どうやら悠に牛乳を飲ませる際にリビングに立ち寄ったらしい。
そんなに思いつめた顔をしていたのだろうか。私は慌てて居住まいを正し、ぎこちない笑みを浮かべた。
「いえ、あの、たいしたことじゃないんです。赤ちゃんは順調に育っているそうです。ほら、ここに木の葉みたいなラインがあるでしょう? やっぱり女の子ですって」
指差したエコー写真に目をやった柊夜さんは、静かに私の隣に腰を下ろした。
手にしていたマグカップを、ことりとテーブルに置く。
真紅の双眸は私の顔を見つめていた。
柊夜さんは長い腕を回して肩を抱く。互いの体が密着して、風呂上がりの熱い体温が伝わった。
大きなてのひらが、写真を持った私の手を覆う。
「赤子のことで、なにか気になるのか? 赤子への責任はきみだけでなく、父親である俺にもある。たいしたことでなくてもかまわないから、話してほしい。きみが思い悩んでいる姿を目にするだけで、心が苦しいんだ」
苦しげに吐かれた柊夜さんの言葉に、私はひとりで抱えようとしていたことに気づく。
ふたりの子どもなのだから、柊夜さんに相談するのは当然だった。悩みすぎて、そんな当たり前のことすら忘れていた。
たとえ小さなことでも、彼なら受け止めてくれる。
私は勇気を出して口にした。
「……胎動が、ないんです。妊娠六か月には、ほとんどの妊婦さんは胎動を感じるはずなんですけど……」
「ふむ。医師は順調だと言っているんだな?」
「はい。先生は、もうすぐ胎動が訪れるとおっしゃっていました」
「それなら心配することはないだろう。焦らなくていい」
「でも……待っていると長くて、もしも手足が動かせない子だったらどうしようとか、いろいろ考えて不安になってしまうんです」
子どもが健康であることを願うゆえの心配なのだけれど、初胎動がないと安心が遠すぎて、不安が増幅されてしまう。
うつむいていると、柊夜さんは大きなてのひらで私の肩を撫でさすった。
「子どもの、名前を決めようか」
「……え?」
突然の提案に目を瞬かせる。
顔を上げた私の瞼に、柊夜さんは柔らかなくちづけを落とした。まるで不安を拭い去るような優しい温かみが、安堵をもたらす。
「子どもが無事に生まれてくることを、あかりが信じられるように、名前を決めておこう。そうすれば赤子をひとりの人間として認められるのではないか」
柊夜さんに指摘されて、愕然とした。
私は、赤ちゃんを信じていなかったんだ……。
悠のときは予期せぬ懐妊や引っ越しで目まぐるしい事態だったこともあり、どんな子が生まれるのかまで考える余裕があまりなかった。けれど今回は、すべての責任が親にあるという重圧を知ったゆえに、私は重荷に感じていた。
「柊夜さん……ごめんなさい。私はあなたの妻なのに、柊夜さんとの赤ちゃんを信じられませんでした。夜叉の花嫁、失格ですよね……」
「謝ることはない。妊娠中は不安になることも多いだろう。だが信じる信じないにかかわらず、きみは永劫に夜叉の花嫁だ。孕ませた俺の子は産んでもらうぞ」
傲岸な台詞を吐いた柊夜さんは、やや強引に唇を重ね合わせる。
「んっ……」
彼の熱に応え、欲を孕んだ唇と舌を受け止めた。
妊娠中なので柊夜さんは私の体を求めてはこないけれど、こうしてキスを交わしたり、手を握って体の一部を触れさせることは毎日ある。それだけで、旦那さまとつながっている安心を感じられた。
ややあって、柊夜さんは貪った唇を解放する。
輝く宝石のような真紅の双眸に見据えられ、どきりと胸が弾む。
「あかりはどうしたいのか、聞かせてくれ。まだ決まっていない未来の予測より、きみの気持ちを知りたい」
「……この子を無事に産みたいです。柊夜さんの言う通り、赤ちゃんの名前を決めたら、私の気持ちも凜と保てるような気がします。柊夜さんはどんな名前がいいですか?」
柊夜さんの気遣いが、ありがたかった。
私は不安になりたいわけではなく、彼との子を無事に産みたいだけなのだ。そんな当たり前のことを見失いかけていた。それを柊夜さんが優しく導いてくれたことに、心が温まる。
ふいに柊夜さんは、瞳を煌めかせた。
「それだ! 『凜』はどうだろう。まさしく、気持ちを凜と保つという意味を込められる」
ふと口にした言葉なのだけれど、柊夜さんが拾い上げてくれたことで『凜』が運命的な輝きを持つ。
