スカイが部屋から姿を消す。
遠ざかる風の音と、悲鳴の名残のような物が耳に残る。
「ちょっと勢いが強すぎたかしら……」
デュナの台詞が、三人だけになった部屋にぽつりと聞こえた。

数秒後、どさっという落下音と共に、ぐえっとかえるの潰れたような声がする。
落下までの時間が存外あったのを思うと、外でも随分な高さまで吹き上げられたに違いない。
「スカイーー、生きてるー?」
デュナが、まったく心配そうでない声色で生死を問う。
「っ死ぬトコだったよ!!!!」
ガバッと穴から顔を出すスカイは、思いのほか元気そうだ。
痛そうに頭を擦ってはいたが。
下から見えていたものは、やはりロープだったらしい。
きちんと縄梯子として組まれているそれをスカイが下まで降ろす。
頑丈そうで綻びもないそれは、間違いなく最近かけられたものだった。
梯子を垂直によじ登って行く。
壁際ではあったものの、どこにもぶつかっていない梯子は
ふらふらと空中で揺れて、とても心許なく感じる。
半分ほども登ると、もう下を見ずに進むしかなかった。
「フォルテ、大丈夫?」
私の下から登ってきているはずのフォルテに声をかける。
「うん、大丈夫ー」
すぐさま、しっかりした返事が返ってくる。
基本的に怖がりなフォルテではあったが、こういうのは平気なようだ。
差し出されたスカイの手を取って、地上に足を下ろす。
スカイは、次のフォルテを引き上げながら、その後ろから来るデュナに声をかけた。
「それで? なんでこの梯子はわざわざ上げてあったんだ?」
「それは、フィーメリアさんが外に居るっていう証拠よ」
スカイの二度目の問いに、デュナはニヤリと笑って答えた。

私達が出てきた場所は、遺跡の入り口から見えた丘の裾のあたりだった。
といっても、奥側の裾だったので、入り口から地上を見渡しても丘の死角になって見えない場所だが。
私は、ひとまずフォルテを連れて近くの草むらに入っていた。
木に背を預けて、フォルテを待ちながらぼんやりと眺めた空には、切ないほどに鮮やかな色をしたオレンジの夕日が浮かんでいる。
「大きいなぁ……」
昼に見る太陽の何倍もありそうなその姿は、まだ何にも遮られることなく、西の空、林の上に輝いていた。
たなびく雲を自身の色に染め上げて、空に大きなグラデーションを作っている。
東の空の色は、とっくに青ではなく紺色だった。
紺色からオレンジへと変わる、空の継ぎ目を探していると、がさがさと近くで音がした。
振り返ると、フォルテがほんのちょっと恥ずかしそうに笑顔を作っている。
「えへへ……おまたせ、です」
どうやらすっきりしたようだ。
「じゃあ、二人のとこ戻ろうか」
くるりと向きを変えた私に、フォルテの不思議そうな声がかかった。
「あれ? 何だろう……」
フォルテの見つめる先を見る。
が、視線の先には林が続くばかりで、野兎の姿なども見当たらない。
日も傾いていたので、暗闇になってよく見えない部分も多かった。
マントに仕舞ったロッドに、まだ光球が残っていたのを思い出して掲げてみる。
ほんのりと光に照らされた中、林に溶け込む常磐色の布から、人の腕らしきものが伸びていた。

ぞっとした次の瞬間、それこそが私達の探していたものだと気付く。
見失わないよう凝視したまま、フォルテに
「二人を呼んできてくれる?」
と頼む。
「うん」と頷いて駆けて行くフォルテの足音を聞きながら、地に落ちている腕に近寄ろうとして一瞬ためらう。
こういう時、スカイなら迷わず駆けて行くのだろう。デュナもそうかも知れない。
「フィ、フィーメリアさん……?」
そっと声をかけてみるものの、やはり反応は無い。
この林は、林とは言え敷地の中にあるものだ。
案内をしてくれたファルーギアさんが何の装備も無しに歩いていたことを考えても、凶暴なモンスター等は居ないのだろう。
それでも、目の前にはピクリとも動かない腕が落ちていた。
もしかしたら、そこに落ちているのは腕だけで、草むらの陰を覗いても、フィーメリアさんは居ないのかも知れない。
そんな最悪の想像に立ち尽くす。

遠くから、三つの足音が聞こえてくる。
いち早く駆け寄ってきたスカイに、ポンと背を叩かれて我に返った。
「どうしたんだ?」
「あ、うん、あそこ……」
スカイの声にほっとしながらロッドで腕を指すと、スカイはすぐさまそちらへ駆けて行った。
「フィーメリアさん!? 大丈夫ですか!!」
草陰からスカイが何者かを抱き起こす。
腕の先が繋がっていたことに感謝しながら、私もそれに駆け寄る。
後ろからは、フォルテの足音と、それに合わせて歩いてきたらしいデュナの足音が近付いていた。


フィーメリアさんは常磐色のローブを纏っていた。
パッと見たところ外傷もなく、顔色も悪くはない。
ファルーギアさんが「蓄えが沢山ある」と言っていた通り、その外見はええと……なんというか……とてもふくよかだった。
元が分からないので一概には言えないが、やつれている様子も窺えない。

しかし、スカイに肩を抱かれて上半身を起こされた彼女は、一向に目を覚ます気配が無かった。
デュナがフィーメリアさんの手をとって脈拍を確認している。
「フィーメリアさん……だよなぁ……」
スカイが困ったように彼女の顔を見下ろす。
「十中八九ね。脈も問題ないわ」
デュナが、そう答えて立ち上がる。
「寝てるだけなのか……?」
「もしくは気絶しているか、ね。とにかくお屋敷に運びましょう」
スカイが彼女を背負おうとするので、手助けする。
「よいしょ」と常磐色のローブに包まれたフィーメリアさんを背に乗せたスカイの後姿は
どうにも人を担いでいるようには見えなかった。
「……一人で大丈夫?」
思わず聞いてしまう。
フィーメリアさんが起きたら失礼なことになると、口にしてから気付いたが。
「おう」と軽く返事をしたスカイが振り返ったのかどうかも、常磐色の塊に遮られて分からなかった。
「あら? フォルテは?」
デュナの台詞に慌てて辺りを見回す。
ついさっきまで、ランプ代わりの私のロッドを持って隣に立っていたはずなのに。
フォルテはあまり口数も多くない上、低い身長のせいで皆の視界に入りにくいためか、気付かず居なくなってしまうことがよくあった。
「フォルテー!」
そう遠くには行っていないはずだ。
何かに夢中になってしまうと周りが見えなくなってしまう性質の子ではあったが、フォルテには、いつも、私達に迷惑をかけまいと精一杯気を遣っている部分があった。
「は、はーいっっ」
私達の居る場所より、さらに林の奥のほうから、慌てる声が聞こえた。
ロッドをぶんぶん振り回して駆けて来たフォルテの手には、青黒く完熟した大粒のブルーベリーがころころと乗せられていた。
「ブルーベリーが生ってたー」
その実を、フォルテが嬉しそうに私達に見せびらかしてくれる。
「へー、美味しそうね」
デュナがその実をつまんで、感心したように言うと、フォルテが「えへへ」と少し照れたように俯いた。
その横顔を見下ろして、ちょっぴり幸せになる。

……あれ?
でも、ブルーベリーって今時期だっけ??