硬い表情を浮かべた柊夜さんは私を促して部屋を出る。御嶽さまは私たちのあとをついてきた。
玄関から外に出ると、牛車の脇に待機していた車副が御嶽さまの姿を目にし、慌てて平伏する。
「ありがとうございました。御嶽さまに孫の顔を見せたいと思っていたので、会えてよかったです」
「また来い。今度は孫たちに小遣いをやろう」
凜の政略結婚については思うところがあるけれど、おじいちゃんに悠を会わせてあげるという夢が叶えられてよかった。
ふと悠は、御嶽さまに向かって小さな手を伸ばす。
「じぃじ」
「おお? よしよし。おまえは柊夜のように捻くれた男になるなよ」
笑みを浮かべた御嶽さまは大きな手で、悠の柔らかい手を握った。
後ろから柊夜さんの嘆息が聞こえる。
おじいちゃんと孫の微笑ましい光景を目にした私は一抹の不安を覚えながらも、幸福感に包まれた。
屋敷をあとにした私たちは、牛車で来た道を引き返す。物見窓から見える穏やかな森の風景を眺めつつ、ふうと息を吐いた。
「よかったね、悠。おじいちゃんに会えたね」
「ん」
悠の服がもぞりと動き、コマが顔を出す。ずっと服の中に隠れていたのだ。
「ピュイ~……」
「コマは御嶽さまが怖かったの?」
「ピィ、ピピ、ピッピ」
単なる肯定だけではなく、コマにはなにか言いたいことがあるらしい。
首をかしげていると、柊夜さんが説明してくれた。
「御嶽の目を見ると操られることに、コマは気づいたのだろう。御嶽は伝令などにしもべを使うことがあるが……自らの意思を奪われて操作されるのは困惑するものだ。今回の協定も、他者を無視した勝手な取り決めだ。いかにも、あの親父らしい」
御嶽さまが帝釈天と取り交わした政略結婚に話が及び、どきりとした。
「協定を結ぶ前に相談してほしかったですけどね……。でも御嶽さまとしては、孫たちの将来を思ってのことではないでしょうか」
「あかりは、凜を鬼神に嫁がせることに賛成なのか?」
「私は……わかりません。御嶽さまの考えは理解できますけど、凜を政略の道具にしたくないという気持ちもあります。私はただ、凜に幸せになってほしい。それだけなんです」
私は柊夜さんと同じ職場の上司と部下なので、もとから顔見知りだったが、それでもすんなりと心を通わせられたわけではなかった。
結婚さえすれば円満ではない。やはり時間をかけて、お互いの絆を結ぶことが大切ではないかと思う。
もし凜が思春期になり、政略結婚を知らされたら憤るのではないだろうか。ほかに好きな人がいたとしたら、反発されるのは間違いない。
そのほかにも、この政略結婚について心配事があった。
「御嶽さまの話では、まだ詳しいことは決まっていないようでしたけど……凜が生まれたら、私たちのもとで育てられますよね?」
もしかしたら、鬼神の花嫁として育成するために、両親と引き離されるということになりはしないか。
そんなことは絶対に嫌だ。私たちの子どもとして、悠の妹として、一緒に暮らしたい。
縋るように柊夜さんを見上げると、彼は横顔に憂慮を刻む。
「帝釈天の思惑を聞いてみよう。御嶽の話だけでは判断できない。もし花嫁を渡せと言われても、俺たちが娘を育てるという主張は必ずする」
夫の頼もしい言い分に、同感した私は頷いた。
帝釈天に会うのは、柊夜さんを追って永劫の牢獄へ入ったとき以来になる。
神世の支配者の冷淡な美しさを脳裏によみがえらせた私は、背筋を震わせた。
牛車は郊外から街を通り、夜叉の居城へ戻ってきた。
城門をくぐり、石段の前で牛車から降りたとき、騒がしい鳥の鳴き声が響く。
ふと空を振り仰ぐと、カラスの大群が飛び交っているのが見えた。
陽射しは遮られ、天には重い雲が垂れ込めている。なにかが起こりそうな気配を感じた。
そのとき、音もなく出迎えたふたりが言葉を発する。
「お帰りなさいませ。夜叉さま」
「お帰りなさいませ。あかりさま、悠さま」
人形のように無機質なふたりは、城を守護する石像のあやかしだ。
天女の羽衣をまとった女の子は風天。水干装束の男の子は雷地という名である。
金色の瞳を持ち、漆黒の髪を結い上げているふたりはよく似た容貌で、つがいだ。小さな子どもの姿をした彼らは石像から変化すると、空を飛行できるほど身軽になる。
