エレオノーラはジルベルトからの求婚を受け入れた形になった。フランシア家に反対する理由は無い。この後、婚約申請書を教会に提出すれば、二人は正式に婚約が認められる。

 というその前にやるべきことがある。

 ジルベルトの両親に挨拶をしなければならない。という日が今日だった。つまり、今日はジルベルトの婚約者になるために恋人役を演じる日。

「エレン。リガウン卿がいらっしゃったぞ」
 兄のダニエルに呼ばれ、準備を終えたエレオノーラが姿を現す。

「相変わらずだな、お前のそれは」

 相手はジルベルトの両親だ。彼らに嫌われないようにしなければ、と思い、選んだのがこれ。さすがに眼鏡はやり過ぎかなと思って、それは外した。大人っぽい落ち着いた雰囲気の紺のドレスに髪の毛はアップにして知的な雰囲気を全面に醸し出す。年が離れているため、あまりにも子供っぽいのは考え物だし、だからと言ってけばけばしいのもどうかと思い、知的美人で攻めることにしてみた。そして、できあがったのがこれ。

「エレオノーラ嬢か?」
 ジオベルトがそう思うのも無理はない。先日、素顔で会った時のエレオノーラと、今日、知的美人に化けたエレオノーラ。知っている人から見ても別人に見える。
 はずだが。馬車の中でジルベルトが声をかけると、エレオノーラはふと表情を崩した。

「変ではありませんか? リガウン団長に似合うように、と思ってみたのですが」

「ああ、よく似合っている」
 実はジルベルト。エレオノーラが眩しすぎて、先ほどから直視できていない。

「あの、団長。団長のことはジルベルト様とお呼びしてもよろしいでしょうか」

「ジルでいい」
 どこに視線を向けたらいいかわからないので、少し視線を反らして答えた。

「はい、ジル様。私のことはどうかエレンとお呼びください」

 姿は先日と違うが、話をすると中身は先日のエレオノーラだった。自分に似合うようにとそうやって考えてくれた恰好も嬉しい。嬉しいのだが、彼女との年の差を考えるとそうやって喜んでいいのだろうか、という葛藤もある。だが、目の前の彼女はその葛藤さえも吹き飛ばしてくれるような、少し年齢差を詰めてくれるような恰好だった。
 悪くは無いかもしれない。

「エレン、手を」
 馬車から降りるときにジルベルトが手を差し出してくれた。それにエレオノーラはそっと自分の手を重ねる。そのまま手を取り合って、リガウン侯爵家の屋敷へと向かった。
 エレオノーラはその瞬間に仮面をつけた。ジルベルトの婚約者、今はまだ恋人だが、そうなれるような仮面を。

 彼女の雰囲気がかわったことにジルベルトも気付いた。緊張、しているのだろうか、とも思った。
 屋敷へ入ると、ジルベルトの両親が快く迎え入れてくれた。
 エレオノーラは目の前にいるジルベルトの両親へ挨拶をした。知的に、優雅に、そして嫌われないように。第一印象はクリアしたようだ。
 それからジルベルトの母親に促され、談話室へと向かう。ジルベルトから見たら、この母親が始終ニコニコと笑みを浮かべているのが怖いのだが。

「では、エレンは今年で十八になったところなのね。その割には、大人っぽいわね」

「ジル様に似合うような女性になりたいと思いまして」
 エレオノーラははにかみながら答えた。

「まあ、ジルのために? でも、エレン。そんなに無理して大人にならなくてもいいのよ。あなたにはあなたの良さがあるでしょうに。その気持ちだけで十分ですよ」
 恋は盲目とも言う。ジルベルトに恋するあまり、彼女本来の良さを失ってしまっては本末転倒だ。母親はそれを心配している。

「そう言っていただけて、とても嬉しいです」
 口の端をもちあげて笑みを浮かべるエレオノーラであるが、先ほどの馬車の中での笑み方ともまた違うことにジルベルトは気付いた。

「本当にジルベルトでいいのかしら、って思っていたけれど。エレンがこんなにもジルのことを慕ってくれていた、だなんて、本当に嬉しいわ。念のために確認するけれど、本当に一度しか会ったことがないの?」

「きっかけは、先日の任務ですが。短い時間でありながらも、ジル様の良さというものを感じることができました」

「本当に、こんなおじさんでいいの?」

「おじさんだなんて。ジル様には私にはもったいないお方です。むしろ、私で本当によろしいのでしょうか」
 笑んでから、ジルベルトにじっと視線を向けた。ジルベルトはコクコクと顔を縦に振ることしかできない。

「エレオノーラ嬢は、第零騎士団所属と聞いているし。そのあなたの特殊な事情も聞いている」
 そこでリガウン侯爵が口を挟んだ。
「その、ジルベルトとの結婚後は、騎士団のほうはどうするつもりだい?」

「はい。できれば、続けさせていただければと思います。第零騎士団の任務は特殊ですので、誰でも務まるというわけではありません。私の後任が見つかるまでは、その責務を全うしたいと思っております」

「そうか」
 リガウン侯爵は腕を組んだ。

「父上。エレンのほうの仕事については、私の方からもお願いしたいと思っていたところです。我々第一騎士団にとっても、第零騎士団は無くてはならない存在ですし、彼女の働きぶりは第零騎士団の中でも群を抜いておりますので」

「ジルベルトがそこまで言うなら、この件に関しては私の出る幕ではないな。その辺は二人で相談しながら決めるがいい」

「ありがとうございます、リガウン侯爵」
 エレオノーラが上品に笑むと、こらえきれなかった父親がとうとう口にした。
「エレオノーラ嬢、できれば私のことをお義父(とう)さんと呼んでくれないか」

「父上」

「あなただけずるいですよ。でしたら私のことはお義母(かあ)さんと呼んでちょうだい」

「母上まで」
 ジルベルトは額に右手を当てた。この両親は何を言い出すのか。

「だって、私だって娘も欲しかったのよ。あなたは結婚するそぶりも見せないし。孫の顔はもう見ることもできないと思っていたし。だから、義理でも娘ができたことに嬉しくて嬉しくて」
 母親は今にも泣きだしそうだ。

「不束者ですが、よろしくお願いします。お義父様、お義母様」
 エレオノーラは頭を下げたが、ジルベルトは孫という単語で唇の端をひくりと動かしていたことに、彼女は気付いていない。

 とにかく、ジルベルトの両親が息子とエレオノーラの出会いを心から喜んでくれた、ということだけは伝わった。さらにエレオノーラの特殊な任務についても理解を示してくれた、ということ。さらに彼女が社交界を絶っていたことはその第零騎士団という特殊任務のためであり、それを絶つ理由として病弱設定だった、ということについては特に安心したようだ。何のための安心かは、この母親に聞かないとわからないのだが。
 さて、その両親の目の前で婚約申請書に二人は名前を書き、その後二人で教会にこれを提出した。
 つまり、この二人は正式に婚約者同士となったのである。