図書室に置いてあった冊子。そこには『どうぞご自由にお持ちください』と書いてある。
私は周囲に誰もいないことをいいことに、その冊子を手にした。『文芸部部誌ヴェガ』と書いてある。もう一つに冊子には『文芸部部誌アルタイル』。ヴェガと対になるアルタイルということか。
パラパラと中身を覗いてみたら、ヴェガは部誌。アルタイルはコンクールに出した作品をまとめたものらしい。なるほど。
図書室に本を借りにきたにも関わらず、私はその二冊の部誌を手にしたら満足したのか、本を借りずに図書室を出てきてしまった。まあいいや、本は明日借りることにしよう。
私、星野智美は地元公立高校に通う一年生。ちょっと一般的でないというのであれば、多分、通っている学科だと思う。普通科ではなく数理科。数学と理科の授業に重みを置いた科。英語の授業も科学英語とか、わけのわからない名前がついている。
その高校に入学して、約一か月が経った頃。部活動とかの勧誘も終わり、多分、この高校としてはやっと日常を取り戻した頃。
なぜか私は文芸部室のドアの前に立っていた。
恐る恐るノックをすると「はーい」と間の伸びた返事があった。
「失礼します」という言葉とともに、そのドアを開けた。
「あれ? 一年生?」
黒髪を短くしている女子生徒。間違いなく、先輩だと思う。なぜなら、サンダルの色が違うから。
「あの、文芸部に入部したいんですけど」
その黒髪の先輩はガタッと音を立てて、勢いよく立ち上がった。そして、勢いあまったその椅子は後ろへガタンと倒れる。
「あー、何やってんのさ、松尾」
黒髪の先輩とは別な女子生徒がいた。こちらはなんと茶髪。
「だってさ、入部希望者だよ、入部希望者」
「いや、本人がそう言ってんだから。私だってそんなことは分かってんだけど」
松尾と呼ばれた茶髪の先輩が言った。
文芸部室は狭い部屋だった。理科室に置いてあるようなテーブルが一つあって、その周りに椅子は八脚だけ。つまり、八人も入ったらいっぱいの部屋。黒髪の先輩は私の目の前に座っていて、茶髪の先輩は九十度隣。
「えっと、名前は? 本当に入部希望?」
黒髪の先輩がぐいぐいとせまってくる。
「だから、松尾。ちょっと落ち着こうぜ。引いてるから、彼女。それに先に自分から名乗ったらどう?」
茶髪の先輩は冷静だ。それに引き換え、黒髪の先輩は興奮している。
「ああ、ごめんね。入部希望者が来てくれて、ついつい興奮しちゃった。私、三年の松尾由布子。一応、文芸部の部長。で、あっちが同じ三年の田島亜里沙ね」
「一年の星野智美です。あの、数理科なんですけど、いいですか?」
「いいよいいよ、もちろん」
由布子先輩が頷く。
「逆にさ、数理科だったら文芸部に入っちゃダメとか、そんなルールあんのかって聞きたいんだけど」
亜里沙先輩が言う。
「亜里沙、なんでそんなに攻撃的なの?」
「はあ? 私は元々こういう性格。別に数理科だろうが普通科だろうがデザ科だろうが。なんだっていいんじゃねってことを言いたいだけ」
「はいはい」
由布子先輩は亜里沙先輩のそれを軽く受け流していた。こういう関係が築けるのは、うらやましいかもしれない。
「まあ、とりあえず座って」
由布子先輩の隣の席を促されたので、そこに座る。
「まあ、話を広げるためにね、聞くけどさ。文芸部に入ろうと思った理由って何?」
隣に座る松尾先輩は、机の上に両肘をついて、その上に顎をのせて、ニコニコと笑顔を浮かべている。
これ、変なことを言ったらガッカリされるパターンではないのだろうか。
「あの、図書室にあった部誌を読んで」
「え、部誌を読んでくれたの?」
「だから、松尾はがっつきすぎ。ともちんが引いてる」
もしかして、ともちんとは、私のことだろうか。
