私が訊ねると、御嶽さまはなぜか沈黙で返す。
 柊夜さんが赤子のときなので、三十年ほど前の出来事である。犯人が帝釈天だというのを、御嶽さまはいつ掴んだのだろうか。
 柊夜さんは怪訝そうに双眸を細めた。
「帝釈天は雷を操るが、なぜ犯人だと断定できる。しかも昔は、俺が母を殺したのだと責めていたが、今になって意見を翻すのはなぜだ」
「あの頃のわたしは混乱していたのだ。妻が亡くなったのは柊夜を守ったせいだと思い込んでいた。だがそれは責任転嫁であったと、時が経ち、冷静に考えられたのだ」
「昔の諍いは水に流そう。それで、帝釈天が母を殺した犯人だとする証拠は?」
 父子は真紅の双眸でにらみ合う。和解したように思えるのに、どうしても和やかな雰囲気にならない。
 はらはらして見守っていると、御嶽さまの腕に収まっている悠が「あうー」と心配そうな声を発した。
 そのひとことで緊迫した空気が、ふっと和らぐ。
「おお、小童。おまえを責めているわけではないからな。――証拠は……残されたお守りに、雷撃の込められた珠の燃えかすがあったのだ。珠を渡したのは帝釈天だと確信がある。わたしはずっと真犯人を突き止めるために調査をしていた。そして先日、帝釈天に謁見して真相を問い質した」
「帝釈天はなんと?」
「無論、己が犯人だと認めようとはしない。あの頃の帝釈天は今以上に鬼衆協会と人間を目の敵にしていたゆえ、報復を行ったのだろう。……だが、目的は罪を認めさせることではない。妻の件を不問にする代わりに、鬼衆協会の存在を認めることを交換条件として提示した。そのための証として、両陣営の婚姻を結ぶという協定を締結した。ゆえに腹の子を帝釈天側の鬼神に嫁がせるのだ」
 事情を聞いた私は目を見開く。
 鬼衆協会が存続していくために、凜は鬼神と政略結婚をさせられるのだ。
 そんな重要なことを勝手に決めて事後報告するなんて、ひどい。
「待ってください、御嶽さま! それでは、凜の意思はどうなるんですか?」
「では問うが、あかりは柊夜と結婚して子を産んだ。それは不幸な結婚か?」
「……そんなことはないです。初めは鬼神のことを知らなかったので、いろいろありましたけど、今は柊夜さんと結婚できて幸せです」
 私自身がまさに柊夜さんと政略結婚だったので、その形を否定できないが、まだ生まれてもいない娘の嫁ぎ先を決めてしまうのは母親として心配でたまらない。
 私の返事を聞いた御嶽さまは鷹揚に頷いた。
「そうであろう。あかりが幸せになったように、凜も鬼神と結婚して幸せになれる。夜叉姫ともなれば、どこの馬の骨ともわからぬ人間の男になど嫁がせられぬ。八部鬼衆は数多のあやかしを従える城主だ。豊かな暮らしを送る財産と地位は保証されている」
「でも、八部鬼衆といっても、どなたに嫁ぐのですか?」
 四天王の配下となる八部鬼衆は八名いる。持国天(じこくてん)の眷属、乾闥婆(けんだつば)毘舎闍(びしゃじゃ)増長天(ぞうじょうてん)の眷属、鳩槃荼(くばんだ)薜茘多(へいれいた)広目天(こうもくてん)の眷属、那伽(なーが)富單那(ふたんな)。そして多聞天の眷属、夜叉と羅刹だ。
 帝釈天側の鬼神となると、かつて対面したことのある薜茘多を思い出す。横暴で残忍な薜茘多に嫁がせたりしたら、死体になって返されそうな危惧が胸をよぎった。
「それは、今はわたしの口からは言えぬ。帝釈天が適切な人選を行うだろう」
 どの鬼神なのかは未定のようだ。うつむいた私は大きなお腹に、そっと手を添える。
 財産と地位のある鬼神と結婚すれば幸せという御嶽さまの言い分もわかるけれど、それだけが幸せの要素ではないだろうし、なにより凜はまだなにも知らない。親たちが本人の意見を無視して勝手に決めるのはどうなのかと思う。
 御嶽さまは目線を移動し、思案していた柊夜さんに言葉をかける。
「悪くない話だろう、柊夜。この協定が予定通りに運べば、鬼衆協会を潰される心配がなくなるのだ。我々が今まで行ってきた活動も無駄にならぬ」
「理屈はわかるが……そのために母の死を利用し、孫娘を生贄に差し出そうとする御嶽には虫酸が走る」
「なんとでも言うがいい。死んだ者は帰ってこない。混血の孫たちが迫害されぬため、今のうちに神世の主を抑えておかねばならぬ。後ろめたいことがある帝釈天につけいる機会は今しかない」
 苛烈さを発揮させた御嶽さまの言葉に、はっとした。
 混血である子どもたちが成長したとき、帝釈天側との溝があっては屠られかねないという懸念を御嶽さまは抱いているのだ。
 だからこそ、婚姻による不可侵協定を帝釈天との間に結んだ。
 大人たちの話に、悠は飽きてきたようだ。「あううー」と言って手足をばたつかせるので、席を立った私は御嶽さまの腕から悠を受け取る。
 その様子を目にした柊夜さんも、立ち上がった。
「御嶽の話はわかった。だが、俺たちが了承するかどうかは別の話だ」
「すでに決まったことだ」
「帝釈天に謁見する。向こうの言い分を確認しないわけにはいかないからな」
「好きにしろ」