柊夜さんは怪訝そうに空に目をやると、眉をひそめた。
「留守中に、なにかあったか? 神世の気配が変わったな」
「鬼神さまがたに、動きがあったようでございます。各居城のざわめきを察知いたしました」
風天が慇懃な仕草で礼をすると、雷地も頭を下げて報告する。
「帝釈天さまの使いで、先ほどマダラが参りました。夜叉さまと花嫁さまは至急、善見城においでくださいとのことです」
「向こうから招待されるなら話は早い。……だが、なにやら不穏なものを感じるな」
帝釈天のしもべであるコウモリのマダラに、翻弄された一件を思い出す。今回の呼び出しと、神世に漂う不穏な気配とは関連があるのだろうか。
「帝釈天の用事は、御嶽さまと協定を結んだ政略結婚についてですよね。詳しい話をしないわけにはいかないです」
「うむ。万全の準備をして向かおう。――悠とコマは、城で待っているんだ」
離れるのも心配だけれど、悠を帝釈天のもとに連れていくのは危険を伴うかもしれない。善見城から私たちが戻るまで、風天と雷地のそばにいたほうがよいだろう。
「あぶぅ」
悠は不満げに唇を尖らせたけれど、肩にとまったコマが「ピッ」と力強く鳴いた。
「しもべたちよ、頼んだぞ。念のため怪しい者が侵入しないよう、厳重に結界を張っておく」
風天と雷地は主に答えた。
「お任せくださいませ。わたくしどもが、悠さまをお守りいたします」
「お任せくださいませ。わたしが……すべてをお守りいたします」
珍しく雷地が言い淀んだ。
いつもは流れるように復唱するふたりだが、どうしたのだろう。
柊夜さんは門内の広間を歩き回り、指先で描いた五芒星を形作っていた。ふわりと青白い光が浮かび上がったかと思うと、石畳に降りて溶けていく。外敵の侵入を防ぐために結界を張っているのだ。
結界を完成させた柊夜さんは、みんなを落ち着かせるかのように微笑を浮かべた。
「すぐに戻ってくる。今回は永劫の牢獄に囚われるという事態にはならないから、安心してくれ」
柊夜さんはすでに笑い話にしているが、あのときは本当に心配して彼のあとを追ったのだった。悠を妊娠していたときの思い出がよぎり、私は苦笑をこぼす。
とてとてと歩いた悠は、風天と雷地に向かって両手を上げた。
「ぷう、あい」
ふたりは主人にそうするように、慇懃な礼をする。そうしてから悠の手を取り、小さな三人は門前に並んだ。
「それじゃあ、行ってくるわね」
手をつないでいる三人に見送られ、私と柊夜さんは善見城へ向かった。
久しぶりに訪れる善見城は、深い霧が立ち込めていた。
城門に辿り着くと、屈強な兵士に案内される。
「こちらで帝釈天様がお待ちでございます」
本殿ではなく、敷地内にある離れへ向かうようだ。森のごとく木々が生い茂る道を通ると、傍らにいくつもの豪壮な建物の屋根が見える。
ややあって、案内してくれた兵士はぴたりと足を止めた。
牛の頭を持つ彼は、道の脇に避けて直立する。
どうやらここが帝釈天の待つ離宮らしいが、濃い霧に包まれているのでなにも見えない。
柊夜さんはさりげなく前に立ち、私を背中に隠した。
「来たか。ちこうよれ」
霧の向こうから厳かな声が響いてきた。
その声音は威厳に満ちているけれど、どこか幼さを感じさせる。
ゆっくり歩を進めると、屋外の広場のようなそこに東屋が現れた。
精緻な細工の東屋は白亜の大理石を彫ったと思しき純白で、こぢんまりとしている。内部には同じ石で造形された寝椅子がひとつだけあった。
そこに白い着物をまとった帝釈天が、長い金髪を垂らして物憂げに座している。
神世の主であり、四天王と八部鬼衆の頂点に君臨する帝釈天は、人間の年齢でいえば十歳ほどの少年である。その体は華奢で、四肢は折れそうなほどに細い。
霧に包まれた幽玄な光景は、まるで絵画の世界に迷い込んでしまったかのよう。
柊夜さんは鬼神の礼として、すっと片膝をついた。
「帝釈天からの招待に感謝する」
「うむ」
述べられた挨拶に、帝釈天は翡翠色の目を向けて応えた。白皙の容貌には今のところ、いっさいの感情が浮かんでいない。
私も跪くべきかと思い、大きなお腹を抱えて膝を折ろうとするが、柊夜さんにてのひらで制された。
そのとき東屋の天井に、黒と白の斑の羽がぶら下がっているのを見つける。帝釈天のしもべである、コウモリのマダラだ。夜叉の居城への伝令を終えて、戻ってきたらしい。
