スカイが、眉間を撫でていた指をそっと離す。
それは、彼の癖だった。
元がツリ目のスカイが眉間に皺を寄せてしまうと、その顔はとても険阻に見える。
その事を自覚してか、彼はいつからか眉間に皺を寄せたくないとき、寄りそうなときに
確認するかのごとく指で押さえる癖がついていた。

つまり、顔をしかめるほどの痛みは引いたらしい。

デュナが、フォルテから受け取った小瓶をポケットにしまう。
精神力が足りないわけではないようだった。
「勢いよく吹き飛ばしちゃったけど、フォルテは、どこも痛いところない?」
「うん。大丈夫」
デュナの問いに、フォルテがにっこりと答える。

そういえば、吹っ飛ばされ、地面を擦ったにも関わらず、意外に私の背の痛みは薄かった。
ふと、マントの背ポケットに入れた洗濯物の存在を思い出す。
私の下敷きになったフォルテがつぶれなかったのも、同じく洗濯物のお陰だったのかも知れない……。

「……傷つきし者に救いと安らぎを」
三度目の祝詞を唱え終わって、やっとスカイがその足をそろりと動かした。
トントンと踵やつま先で地面を蹴って、屈伸まで済ませると、笑顔で礼を述べた。
「ありがとな。バッチリ治ってるよ」
既に四度目の祝詞を呟き始めていた私は、その言葉に笑顔で頷きを返した。


デュナの足は挫いた程度のようで、一度の治癒術で治せた。
右腕を二度で治して、ようやく私達は移動を始める。

早口言葉の連続で、口の中がからからだ。

ふと気配を感じて横を見れば、スカイがリュックの脇につけてある水筒を差し出していた。
「ありがと」
相変わらずよく気のつく人だなぁと思いつつ受け取る。
左手を塞いでいたフォルテがそっと手を離す。

またこけたりしないかな……と一瞬心配になったが、スカイがよく見ているようなので、大丈夫だろう。
この危険な足場では、流石に飲みながら歩けない気がするので、ほんのちょっとだけ立ち止まり、昨夜自分が屋敷で汲み替えておいた水で喉を潤した。

顔を上げるとフォルテが振り返っている。
早足で皆に追いついて、水筒をスカイに手渡した頃、先頭を行くデュナがフォルテのポーチを拾い上げた。

フォルテの踏み外してしまった穴から下を覗いたデュナが難しい顔になる。
「これはちょっと……届かないわね……」
石は、穴の中へ精一杯腕を伸ばしたとして、そのもう少し先に落ちていた。
「私……多分穴の中に降りられるよ……?」
「危ないから駄目よ」
フォルテの申し出をざっくり却下したデュナが、顎でスカイに指示を出す。
「ほら、取ってきなさい」
スカイはもう荷物を降ろしていた。
「なんか、犬にでも言うような言い方だな……」
釈然としないものを感じているようなスカイが、穴へ頭を突っ込んだ。
「ほーら取ってこーい。とでも言えばよかったかしら?」
「俺をなんだと思ってんだよ……」
穴の中からくぐもった声でげんなりと返事が返ってきた。
「下僕。手足。駒。みたいなところかしら」
「あー……手足が一番マシかなー……」
「石、上に拾い上げたらすぐ手を離しなさいね。皆、ちょっと離れましょう」
そこは手足でいいのか。と思いつつも、デュナの指示に従って穴から遠ざかる私達。
スカイが石を握ったとたんに人形達が動き出した場合を考えてだろう。
デュナの周囲には大気の精霊も待機している。

しかし、あっさり顔を出したスカイの身に危機が迫ることは無かった。
「ほい」
と赤い石を瓦礫の上……割と大きな壁だか床だかの破片の上に乗せる。
「あら? もう攻撃目標の指定は無効になったのかしら」
ひょいとその石をデュナが拾い上げた途端。
足元が揺れ、巨大人形が大きな音を立て体をきしませながらこちらに向き直った。

慌てて石を瓦礫の台に戻すデュナ。
動きを止める人形達。
瓦礫の揺れもおさまった。
つまり、今の揺れは瓦礫の下敷きになった人形達がまだ健在で、一斉に動き出そうとしたがためのものだろう。

もしかしたら、彼女の指定した目標は『赤い石を持った人間』ではなく『赤い石を持った女』だったのではないだろうか。

「そういうことね」
デュナも私と同じ結論に至ったようだ。くるりと振り返る。
「マーキュオリーさん、封印をお願い。触れなくてもできるかしら?」
「はい」
マーキュオリーさんが進み出て、濃紺のローブを翻し、両腕を伸ばす。
ピンと背筋を伸ばした彼女が、呪文らしき物を呟きつつ石に手を翳すと、赤い光は一度だけ強く瞬いて、静かに消えていった。

こうして、ひとまず赤い石騒動は幕を閉じることとなる。

マーキュオリーさんが封印を完了させたのを合図に、人形達がさらさらと崩れ去る。
もっとも、巨大人形はその大きさからか、さらさらというよりまるで雪崩れを思わせる勢いだったが。
もしこれが近い場所なら、舞い上がる土煙で息もできないところだっただろう。

瓦礫の上にいた私達も、その下に居る人形達が一斉に崩れたおかげで足を掬われたが、デュナの障壁と風のクッションのあわせ技で事なきを得る。

瓦礫の山の外で、犯人達がおいおいと泣き出しているのは、嬉し涙なのか、それとも……。

今さらだが、あの時。
金髪の彼女が暴走した石を握り締めたまま、巨大人形に襲われていたあの時に、もし彼女が周りの男達にその石を渡していたなら、この建物が崩壊することもなかったのではないだろうか……。

まあ、それはもう言わないでおいてあげよう。
既に建物は瓦礫の山になり、大量の土に半分ほど埋まってしまっているのだから。