廊下に立ち止まって、興味半分で見てきた人たちの視線を避けて、階段を一階へ下りるとそのまま昇降口へと向かった。蛇に睨まれた蛙みたいになって、とぼとぼと小春たちの後ろからついて来た笠寺は、階段を二階で曲がって行ってしまった。
しんとした廊下を、小春が少し遅れて歩く。それでも、尾上は足早に立ち去ろうとはしないで、小春の言葉を待ってくれていた。
「教えてください。……どうして、先輩が私のこと、知ったのか。……どうして、そんな風に、想ってくれたのか……」
さっき零れた涙は、もう瞳の奥には残っていなかった。ただ、名残で潤んだ黒の瞳は、夕刻の日差しに輝いて、尾上にはいささか眩しすぎた。
……視線を、逸らそうとしたら、竹内から呼ばれた。誤魔化そうとしたと思われたらしい。
「……先輩……」
「……ああ、違う。……そういう訳じゃなくて」
ちょっと咎めるような口調の武内に、そんな風に言い訳をする。……歩き出してしまえば、こんな瞳を真正面から見なくて済む。そのことだけでも、感謝しなければいけない。
尾上はそのまま歩き続けた。竹内が半歩遅れてついて来る。
金色の日差しが校門を彩っていて、そこから出て行く生徒達は、まるで御伽噺の世界に旅立っていく人々のように見えた。なんだか現実味のない空気の中で、尾上は竹内に促されてぽつぽつと喋り始めた。
「……最初、電車が一緒だったんだよ。……知らないだろ。お前、岡本と一緒に乗ってた。……なんか、岡本のこと励ましてた」
尾上は、そのルックスから、他のクラスの女子に告白されることが結構あった。クラスメイトならいざ知らず、自分のことを知りもしない女の子たちが、憧れと好意の眼差しで自分のことを見てくるのが嫌だった。
「だって、俺のことよく知らないでそんな告白してくるんだぜ? お前、俺の何を知ってんだよっつー気持ちになったんだよ」
後から笠寺に聞いた話だけど、女の子達は女の子達で、もう卒業して会えなくなってしまう前に、せめてメッセージアプリの交換だけでも、と思ったのだろうと、そういうことらしかった。
「まあ、俺も人のこと言えた義理じゃねーけど。……岡本のこと励ましたてるお前のことなんとなく、いいな、って思ってて。そんな風に友達の為に一生懸命になれるの、いいなって思ったんだ……。でも……その、なんていうか、ホントはあんなことする気も、こんな風に話すことになるとも思ってなかったんだ」
多分電車で見かけるだけの関係のまま終わるんだと思っていた。
「このまま卒業するんだろうなーって思ってるのに、お前、電車の中で岡本に言うんだよ。『告白しなかったら、始まらないんだから、せめて気持ちを伝えて、笠寺先輩と向き合って欲しい。人を好きという気持ちはとてもきれいなものだから、その気持ちを向けられたら悪くは思わないと思う。そんな大事な気持ちを殺して欲しくない』って。……お前、覚えてないだろうけど。……俺、それ聞いて、そうなのかなって思って」
尾上は歩く先を振り仰ぐ。沈もうとしている太陽が、金色の光を薄紅に染めて、空が鮮やかに彩られている。……眩しくて、本当に直視できない。
「そうなのか。伝えなきゃ、想いは死んじゃうのか、って、そう思って。……お前、そんな風に俺の背中、押してくれたんだよ……」
小春にとって、当たり前だけど、初めて聞くことばかりだった。自分の言葉が、知らないうちに、誰かを励ましていたなんて、そんな嬉しいこと、ない。
「……でも、先輩のやり方は極端です……」
「……そうだな……。ホントに、見てるだけにしてたら良かった……」
最初は声だけだった。そのうち、斜め後ろから見かける笑顔だったり、時々座席に座って転寝してる姿だったり……。
「でも、気持ちが止まらなかった。……止まらないんだったら、もう伝えるしかないって思って」
伝えなきゃ、始まらないから。そう教えてくれたのは、間違いなく竹内だったから。
空を見つめて、懐かしそうにそう言う尾上は、何故か、寂しそうな眼をしていた。黒目がちの瞳が、夕刻の光に細く伏せられる。
「……でも、よく考えたら俺、自分にされたことをお前にしたんだよな……。お前が俺のこと、よく知りもしないのに……、さ……。……竹内の気持ちも尤もだと思うよ。……だから、もういいんだ。嫌な思い出は忘れるに越したことはないからな」
そういって、口端を歪めて。
「時間かけたっておんなじだから。もう無駄なことはしないほうがいいよ。……俺が一番よく分かってるから……」
話し終わって駅に着いてしまうと、尾上は小春を改札の中に見送った。尾上は電車が走り去るまで改札には入ろうとせず、ただ、乗り込んだ小春を見送っていた。小春は揺れる車内で歯を食いしばった。
