なんと燕尾服を着用していた。ぴしりと純白の燕尾服を着こなしている春馬は本物の王子様のごとく凜然と輝いている。とても美麗な姿なのだけれど、朝陽の中ではひどく不釣り合いである。
「……今から夜会が始まるのかしら」
「夜会ではない。デートだろう」
「そうよね。ちょっと、こっちに来てくれる?」
彼の腕を引いて、箪笥の並べられた主人の着替えの部屋へ向かう。
街を歩くので燕尾服では目立ちすぎるという説明をたっぷりした私は、簡素なシャツとジーンズに着替えさせた。
不服そうな春馬は袖のボタンを留める。
「この服でよいのか? デートなのだから、正装で挑むべきと思うのだが」
「正装の感覚が違うのよね……。今日は普段着でいいから」
きっちり撫でつけられた亜麻色の髪を、顎を上げた春馬は大きなてのひらで軽く崩す。額に落ちかかる髪の一房に色気を感じて、どきりとした。
「では、向かうとしよう。まずは映画だ」
まるでこれから合戦に赴くのかと思うほどの闘志を碧色の双眸に燃え立たせている。
とてつもない気合の入れようだ。
ひとまず服装はよしとしたので、微妙な笑みを浮かべた私は春馬とともに屋敷を出た。
屋敷専属の運転手により、車で移動した私たちは映画館へやってきた。
春馬はまるでお姫様を扱うように、恭しく私の手を取って車から降ろす。仰々しい仕草と、春馬のモデルみたいに目立つ外見が目を引いてしまい、高級車の周りにはちょっとした人垣ができてしまった。
これで燕尾服だったなら、映画の撮影と思われそうだ。見物人から私を守るように腕でかばった春馬は、射殺すかのような鋭い眼差しを観衆に向ける。
「見世物ではないぞ。散れ」
「ちょっと。その言い方はやめてくれる?」
低音で発せられた古風な台詞に、顔を背けた見物人はいっせいに散開した。
先が思いやられる。
「凜に言ったのではない。不躾な輩どもに命じたのだ」
「わかってるわよ……。街の人たちは春馬の正体を知らないんだから、傲慢な言動は控えてね。みんながあなたを敬って平伏するわけじゃないのよ」
「そんなことは承知している」
冷静に言うので本当にわかっているのかとも思うが、微苦笑で返す。
姫を誘う騎士のように、つないだ手を掲げられて堂々と入館する。
私たちが通るとなぜか人波が割れた。春馬の放つ鬼神のオーラが凄まじいらしい。
やはりというべきか、春馬は映画館のシステムについてまったくわかっておらず、受付を通さずに奥へ進もうとしたので慌てて止める。
ふたり分のチケットを購入した私は、入場口でもぎられた半券のひとつを春馬に手渡す。
彼は天井の照明にチケットを掲げ、透かして見ていた。
腕を上げて真摯な眼差しを注ぐ姿は、稀少な宝石を吟味する蒐集家のごとく華麗なのだが、手にしているのは紙の半券である。
「席の番号が書いてあるのよ。指定席だから」
「なるほど」
なるほどと言いつつ、じっくり眺めているので、暗号が隠されているだとか考えているのかもしれない。私は春馬を席へ導いた。もちろん私と隣同士の座席である。
腰を下ろした春馬は前を見据えたまま、石像のように動かなくなった。まだ上映は始まっていないので、スクリーンにはなにも映っていないのだが。
彼の金色の睫毛が瞬きをしているのを確認して、ひと息つく。
ややあって映画の上映が始まったので、私も座席に落ち着く。
ところが本編が始まると、あっと声をあげてしまった。
「どうした、凜」
「う、ううん……なんでもない」
選択したのはホラー映画だったのだ。急いで購入したので、映画のジャンルをよく確認していなかった。
私はホラーが苦手だ。スクリーンには、霧の立ち込める夜の風景が映し出されている。さっそく、なにかが起こりそうな雰囲気だ。
固唾を呑んでいると、やがて最初の犠牲者の悲鳴があがり、血飛沫が散った。
「ひっ」
ぎゅっと目を閉じる。そこからもうスクリーンを直視できなくなる。
次々に起こる惨劇を平然として鑑賞していた春馬は、小刻みに震える私に声をかけた。
「凜。あの男の武器だが、刃がついていないぞ」
「……そう」
