 もちろんマリルは最下層に所属している。その彼女が光の精霊と契約をした、となれば彼女よりも上位に所属する者たちは面白くないらしい。
 マリルに突きつける冷たい視線の持ち主は、あの魔導士団の誰かの息子であるジョニーを中心としたメンバーたち。それくらいなら、かわいいものだ。
 視線だけで人を傷つけることはできないから。それを無視する心さえ持っていればよい。

 徐々に、その行為が目に余るようになってきた。あからさまな肉体的な攻撃。あれは不思議なもので、仕掛けている側は誰にも気づかれないようにやっていると思っているらしい。
 だけどロランドは知っていた。
 ジョニーが彼女とすれ違うものならば、わざと肩をぶつけたり、わざと背中を押したり。まるで幼稚園児のいたずらなようなもの。それでも彼女は気付かない振りをしていたし、彼女が気付かない振りをしているのであれば、わざわざロランドが口を出す必要も無いと思っていた。
 ある日の昼休み。
 ロランドはジュリアスと並んで歩いていた。昼食を終え、次の授業のために建物を移動しているところだった。天気も良いから散歩も兼ねて。
 風は穏やかに吹いていて、空は透き通るような青さである。この空はフェリッサを思う心に似ているかもしれない、とロランドは少し感傷に浸っていた。
 触りたいのに触れることができない。届きそうだと思って手を伸ばしても、届くことの無い青い空。
 だから、そうやって少し空を見上げながら歩いていたから気付いたのだ。
 二階の窓が少し光に反射していることに。何だろう、と目を凝らしてみると少し不自然なところがある。隣のジュリアスもその不自然さに気付いたらしい。
 あまりにも不自然であるため、視線をそれらの下や横にも向けてみた。向こう側からマリルが歩いてきている。大事そうに本を抱えているのは、恐らく図書室から本を借りたからだろう。どうしても読みたい本があったから、取り寄せてもらうことをお願いした、と、そんなことを言っていたような気がする。

 不自然は、さらに不自然になった。
「おい」
 思わず口を開いたのはジュリアス。恐らく、ロランドに何かを伝えたかったのだろう。
 なぜなら、その光が重力に負けて落ちてくるのだから。

 もしかしてこれは――?

 ロランドの脳が活発に動いた。瞬間的に何が起こるかを予測して、それの解決方法を導き出した。今から彼女の元にまで走っても間に合わない。ここで今できることを考える。

 ガシャン。
 マリルは驚いて後ろを振り返った。先ほどまで自分が歩いていた場所に、植木鉢が落ちている。その落ちた先である二階を見上げると、人影が見えた。だがそれが誰であるかまではわからなかった。

「マリル嬢、怪我はないか」
 マリルには、ちょうど真ん前からこちらに向かって走ってくるロランドの姿が見えた。その少し後方にいるのは、あのジュリアス。
「あ、はい」

 上から植木鉢が落ちてきたことにも驚いたが、彼が息を切らせながらこちらに向かって走ってきていることも驚いた。

「すまない。間に合わなかったから、それの軌道を変えることしかできなかった」

「え、と」
 とマリルが何かを言おうとしたところ、ロランドは彼女の背に手を伸ばた。そして、ぐっと抱きしめる。

「怖い思いをさせてすまなかった」

「ロランド様。あの、私はなんともありませんので。その、大丈夫です」

「ああ、すまない。つい」

 つい、ってどういう意味だろうと、マリルは心の中で考える。

「おい、ロランド」
 遅れてジュリアスが来た。

「今のは何だ? あきらかに――」
 とジュリアスがそこまでいいかけたとき、シッとロランドが制した。
 マリルが怯えるから、ということだろう。
「後で」とジュリアスにだけ聞こえるようにロランドは言う。

 そしてこれは、ジュリアスルートのイベントだ。
☆~~☆~~☆~~☆

「婚約者、ですか?」
 珍しく父親と一緒に夕食をとっていると、唐突にそんなことを言われた。だから今日は帰って来るのが早かったのか、と思った。

「ああ、お前もいい年だし。そろそろ婚約者を決めてはどうだろうか」

「そうですね。ですが、父さんの立場を考えると文官の関係者である人間がいいのではないでしょうか」

 ロランドが言うと、父親は唇の端をあげた。
「お前のその頭の回転の速さには、参るな」
 ほんのりと苦笑を浮かべている。
「いくつか身上書がある。それに目を通しておいてくれ」

「でしたら、まずは文官の家柄にだけ絞ってください。そこから選びますから」

「まあまあ。見るだけは自由だ。そう言わず、目を通してくれ」

「時間の無駄です」

「その合理的な考え方は嫌いではない。だが、人の気持ちというのは大事にしたいと思う」

 父親のその言葉は、ロランドの心の奥底に仕舞い込んだ気持ちをグサリと刺した。
 大事にしたいと言われても、どうしようもない気持ちというものがあるじゃないか。フェリッサと結婚したいと言ったら、認めてくれるのか。

 飲み込んだ肉が喉に詰まりそうになりながら、通り抜けていく。隠していたフェリッサへの気持ちが、胸の底から湧き出してきたからだろうか。無理やり肉を飲み込みながら、その気持ちも飲み込んだ。