「いいですね。――鬼山凜。とても綺麗な名前です」
そんなに思いつめた顔をしていたのだろうか。私は慌てて居住まいを正し、ぎこちない笑みを浮かべた。
「いえ、あの、たいしたことじゃないんです。赤ちゃんは順調に育っているそうです。ほら、ここに木の葉みたいなラインがあるでしょう? やっぱり女の子ですって」
指差したエコー写真に目をやった柊夜さんは、静かに私の隣に腰を下ろした。
手にしていたマグカップを、ことりとテーブルに置く。
真紅の双眸は私の顔を見つめていた。
柊夜さんは長い腕を回して肩を抱く。互いの体が密着して、風呂上がりの熱い体温が伝わった。
大きなてのひらが、写真を持った私の手を覆う。
「赤子のことで、なにか気になるのか? 赤子への責任はきみだけでなく、父親である俺にもある。たいしたことでなくてもかまわないから、話してほしい。きみが思い悩んでいる姿を目にするだけで、心が苦しいんだ」
苦しげに吐かれた柊夜さんの言葉に、私はひとりで抱えようとしていたことに気づく。
ふたりの子どもなのだから、柊夜さんに相談するのは当然だった。悩みすぎて、そんな当たり前のことすら忘れていた。
たとえ小さなことでも、彼なら受け止めてくれる。
私は勇気を出して口にした。
「……胎動が、ないんです。妊娠六か月には、ほとんどの妊婦さんは胎動を感じるはずなんですけど……」
「ふむ。医師は順調だと言っているんだな?」
「はい。先生は、もうすぐ胎動が訪れるとおっしゃっていました」
「それなら心配することはないだろう。焦らなくていい」
「でも……待っていると長くて、もしも手足が動かせない子だったらどうしようとか、いろいろ考えて不安になってしまうんです」
子どもが健康であることを願うゆえの心配なのだけれど、初胎動がないと安心が遠すぎて、不安が増幅されてしまう。
うつむいていると、柊夜さんは大きなてのひらで私の肩を撫でさすった。
「子どもの、名前を決めようか」
「……え?」
突然の提案に目を瞬かせる。
顔を上げた私の瞼に、柊夜さんは柔らかなくちづけを落とした。まるで不安を拭い去るような優しい温かみが、安堵をもたらす。
「子どもが無事に生まれてくることを、あかりが信じられるように、名前を決めておこう。そうすれば赤子をひとりの人間として認められるのではないか」
柊夜さんに指摘されて、愕然とした。
私は、赤ちゃんを信じていなかったんだ……。
悠のときは予期せぬ懐妊や引っ越しで目まぐるしい事態だったこともあり、どんな子が生まれるのかまで考える余裕があまりなかった。けれど今回は、すべての責任が親にあるという重圧を知ったゆえに、私は重荷に感じていた。
「柊夜さん……ごめんなさい。私はあなたの妻なのに、柊夜さんとの赤ちゃんを信じられませんでした。夜叉の花嫁、失格ですよね……」
「謝ることはない。妊娠中は不安になることも多いだろう。だが信じる信じないにかかわらず、きみは永劫に夜叉の花嫁だ。孕ませた俺の子は産んでもらうぞ」
傲岸な台詞を吐いた柊夜さんは、やや強引に唇を重ね合わせる。
「んっ……」
彼の熱に応え、欲を孕んだ唇と舌を受け止めた。
妊娠中なので柊夜さんは私の体を求めてはこないけれど、こうしてキスを交わしたり、手を握って体の一部を触れさせることは毎日ある。それだけで、旦那さまとつながっている安心を感じられた。
ややあって、柊夜さんは貪った唇を解放する。
輝く宝石のような真紅の双眸に見据えられ、どきりと胸が弾む。
「あかりはどうしたいのか、聞かせてくれ。まだ決まっていない未来の予測より、きみの気持ちを知りたい」
「……この子を無事に産みたいです。柊夜さんの言う通り、赤ちゃんの名前を決めたら、私の気持ちも凜と保てるような気がします。柊夜さんはどんな名前がいいですか?」
柊夜さんの気遣いが、ありがたかった。
私は不安になりたいわけではなく、彼との子を無事に産みたいだけなのだ。そんな当たり前のことを見失いかけていた。それを柊夜さんが優しく導いてくれたことに、心が温まる。
ふいに柊夜さんは、瞳を煌めかせた。
「それだ! 『凜』はどうだろう。まさしく、気持ちを凜と保つという意味を込められる」
ふと口にした言葉なのだけれど、柊夜さんが拾い上げてくれたことで『凜』が運命的な輝きを持つ。
「いいですね。――鬼山凜。とても綺麗な名前です」