「ごめんごめん。ついつい興奮しちゃって」
テヘペロという言葉が似合うような表情をする由布子先輩。
「続きをどうぞ」
どうぞ、と言われても大したことは言えないのだけれど。
「その部誌を読んで、私もあんな文章が書けたらいいなと思って」
「あんな文章ってどんな文章?」
亜里沙先輩が言う。
「言葉はさ、みんな誰でも持ってる。それを文字として表現するかしないかは個人の自由。あんたにはさ、あんたの言葉がある。まずはそれを書いてみるのがいいんじゃいのか? 人の文章の真似をするよりは」
「え」
「別に下手だっていいじゃん。たかが高校の文芸部員。有名作家なわけじゃないんだからさ」
唇の両端をもちあげてそんなことを言う亜里沙先輩はかっこいいと思った。
「ねえねえ。ちなみに、どの文章が印象に残ったの?」
「あ、はい」
私は鞄から部誌を取り出した。
「この『君に読んでもらいたい物語』という小説」
また、カタンと椅子を鳴らして立ち上がる人物がいた。ちなみに由布子先輩ではない。
「それ、書いたの私」
あの自信満々な亜里沙先輩が、口元を右手で覆って、大きく目を見開いている。
「あの、これ。なんていうか。よくわからないんですけど。こう、心に響いたっていうか。とにかく好きです」
「やめてくれー」
と亜里沙先輩が大げさに騒ぐ。
「めちゃくちゃ嬉しい」
亜里沙先輩は今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「有名な作家になって、たくさんの人に物語を読んでもらいたいっていう欲望はあるけど。本当は、そう言う言葉をかけてもらえるのが、一番嬉しい」
ペンネームであるから気付かなかった。だけど後で冷静になって読み返せばすぐに気づくことだった。巻末にペンネームと本名が紐づけで書いてある。
ああ。私は今、この作品とこの人に出会うことができてよかった、と心から思う。
私は周囲に誰もいないことをいいことに、その冊子を手にした。『文芸部部誌ヴェガ』と書いてある。もう一つに冊子には『文芸部部誌アルタイル』。ヴェガと対になるアルタイルということか。
パラパラと中身を覗いてみたら、ヴェガは部誌。アルタイルはコンクールに出した作品をまとめたものらしい。なるほど。
図書室に本を借りにきたにも関わらず、私はその二冊の部誌を手にしたら満足したのか、本を借りずに図書室を出てきてしまった。まあいいや、本は明日借りることにしよう。
私、星野智美は地元公立高校に通う一年生。ちょっと一般的でないというのであれば、多分、通っている学科だと思う。普通科ではなく数理科。数学と理科の授業に重みを置いた科。英語の授業も科学英語とか、わけのわからない名前がついている。
その高校に入学して、約一か月が経った頃。部活動とかの勧誘も終わり、多分、この高校としてはやっと日常を取り戻した頃。
なぜか私は文芸部室のドアの前に立っていた。
恐る恐るノックをすると「はーい」と間の伸びた返事があった。
「失礼します」という言葉とともに、そのドアを開けた。
「あれ? 一年生?」
黒髪を短くしている女子生徒。間違いなく、先輩だと思う。なぜなら、サンダルの色が違うから。
「あの、文芸部に入部したいんですけど」
その黒髪の先輩はガタッと音を立てて、勢いよく立ち上がった。そして、勢いあまったその椅子は後ろへガタンと倒れる。
「あー、何やってんのさ、松尾」
黒髪の先輩とは別な女子生徒がいた。こちらはなんと茶髪。
「だってさ、入部希望者だよ、入部希望者」
「いや、本人がそう言ってんだから。私だってそんなことは分かってんだけど」
松尾と呼ばれた茶髪の先輩が言った。
