「あ、笠寺先輩だ!」
教室移動のときに、横を歩いていた早紀が、廊下の曲がり角、階段を上って来た長身を見つけてそう言った。浮かれ足で笠寺の所へ行こうとする早紀の横をそろりと離れる。
「小春、どこ行くの?」
そっと離れたつもりだったけれど、早紀は見逃してくれなかった。ついでに笠寺は早紀に気付いて、にっこり笑ってこちらへやってくる。隣には勿論……。
「あ、尾上先輩も一緒だった」
そうだろうとも!
小春は更に逃げようとするが、早紀がにこにこと手を掴んで離してくれなかった。
「小春? どうしたの?」
邪気なく言ってくる早紀を恨みたい気持ちになった。今日も顔を合わせることになるなんて。
「よお、竹内。なに? 移動?」
呑気な顔で尾上が話しかけてくる。まさか先輩を無視するわけにもいかなくて、小春は小さく頷いた。
「その後の昼飯はどうすんのよ?」
今度は笠寺が尋ねてくる。早紀が、購買部、のち教室です、と答えると、俺らも購買部だから、その後食堂で一緒に食おう、なんて言ってきた。
ええっ!? と思っていた小春を他所に、結局、早紀が是非! と言って先輩たちとの話を纏めてしまって、昼ご飯の予定が決定してしまった。
まったく、早紀が笠寺と付き合い始めるなんて予想外だった。確かに早紀に告白を勧めたのは小春だが、笠寺が部活中にそれらしい気配を見せなかったので、上手くいくとは思わなかった。
頭が一足先に春になった早紀を隣に、小春は頭を抱えたい気分で廊下を歩いた。
あの日以来、尾上のことを忘れる暇がない。それくらい頻繁に彼は小春の視界に現れていた。尤も、スポーツ推薦で大学を決めてしまった笠寺が、尾上から小春と仲直りをしたと聞かされて、嬉しくて向こうがこちらを事あるごとに探して声をかけてきているからではあった。早紀も笠寺と時間が許す限り一緒に居たいらしく、尾上とも多少打ち解けている様子だった。
「なに怒ってんの?」
授業が終わって教科書を教室に置き、早紀に連れられる形で購買部を訪れる。するとそこには、もう買い物を済ませた尾上たちがいた。尾上は小春の姿を認めると、口許のへの字を見て開口一番そう言った。
(自分がそうさせてるっていう自覚はないんですか!)
正確には怒っていると言うより、警戒している、の方が正しいのだけど、それを指摘する気にもなれない。仲良くテーブルを囲む状態で、言葉尻を荒げたことを言う勇気もなく、小春は苦し紛れに「明日のテストのことで頭がいっぱいなんです」と答えた。
「テスト? なんの?」
「……数学です」
「期末までに後何回あることやら、なんですよー」
早紀だって苦手なはずだろうに、彼女は呑気にからから笑っている。しかし、点数でいったら、やはり小春の方が深刻にならざるをえない。
「そういうことなんで」
プリンを最後まで食べきって席を立った。
「なんだ。そういうことなら、教えてやるよ?」
急いで席を離れようとする小春に、コロッケパンを頬張りながら、何てことないような声で尾上が言った。ぎょっとする小春に、笠寺も「そりゃいいよ」と奨めてくる。
「尾上は理系だから、きっと上手に教えてくれるよ」
にこにこと笠寺が尾上のことを褒める。本当に笠寺は尾上のことが好きなんだなあ……、なんて感心もしてられない。
「いえっ! 先輩も受験勉強がおありでしょうから、先生に質問します!」
逃げるように小春が言っても、何故か笠寺が、遠慮しないで、なんて言ってくる。早紀も、今日は先生、残ってた面談やるって言ってなかった? なんて、タイミングの悪いことを言うから、ますます逃げられない。本当でに勘弁して……、と思ったら、それがばっちり顔に出たのか、笠寺がぱっと顔色を変える。
「竹内……」
「あっ、あのっ、……先輩さえ宜しければ……」
お願いします、と言うのは、小さな篭るような声になったけど、残念ながら三人にはちゃんと伝わったようだった。