「ん」
 悠は御嶽さまに向き合うと、抱っこの合図であるバンザイのポーズをした。
 御嶽さまが恐ろしい鬼神の姿でも、自分のおじいちゃんであると認識したのだ。
 怯えることなく抱っこを要求する悠に、御嶽さまは目を瞬かせる。
「なんだ? なぜ両手を挙げるのだ。天を掴もうとしているのか?」
「抱っこしてほしいんです。小さな子は家族など親しい人に、こういう仕草をします」
 そう告げた途端、御嶽さまは豪快に笑い出した。室内の空気が振動する。
「ははは! わたしを恐れぬばかりか、抱き上げろとはな。なかなか見込みのありそうな小童だ」
 ひょいと悠の胴を持ち上げた御嶽さまは、軽々と片腕に座らせた。
 よかった。ひとまず悠を認めてくれたようだ。
 私は、ほっと安堵の息を漏らす。
 祖父の腕に収まった悠は平然としている。だが悠の襟に顔を埋めたコマは、ぶるぶると身を震わせていた。
 御嶽さまには、やはり鬼神として恐怖に値する神気が漲っているのだろう。
 成り行きを見守っていた柊夜さんは、ぽつりとつぶやいた。
「当然だ。御嶽の……孫なのだぞ」
 それは歴然とした事実なのだけれど、その言葉の裏には父親と和解したいという意図があるのではないだろうか。
 再会したときから父子は一度も目を合わせていない。
 御嶽さまは柊夜さんの言葉に沈黙している。
 気まずい空気のまま、御嶽さまは踵を返す。悠を抱いて、奥の廊下へと歩を進めた。
「こちらへ来い。おまえたちに話があって呼んだのだ」
 私と柊夜さんは顔を見合わせる。
 先代の夜叉が私たちに話したいこととは、なんだろう。
 御嶽さまのあとに続いて、私たちは奥の部屋に足を踏み入れた。
 室内には艶々とした弁柄色の円卓が置かれ、精緻な意匠の椅子がそれを囲んでいる。巻き上げられた簾の向こうには、趣のある庭園が見て取れた。松は優美に枝を伸ばし、純白の玉砂利が敷き詰められている。
「素敵なお庭ですね」
「わたしは庭の批評を聞く気分ではない。まずは、おまえたちに伝えねばならぬ結論を言わせてもらおうか」
「は、はい」
 紫檀の椅子に腰を下ろした御嶽さまは傲岸に告げる。
 驕慢な鬼神の面を垣間見て震え上がったが、彼は悠を片腕に抱いているので、祖父らしく孫を愛でているように見えた。
 ようやくつないだ手を離し、柊夜さんとともに椅子に腰かける。並んで座った私たちの対面に、悠を抱いた御嶽さまが座している位置だ。柊夜さんは、さりげなく私に声をかけた。
「御嶽の言い方は気にするな。神世の鬼神は傅かれることに慣れているので、みな傲慢なものなのだ」
「わかっています。気にしていませんから」
 柊夜さんの強引さに慣れているので、御嶽さまへの反発などは湧かない。それどころか、やっぱり父子だから似ていると感じて、微笑ましいくらいだ。
 だが御嶽さまは、ひたりと私に真紅の双眸を据える。正確には私ではなく、お腹の辺りに目を落としていた。
 体を強張らせていると、驚くべきことを告げられる。
「その腹の子を、花嫁にくれ」
「……えっ?」
 なにを言われたのか、とっさに理解できない。
 目を瞬かせる私の隣で、激高した柊夜さんが腰を浮かせた。
「なにを言っている! 御嶽の孫だぞ。貴様の花嫁にできるわけないだろうが!」
「落ち着け。わたしの花嫁にするなどと言っておらぬ。嫁ぐ相手は八部鬼衆の鬼神だ」
「なんだと……? どういうことだ」
 椅子に腰を下ろした柊夜さんは訝しげに眉根を寄せる。
 私は早鐘のように鳴り響く胸を押さえながら、御嶽さまの言葉を待ち受けた。
「話は鬼衆協会を設立した頃に立ち戻る。わたしは帝釈天(たいしゃくてん)と袂を分かつことになった多聞天の意を汲み、現世へ赴くことが多かった。まだ創設したばかりの鬼衆協会を手伝ってくれたのが、死んだわたしの妻であり、柊夜の母親だった」
 柊夜さんの眉が、ぴくりと動く。
 御嶽さまが語る私の知らない過去に、耳を傾けた。
「人間である彼女を妻に迎え、子が欲しいと言われたので、それを叶えた。だがその結果……彼女は子のために洞窟で命を落とすに至ったのだ。あのときわたしを引き留めた帝釈天が、妻を殺害した犯人である」
 くだんの洞窟に私も行ったことがあるが、そのときに柊夜さんから詳しい話を聞いていた。
「お母さんは落としたお守りを拾おうとして、不運にも雷に撃たれたんですよね。犯人が帝釈天だというのは、最近になって判明したんですか?」