なに、この、大きな……え、ええ、亀!?

スカイが私とフォルテの肩を強く抱く。スカイの青い目が、キッと巨大な亀を見据えている。
空気の層が繋がる。
息が楽になったかなんて、判断する余裕はなかった。
足元から亀が浮上してくる。
ゆったりとした動作だが、私達にとっては十分驚異となる勢いがあった。
周囲の水ごと急激に持ち上げられる。
亀の鼻先から、左右に分かれ水底へと滑り落ちて行く水に揉まれながらも、私達は不思議とその背に残った。

まるで、亀が意図的に私達を乗せて浮上したかのように。

ザアッと盛大な水しぶきを上げて、水の外へと飛び出す。
空気の層は、外の空気と混じって消えてしまったようだ。そういう魔法だったのだろう。

肺に思い切り新鮮な空気を取り込む。
湖を囲む森は、すがすがしい空気をいっぱいに湛えていた。
デュナが、両肩にそれぞれ風と大気の精霊を乗せたまま、唖然とした表情でこちらを見上げている。
その精霊は、障壁用とクッション用。だろうか。

「すごいな! 亀に助けられたぞ俺達!!」
キラキラと瞳を輝かせて興奮したように話すスカイに、適当に相槌を打つ。
亀にそんな気などないだろう。
私達には、この湖で亀を助けた経験もなかったし、恩返しなどという可能性はまったくもって考えられない。
となれば、次に起こすべき行動は、この亀がまた水に潜る前に何とかして陸に辿り着く。という事だ。

「デュナっ!」
声をかけると、デュナはすぐさま風の精霊を追加して湖畔にクッションを設置する。
次の瞬間には、私達へ右手を振り上げ突風を放った。

ロッドをびしょ濡れマントのポケットに無理矢理ねじ込んで
フォルテを両腕でしっかりと抱き抱える。
腕の中の小さな子が、どこもぶつけたりしないように、自分の体で包むような気持ちで背を丸めると、スカイがそっと私の肩を支えた。
バランスを取ってくれるつもりのようなので、任せる。
私達は三人固まったまま、空気で作られたクッションに、ふんわりと着地した。

「さ、寒い……」
全身が凍るように冷たい。指先にはもう感覚が無い。
突風に体温を急激に奪われたのか。とにかく歯の根が合わなかった。
「濡れてるのに相当風を当てちゃったからね。すぐ火を焚くから服を脱ぎなさい」
デュナが火の精霊を呼び出している。
スカイが「焚き木を集めてくる」と森へ駆けて行った。

もそもそと、水を吸って重くなったマントを外す。
のんびりしているわけではないのだが、手がかじかんでいて素早く動けない。
「フォルテ、大丈夫なの?」
両手で炎を支えるデュナが、心配そうな声で聞く。
様子を見たくても、手が離せないのだろう。
「うん、水は飲んでないみたい。幻惑には……かかっちゃってるみたいだけど」
フォルテは瞳を閉じたまま、ピクリともしない。
顔色が真っ青だった。その肌は氷のように冷たくなっている。
自分の服は後回しにして、とにかくフォルテを脱がせる。
下着を固く絞って、水気を出来る限りふき取る。
スカイが抱えてきた木の枝に火を移したデュナが、フォルテに白衣をかけてくれた。
そのまま、デュナはフォルテの手を取って脈を確認したり、瞳孔を覗き込んだりしている。
「ええ、幻惑と寒さにやられているだけのようだわ」
デュナの言葉にホッとする。
フォルテの頬を、デュナの温かそうな手が撫でている。
少し遠くからフォルテを覗き込んでいたスカイも、ホッと胸を撫で下ろしたようだ。
「じゃあ俺、花取って来るから」
と、スカイがこちらをチラとも見ないまま湖に飛び込む。
なんだろう。
何か、今の仕草はどうにも不自然だった気が……。

振り返れば、もうあの亀の姿はなかった。
良い天気なのに、甲羅干しをするつもりもないらしい。
あんなに大きく成長するほど昔から、この湖に住んでいたのだろうか。
ここで暮らしていた頃、湖に怪物が出るだとか、そんな噂は耳にした事もなかったけれど……。

ふと。自分の両腕が服をめくり上げていたことに気付く。
そうだった。脱ぎかけだった。
水をたっぷり含んだ服が、腕に体に纏わり付いて、な、なかなか……脱げない……。
腕をなんとか顔の上まで引っ張り上げたものの、肩に張り付いてびくともしない服に、うんうん唸っていると、デュナが手を貸してくれた。
フォルテの服はサラサラした生地のワンピースで、背中のチャックを下ろせば手間取ることなく脱がせることができたが、私の服は、くったりとした柔らかい生地で出来ていて、ボタンも無い被って着るタイプの服だった。
「ぷはぁ……」
やっと脱げた……。
よっぽど気の抜けた顔をしていたのか、
正面に立っていたデュナがクスっとラベンダー色の瞳を揺らす。
「ラズはスカイの服を着てればいいわね」
体を拭いていると、デュナが散乱していたスカイの服を拾い上げて来た。
スカイはきちんと服を畳んで重ねていたはずなので、おそらく先ほどの突風で飛び散ってしまったのだろう。

緑のシャツと、生成りのズボン。
その細いウエストを見つめながら、どうか入りますように。と心の中で祈った。