……何故だか、泣きそうになっていた………。
しんとした廊下を、小春が少し遅れて歩く。それでも、尾上は足早に立ち去ろうとはしないで、小春の言葉を待ってくれていた。
「教えてください。……どうして、先輩が私のこと、知ったのか。……どうして、そんな風に、想ってくれたのか……」
さっき零れた涙は、もう瞳の奥には残っていなかった。ただ、名残で潤んだ黒の瞳は、夕刻の日差しに輝いて、尾上にはいささか眩しすぎた。
……視線を、逸らそうとしたら、竹内から呼ばれた。誤魔化そうとしたと思われたらしい。
「……先輩……」
「……ああ、違う。……そういう訳じゃなくて」
ちょっと咎めるような口調の武内に、そんな風に言い訳をする。……歩き出してしまえば、こんな瞳を真正面から見なくて済む。そのことだけでも、感謝しなければいけない。
尾上はそのまま歩き続けた。竹内が半歩遅れてついて来る。
金色の日差しが校門を彩っていて、そこから出て行く生徒達は、まるで御伽噺の世界に旅立っていく人々のように見えた。なんだか現実味のない空気の中で、尾上は竹内に促されてぽつぽつと喋り始めた。
「……最初、電車が一緒だったんだよ。……知らないだろ。お前、岡本と一緒に乗ってた。……なんか、岡本のこと励ましてた」
尾上は、そのルックスから、他のクラスの女子に告白されることが結構あった。クラスメイトならいざ知らず、自分のことを知りもしない女の子たちが、憧れと好意の眼差しで自分のことを見てくるのが嫌だった。
「だって、俺のことよく知らないでそんな告白してくるんだぜ? お前、俺の何を知ってんだよっつー気持ちになったんだよ」
後から笠寺に聞いた話だけど、女の子達は女の子達で、もう卒業して会えなくなってしまう前に、せめてメッセージアプリの交換だけでも、と思ったのだろうと、そういうことらしかった。
「まあ、俺も人のこと言えた義理じゃねーけど。……岡本のこと励ましたてるお前のことなんとなく、いいな、って思ってて。そんな風に友達の為に一生懸命になれるの、いいなって思ったんだ……。でも……その、なんていうか、ホントはあんなことする気も、こんな風に話すことになるとも思ってなかったんだ」
多分電車で見かけるだけの関係のまま終わるんだと思っていた。
「このまま卒業するんだろうなーって思ってるのに、お前、電車の中で岡本に言うんだよ。『告白しなかったら、始まらないんだから、せめて気持ちを伝えて、笠寺先輩と向き合って欲しい。人を好きという気持ちはとてもきれいなものだから、その気持ちを向けられたら悪くは思わないと思う。そんな大事な気持ちを殺して欲しくない』って。……お前、覚えてないだろうけど。……俺、それ聞いて、そうなのかなって思って」
尾上は歩く先を振り仰ぐ。沈もうとしている太陽が、金色の光を薄紅に染めて、空が鮮やかに彩られている。……眩しくて、本当に直視できない。
「そうなのか。伝えなきゃ、想いは死んじゃうのか、って、そう思って。……お前、そんな風に俺の背中、押してくれたんだよ……」
小春にとって、当たり前だけど、初めて聞くことばかりだった。自分の言葉が、知らないうちに、誰かを励ましていたなんて、そんな嬉しいこと、ない。
「……でも、先輩のやり方は極端です……」
「……そうだな……。ホントに、見てるだけにしてたら良かった……」
最初は声だけだった。そのうち、斜め後ろから見かける笑顔だったり、時々座席に座って転寝してる姿だったり……。
「でも、気持ちが止まらなかった。……止まらないんだったら、もう伝えるしかないって思って」
伝えなきゃ、始まらないから。そう教えてくれたのは、間違いなく竹内だったから。
空を見つめて、懐かしそうにそう言う尾上は、何故か、寂しそうな眼をしていた。黒目がちの瞳が、夕刻の光に細く伏せられる。
「……でも、よく考えたら俺、自分にされたことをお前にしたんだよな……。お前が俺のこと、よく知りもしないのに……、さ……。……竹内の気持ちも尤もだと思うよ。……だから、もういいんだ。嫌な思い出は忘れるに越したことはないからな」
そういって、口端を歪めて。
「時間かけたっておんなじだから。もう無駄なことはしないほうがいいよ。……俺が一番よく分かってるから……」
話し終わって駅に着いてしまうと、尾上は小春を改札の中に見送った。尾上は電車が走り去るまで改札には入ろうとせず、ただ、乗り込んだ小春を見送っていた。小春は揺れる車内で歯を食いしばった。
……何故だか、泣きそうになっていた………。