玄関から外に出ると、牛車の脇に待機していた車副が御嶽さまの姿を目にし、慌てて平伏する。
「ありがとうございました。御嶽さまに孫の顔を見せたいと思っていたので、会えてよかったです」
「また来い。今度は孫たちに小遣いをやろう」
凜の政略結婚については思うところがあるけれど、おじいちゃんに悠を会わせてあげるという夢が叶えられてよかった。
ふと悠は、御嶽さまに向かって小さな手を伸ばす。
「じぃじ」
「おお? よしよし。おまえは柊夜のように捻くれた男になるなよ」
笑みを浮かべた御嶽さまは大きな手で、悠の柔らかい手を握った。
後ろから柊夜さんの嘆息が聞こえる。
おじいちゃんと孫の微笑ましい光景を目にした私は一抹の不安を覚えながらも、幸福感に包まれた。
屋敷をあとにした私たちは、牛車で来た道を引き返す。物見窓から見える穏やかな森の風景を眺めつつ、ふうと息を吐いた。
「よかったね、悠。おじいちゃんに会えたね」
「ん」
悠の服がもぞりと動き、コマが顔を出す。ずっと服の中に隠れていたのだ。
「ピュイ~……」
「コマは御嶽さまが怖かったの?」
「ピィ、ピピ、ピッピ」
単なる肯定だけではなく、コマにはなにか言いたいことがあるらしい。
首をかしげていると、柊夜さんが説明してくれた。
「御嶽の目を見ると操られることに、コマは気づいたのだろう。御嶽は伝令などにしもべを使うことがあるが……自らの意思を奪われて操作されるのは困惑するものだ。今回の協定も、他者を無視した勝手な取り決めだ。いかにも、あの親父らしい」
御嶽さまが帝釈天と取り交わした政略結婚に話が及び、どきりとした。
「協定を結ぶ前に相談してほしかったですけどね……。でも御嶽さまとしては、孫たちの将来を思ってのことではないでしょうか」
「あかりは、凜を鬼神に嫁がせることに賛成なのか?」
「私は……わかりません。御嶽さまの考えは理解できますけど、凜を政略の道具にしたくないという気持ちもあります。私はただ、凜に幸せになってほしい。それだけなんです」
私は柊夜さんと同じ職場の上司と部下なので、もとから顔見知りだったが、それでもすんなりと心を通わせられたわけではなかった。
結婚さえすれば円満ではない。やはり時間をかけて、お互いの絆を結ぶことが大切ではないかと思う。
もし凜が思春期になり、政略結婚を知らされたら憤るのではないだろうか。ほかに好きな人がいたとしたら、反発されるのは間違いない。
そのほかにも、この政略結婚について心配事があった。
「御嶽さまの話では、まだ詳しいことは決まっていないようでしたけど……凜が生まれたら、私たちのもとで育てられますよね?」
もしかしたら、鬼神の花嫁として育成するために、両親と引き離されるということになりはしないか。
そんなことは絶対に嫌だ。私たちの子どもとして、悠の妹として、一緒に暮らしたい。
縋るように柊夜さんを見上げると、彼は横顔に憂慮を刻む。
「帝釈天の思惑を聞いてみよう。御嶽の話だけでは判断できない。もし花嫁を渡せと言われても、俺たちが娘を育てるという主張は必ずする」
夫の頼もしい言い分に、同感した私は頷いた。
帝釈天に会うのは、柊夜さんを追って永劫の牢獄へ入ったとき以来になる。
神世の支配者の冷淡な美しさを脳裏によみがえらせた私は、背筋を震わせた。
牛車は郊外から街を通り、夜叉の居城へ戻ってきた。
城門をくぐり、石段の前で牛車から降りたとき、騒がしい鳥の鳴き声が響く。
ふと空を振り仰ぐと、カラスの大群が飛び交っているのが見えた。
陽射しは遮られ、天には重い雲が垂れ込めている。なにかが起こりそうな気配を感じた。
そのとき、音もなく出迎えたふたりが言葉を発する。
「お帰りなさいませ。夜叉さま」
「お帰りなさいませ。あかりさま、悠さま」
人形のように無機質なふたりは、城を守護する石像のあやかしだ。
天女の羽衣をまとった女の子は風天。水干装束の男の子は雷地という名である。
金色の瞳を持ち、漆黒の髪を結い上げているふたりはよく似た容貌で、つがいだ。小さな子どもの姿をした彼らは石像から変化すると、空を飛行できるほど身軽になる。