「留守中に、なにかあったか? 神世の気配が変わったな」
「鬼神さまがたに、動きがあったようでございます。各居城のざわめきを察知いたしました」
風天が慇懃な仕草で礼をすると、雷地も頭を下げて報告する。
「帝釈天さまの使いで、先ほどマダラが参りました。夜叉さまと花嫁さまは至急、善見城においでくださいとのことです」
「向こうから招待されるなら話は早い。……だが、なにやら不穏なものを感じるな」
帝釈天のしもべであるコウモリのマダラに、翻弄された一件を思い出す。今回の呼び出しと、神世に漂う不穏な気配とは関連があるのだろうか。
「帝釈天の用事は、御嶽さまと協定を結んだ政略結婚についてですよね。詳しい話をしないわけにはいかないです」
「うむ。万全の準備をして向かおう。――悠とコマは、城で待っているんだ」
離れるのも心配だけれど、悠を帝釈天のもとに連れていくのは危険を伴うかもしれない。善見城から私たちが戻るまで、風天と雷地のそばにいたほうがよいだろう。
「あぶぅ」
悠は不満げに唇を尖らせたけれど、肩にとまったコマが「ピッ」と力強く鳴いた。
「しもべたちよ、頼んだぞ。念のため怪しい者が侵入しないよう、厳重に結界を張っておく」
風天と雷地は主に答えた。
「お任せくださいませ。わたくしどもが、悠さまをお守りいたします」
「お任せくださいませ。わたしが……すべてをお守りいたします」
珍しく雷地が言い淀んだ。
いつもは流れるように復唱するふたりだが、どうしたのだろう。
柊夜さんは門内の広間を歩き回り、指先で描いた五芒星を形作っていた。ふわりと青白い光が浮かび上がったかと思うと、石畳に降りて溶けていく。外敵の侵入を防ぐために結界を張っているのだ。
結界を完成させた柊夜さんは、みんなを落ち着かせるかのように微笑を浮かべた。
「すぐに戻ってくる。今回は永劫の牢獄に囚われるという事態にはならないから、安心してくれ」
柊夜さんはすでに笑い話にしているが、あのときは本当に心配して彼のあとを追ったのだった。悠を妊娠していたときの思い出がよぎり、私は苦笑をこぼす。
とてとてと歩いた悠は、風天と雷地に向かって両手を上げた。
「ぷう、あい」
ふたりは主人にそうするように、慇懃な礼をする。そうしてから悠の手を取り、小さな三人は門前に並んだ。
「それじゃあ、行ってくるわね」
手をつないでいる三人に見送られ、私と柊夜さんは善見城へ向かった。
久しぶりに訪れる善見城は、深い霧が立ち込めていた。
城門に辿り着くと、屈強な兵士に案内される。
「こちらで帝釈天様がお待ちでございます」
本殿ではなく、敷地内にある離れへ向かうようだ。森のごとく木々が生い茂る道を通ると、傍らにいくつもの豪壮な建物の屋根が見える。
ややあって、案内してくれた兵士はぴたりと足を止めた。
牛の頭を持つ彼は、道の脇に避けて直立する。
どうやらここが帝釈天の待つ離宮らしいが、濃い霧に包まれているのでなにも見えない。
柊夜さんはさりげなく前に立ち、私を背中に隠した。
「来たか。ちこうよれ」
霧の向こうから厳かな声が響いてきた。
その声音は威厳に満ちているけれど、どこか幼さを感じさせる。
ゆっくり歩を進めると、屋外の広場のようなそこに東屋が現れた。
精緻な細工の東屋は白亜の大理石を彫ったと思しき純白で、こぢんまりとしている。内部には同じ石で造形された寝椅子がひとつだけあった。
そこに白い着物をまとった帝釈天が、長い金髪を垂らして物憂げに座している。
神世の主であり、四天王と八部鬼衆の頂点に君臨する帝釈天は、人間の年齢でいえば十歳ほどの少年である。その体は華奢で、四肢は折れそうなほどに細い。
霧に包まれた幽玄な光景は、まるで絵画の世界に迷い込んでしまったかのよう。
柊夜さんは鬼神の礼として、すっと片膝をついた。
「帝釈天からの招待に感謝する」
「うむ」
述べられた挨拶に、帝釈天は翡翠色の目を向けて応えた。白皙の容貌には今のところ、いっさいの感情が浮かんでいない。
私も跪くべきかと思い、大きなお腹を抱えて膝を折ろうとするが、柊夜さんにてのひらで制された。
そのとき東屋の天井に、黒と白の斑の羽がぶら下がっているのを見つける。帝釈天のしもべである、コウモリのマダラだ。夜叉の居城への伝令を終えて、戻ってきたらしい。