「武器を振り上げる角度が甘い。あの技量では人間どころか、石すら割れまい」
「……ふうん」
「……今から夜会が始まるのかしら」
「夜会ではない。デートだろう」
「そうよね。ちょっと、こっちに来てくれる?」
彼の腕を引いて、箪笥の並べられた主人の着替えの部屋へ向かう。
街を歩くので燕尾服では目立ちすぎるという説明をたっぷりした私は、簡素なシャツとジーンズに着替えさせた。
不服そうな春馬は袖のボタンを留める。
「この服でよいのか? デートなのだから、正装で挑むべきと思うのだが」
「正装の感覚が違うのよね……。今日は普段着でいいから」
きっちり撫でつけられた亜麻色の髪を、顎を上げた春馬は大きなてのひらで軽く崩す。額に落ちかかる髪の一房に色気を感じて、どきりとした。
「では、向かうとしよう。まずは映画だ」
まるでこれから合戦に赴くのかと思うほどの闘志を碧色の双眸に燃え立たせている。
とてつもない気合の入れようだ。
ひとまず服装はよしとしたので、微妙な笑みを浮かべた私は春馬とともに屋敷を出た。
屋敷専属の運転手により、車で移動した私たちは映画館へやってきた。
春馬はまるでお姫様を扱うように、恭しく私の手を取って車から降ろす。仰々しい仕草と、春馬のモデルみたいに目立つ外見が目を引いてしまい、高級車の周りにはちょっとした人垣ができてしまった。
これで燕尾服だったなら、映画の撮影と思われそうだ。見物人から私を守るように腕でかばった春馬は、射殺すかのような鋭い眼差しを観衆に向ける。
「見世物ではないぞ。散れ」
「ちょっと。その言い方はやめてくれる?」
低音で発せられた古風な台詞に、顔を背けた見物人はいっせいに散開した。
先が思いやられる。
「凜に言ったのではない。不躾な輩どもに命じたのだ」
「わかってるわよ……。街の人たちは春馬の正体を知らないんだから、傲慢な言動は控えてね。みんながあなたを敬って平伏するわけじゃないのよ」
「そんなことは承知している」
冷静に言うので本当にわかっているのかとも思うが、微苦笑で返す。
姫を誘う騎士のように、つないだ手を掲げられて堂々と入館する。
私たちが通るとなぜか人波が割れた。春馬の放つ鬼神のオーラが凄まじいらしい。
やはりというべきか、春馬は映画館のシステムについてまったくわかっておらず、受付を通さずに奥へ進もうとしたので慌てて止める。
ふたり分のチケットを購入した私は、入場口でもぎられた半券のひとつを春馬に手渡す。
彼は天井の照明にチケットを掲げ、透かして見ていた。
腕を上げて真摯な眼差しを注ぐ姿は、稀少な宝石を吟味する蒐集家のごとく華麗なのだが、手にしているのは紙の半券である。
「席の番号が書いてあるのよ。指定席だから」
「なるほど」
なるほどと言いつつ、じっくり眺めているので、暗号が隠されているだとか考えているのかもしれない。私は春馬を席へ導いた。もちろん私と隣同士の座席である。
腰を下ろした春馬は前を見据えたまま、石像のように動かなくなった。まだ上映は始まっていないので、スクリーンにはなにも映っていないのだが。
彼の金色の睫毛が瞬きをしているのを確認して、ひと息つく。
ややあって映画の上映が始まったので、私も座席に落ち着く。
ところが本編が始まると、あっと声をあげてしまった。
「どうした、凜」
「う、ううん……なんでもない」
選択したのはホラー映画だったのだ。急いで購入したので、映画のジャンルをよく確認していなかった。
私はホラーが苦手だ。スクリーンには、霧の立ち込める夜の風景が映し出されている。さっそく、なにかが起こりそうな雰囲気だ。
固唾を呑んでいると、やがて最初の犠牲者の悲鳴があがり、血飛沫が散った。
「ひっ」
ぎゅっと目を閉じる。そこからもうスクリーンを直視できなくなる。
次々に起こる惨劇を平然として鑑賞していた春馬は、小刻みに震える私に声をかけた。
「凜。あの男の武器だが、刃がついていないぞ」
「……そう」
「武器を振り上げる角度が甘い。あの技量では人間どころか、石すら割れまい」
「……ふうん」