文芸部室は狭い部屋だった。理科室に置いてあるようなテーブルが一つあって、その周りに椅子は八脚だけ。つまり、八人も入ったらいっぱいの部屋。黒髪の先輩は私の目の前に座っていて、茶髪の先輩は九十度隣。
「えっと、名前は? 本当に入部希望?」
黒髪の先輩がぐいぐいとせまってくる。
「だから、松尾。ちょっと落ち着こうぜ。引いてるから、彼女。それに先に自分から名乗ったらどう?」
茶髪の先輩は冷静だ。それに引き換え、黒髪の先輩は興奮している。
「ああ、ごめんね。入部希望者が来てくれて、ついつい興奮しちゃった。私、三年の松尾由布子。一応、文芸部の部長。で、あっちが同じ三年の田島亜里沙ね」
「一年の星野智美です。あの、数理科なんですけど、いいですか?」
「いいよいいよ、もちろん」
由布子先輩が頷く。
「逆にさ、数理科だったら文芸部に入っちゃダメとか、そんなルールあんのかって聞きたいんだけど」
亜里沙先輩が言う。
「亜里沙、なんでそんなに攻撃的なの?」
「はあ? 私は元々こういう性格。別に数理科だろうが普通科だろうがデザ科だろうが。なんだっていいんじゃねってことを言いたいだけ」
「はいはい」
由布子先輩は亜里沙先輩のそれを軽く受け流していた。こういう関係が築けるのは、うらやましいかもしれない。
「まあ、とりあえず座って」
由布子先輩の隣の席を促されたので、そこに座る。
「まあ、話を広げるためにね、聞くけどさ。文芸部に入ろうと思った理由って何?」
隣に座る松尾先輩は、机の上に両肘をついて、その上に顎をのせて、ニコニコと笑顔を浮かべている。
これ、変なことを言ったらガッカリされるパターンではないのだろうか。
「あの、図書室にあった部誌を読んで」
「え、部誌を読んでくれたの?」
「だから、松尾はがっつきすぎ。ともちんが引いてる」
もしかして、ともちんとは、私のことだろうか。
「ごめんごめん。ついつい興奮しちゃって」
テヘペロという言葉が似合うような表情をする由布子先輩。
「続きをどうぞ」
どうぞ、と言われても大したことは言えないのだけれど。
「その部誌を読んで、私もあんな文章が書けたらいいなと思って」
「あんな文章ってどんな文章?」
亜里沙先輩が言う。
「言葉はさ、みんな誰でも持ってる。それを文字として表現するかしないかは個人の自由。あんたにはさ、あんたの言葉がある。まずはそれを書いてみるのがいいんじゃいのか? 人の文章の真似をするよりは」
「え」
「別に下手だっていいじゃん。たかが高校の文芸部員。有名作家なわけじゃないんだからさ」
唇の両端をもちあげてそんなことを言う亜里沙先輩はかっこいいと思った。
「ねえねえ。ちなみに、どの文章が印象に残ったの?」
「あ、はい」
私は鞄から部誌を取り出した。
「この『君に読んでもらいたい物語』という小説」
また、カタンと椅子を鳴らして立ち上がる人物がいた。ちなみに由布子先輩ではない。
「それ、書いたの私」
あの自信満々な亜里沙先輩が、口元を右手で覆って、大きく目を見開いている。
「あの、これ。なんていうか。よくわからないんですけど。こう、心に響いたっていうか。とにかく好きです」
「やめてくれー」
と亜里沙先輩が大げさに騒ぐ。
「めちゃくちゃ嬉しい」
亜里沙先輩は今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「有名な作家になって、たくさんの人に物語を読んでもらいたいっていう欲望はあるけど。本当は、そう言う言葉をかけてもらえるのが、一番嬉しい」
ペンネームであるから気付かなかった。だけど後で冷静になって読み返せばすぐに気づくことだった。巻末にペンネームと本名が紐づけで書いてある。
ああ。私は今、この作品とこの人に出会うことができてよかった、と心から思う。