呼びかけると、奥のほうから人の気配がしたので、書棚を通り抜けてそちらへ向かう。
 すると、梯子に絡みつくように腰を下ろしている金髪の少年を見つけた。
 彼は帝釈天だ。久しぶりに会ったが、神世の主は年月が経過してもまったく姿が変わらず、麗しい美貌を誇っている。
 だが、今は年相応の少年のように、憮然として唇を尖らせていた。
 長い梯子を見上げると、遥か上の書棚を漁っている兄の姿が見える。
 帝釈天は梯子の上の兄に呼びかけた。
「悠よ。いつまで我は梯子を支えておればよいのだ。神世の主たる我に梯子を支えろなどと命じるのは、そなたくらいのものだ。そなたは幽閉されている身でありながら……」
「もう下りるよ! 神世の主が梯子と一体化したなんて伝説が残ったら、笑い話になるからね」
 するすると梯子を下りてきた兄は、一冊の古びた書物を手にしている。彼の肩にとまったコマが私を見て「ピピッ」と鳴いた。
 兄は私を目にすると、人好きのする笑みを見せる。
「やあ、凜。僕からの手紙、読んでくれたよね」
「読んだわ。兄さんが幽閉されているというから迎えに来たのよ。そのわりには随分と自由そうだけど……どういうことなの?」
「幽閉だなんて大げさだな。調べたいことがあったから、ここに籠もってるだけさ。でも帝釈天のプライドがあるから、建前として幽閉ということにしてるんだよ。――僕と親友なのは秘密だろう?」
 そう問いかけられた帝釈天は美しい顔をゆがめている。
 私と違い、気さくな兄は誰とでも友人になれるという特技を持っている。それは神世の主にも通用するようだ。
「そなたたち! 我の髪をほどかぬか。梯子に絡まってしまったではないか」
「はいはい。怒るなよ」
 笑いながら金の髪をほどく兄とともに、私も絹糸のような帝釈天の髪に触れる。
 すっかり長い髪がほどけると、傲岸な支配者は両手を掲げる。その腕は真っ白で、折れそうなほどに細い。
「我の手を取るのだ。永劫の時が経ったので根が張った」
 兄と私は手を貸して、帝釈天を立ち上がらせる。
「そんなに時間は経ってないと思うけどな」
「正直に言いなさいよ。足が痺れたんでしょう?」
 柳眉をひそめる帝釈天は沈黙していたが、足がふらついていた。彼は椅子に寝そべってばかりいるので、運動不足と思われる。
 ひとまず庫内にある長椅子に腰を下ろさせる。帝釈天の左右を挟んで、兄と私も腰かけた。
 座ってから気づいたが、神世の主と同じ椅子に腰かけるなんて不敬だろう。
 だが帝釈天はなにも言わず、兄も平然としている。ふたりはいつもこうして並んで座り、語り合っているのだと思われた。本当に友人のようだ。
 兄は小脇に抱えていた古い書物を取り出し、ぱらぱらと捲る。
「僕たちのおばあちゃんの死因について調べていたんだ。事故だとされていたけど、そうじゃない。この記録によると、兵士に追跡された際に洞窟内で雷に撃たれたとある。でも洞窟に落雷があるわけないから、その時点で矛盾しているだろう?」
 それを聞いた神世の主は虚を突かれたように、翡翠色の目を瞬かせた。
 兄は興味深げに書物を捲りつつ、淡々と言葉を継ぐ。
「帝釈天が、御嶽の妻を処分しろと兵士を差し向けたわけだよね?」
「……我は知らぬ」
「僕の古い記憶と父さんの証言を統合すると、おばあちゃんが持っていたお守りからこぼれた珠から電撃が発して、彼女を死に至らしめたらしい。恐らく帝釈天の電撃を込めた珠を、お守りにこっそり入れたんじゃないかと僕は推察している」
 電撃を落とすのは帝釈天の持つ能力である。
 ということは、祖母が死んだのは事故ではなく、帝釈天が仕組んだことだったのか。
 歯噛みした帝釈天は、声を絞り出した。
「……あの頃の我は、人間の女が神世を滅ぼすと思っていた。だが御嶽の存在を考慮すると、表立って追放はできぬ。ゆえに御嶽を城内に留め、あの女に珠を渡して帰させた。――そなたらは信じぬだろうが、我は殺害を意図したわけではない。珠から電撃が発せられたのは偶然だ! あの女の運がよければ、珠は弾けなかったかもしれぬ。我はそれを試したまでだ」
 すべてを吐き出した彼は、ひどく憔悴したように背を丸める。兄は華奢な背中に、ぽんと手を添えた。
「打ち明けてくれて、ありがとう。僕は真犯人を見つけ出して罪を償わせたいわけじゃない。真実を知りたかっただけなんだ」
「そうね……。私も、正直に話してくれた帝釈天を許したいわ」
 祖母の死は、限りなく故意に近い事故であったというのが真相だった。
 私が子どもの頃の帝釈天は今よりもっと苛烈で、近寄りがたいオーラを発していたが、兄の影響なのか丸くなった。おそらく事故が起こった当時は、現役の夜叉だった祖父との諍いも熾烈を極めていたのではないだろうか。