ダニエルはジルベルトからの言葉をそのままエレオノーラに伝えた。エレオノーラはエレオノーラのままでいい、と。だからダニエルは、くれぐれも変装しないように、と釘を刺した。
 それを聞いた彼女は悩んだようだが、なぜかパメラが嬉しそうであったため、パメラに任せることにした。

 約束の日は、朝からフランシア家の屋敷中がそわそわしていた。リガウン侯爵家のジルベルトがやって来る。それだけでも一大事であるのに、その目的がエレオノーラとあれば大大大事件だ。

「変じゃないかしら、変じゃないかしら」
 襟元と袖口にフリルのついたシンプルなドレスを身に着けたエレオノーラは、口を開けばそれしか言わなかった。

「ああ、変装は得意なのに、変装しないで人に会うことは苦手だわ」

 エレオノーラは恥ずかしくなって両手で顔を覆う。その隙にパメラがエレオノーラの髪を手早く結う。「どんな髪型いいですか?」とパメラに聞かれても「変じゃない髪型」としか答えられない。
 パメラは手早く、ドレスに似合う髪型にと編み込んだ。

「エレン、リガウン団長がいらっしゃったぞ」
 ダニエルの声に、全身に緊張が走った。
「オレがついているから、大丈夫だ」
 ダニエルがそう言ってくれるものの、今日は素顔。仮面をつけることができないためか、非常に緊張する。

「とりあえず、パターン一で行動する」
 ダニエルのそれに、ドミニクとフレディが頷いた。パターン一とは何か。エレオノーラは知らない。

 ジルベルトがこの屋敷に足を踏み入れ、初めてエレオノーラの素顔を見た時、本当にあのときの人物とこの目の前の女性が同一人物であるのか、と疑いたくなった。彼の思うあのときとは、あの任務で偶然出会ったとき。あのときの彼女の見た目は完全に男性だった。だが、今目の前にいるのは可憐な少女。そう、まだ少女という表現が相応しい。

「エレオノーラ嬢、突然、お邪魔して申し訳ない」
 大きな花束を抱えたジルベルトが立っていた。「私は、第一騎士団団長のジルベルト・リガウン。先日、任務先でお会いしたのだが、覚えているだろうか」

「はい、リガウン団長。私が、第零騎士団諜報部のエレオノーラ・フランシアです」
 エレオノーラは裾をつまみ、背筋を伸ばして礼をする。
 しかしダニエルは、そこで所属は言わなくていい、と心の中でツッコミをいれた。

「先日の窃盗団の密売の件は、エレオノーラ嬢のおかげで無事に解決した。ありがとう。ずっと、礼を言いたいと思っていた」

「いえ、それには及びません。それが私の仕事ですから」

「だが」
 とジルベルトが口を開いたときに、エレオノーラの後ろに控えていたダニエルが口をパクパクとさせながら「は・な」と言った。「はな?」と同じようにジルベルトが口パクで尋ねると、ダニエルが頷いている。そして、何かを指さしている。その先にあるものは、ジルベルトが抱えている花束。

「よろしかったら、これを」
 言い、ジルベルトは花束を差し出した。
「ありがとうございます。私、この花、好きなんです」

「それは良かった」
 花束を嬉しそうに受け取る彼女を見て、きっとこれが本来の彼女の姿なのだろうと思った。そして、この姿は他の者は誰も知らないのだろう、ということに優越感に浸る。

「リガウン卿、お茶の準備が整ったようなのでこちらへどうぞ」
 ダニエルがジルベルトに声をかけた。サロンへと案内する。

「あの、お兄さま。少しリガウン団長と二人で話をさせていただけないでしょうか」
 エレオノーラがそう切り出したことに、ジルベルトは少し驚いたが嬉しくもあった。

「エレン、リガウン卿に失礼が無いようにな」妹の耳元で囁き、「どうか、妹をよろしくお願いします」
 ダニエルはジルベルトには頭を下げて退室した。

 サロンに二人きり。出会いが出会いなだけに、気まずいとも言う。だが、エレオノーラは言わなければならないことがあった。

「あの、リガウン団長」

「なんでしょう」

「あの、責任をとりたいとおっしゃっていると、うかがったのですが。ですが、あれは事故のようなものですので、団長が気になさる必要はありません」

「いや、しかしながら。私も男ですから、ここはきっちりと責任を取らせていただきたい。どうか、私の妻になっていただけないだろうか」
 まさしくダニエルから聞いていた通り。それと当時に兄たちがいなくて良かった、とエレオノーラは思った。そう思うくらい、顔が熱を帯びていることに自分でも気づいた。事前告知があったにも関わらず、面と向かってこのようなことを言われることに慣れてはいない。
 だが、何か言わなくては。

「もし、団長が責任を感じてそうおっしゃるのであれば。私も責任を取る必要がありますね」
 エレオノーラは弾む胸を悟られないように、笑みを浮かべた。

「それは、いい返事をいただけると思ってもいいのだろうか」

「はい。団長の妻、今はまだ婚約者? 恋人? それを、責任をもってきっちりと演じさせていただきます」

「演じる?」
 ジルベルトは聞き返した。それに、エレオノーラは頷く。

「団長が責任を取って私を妻にとおっしゃってくださった。ですから私も責任をもってそれに応えます。団長の相手にふさわしいような女性になります。変装は得意ですから」

 ジルベルトには最後の一言が引っかかった。だが、ふさわしい女性になりたいという彼女の気持ちは素直に嬉しい。だが、最後の一言が。

「エレオノーラ嬢、あなたの仕事柄、変装が必要であることもわかっている。だが、私の前では、その素顔のままでいてくれないだろうか」

「私がこの素顔を晒すのは、家族以外では団長が初めてです。ですから、どうかこの顔のことはご内密にしていただきたいのです。そして、外を歩くときはこの顔ではないかもしれません。それでもよろしければ」

「つまり、あなたの素顔を知っているのは私だけ、ということだろうか」

「そう、なりますね?」

「そうか」
 ジルベルトは呟いた。彼女の素顔を知っているのは自分だけ。それも悪くはない。

「エレオノーラ嬢。できれば近いうちに、私の両親にも会っていただけないだろうか」

「そうなりますと、この顔ではないかもしれませんが、よろしいでしょうか」

「なぜ、その顔ではないと?」

「きっと、この顔では団長のご両親に認められないと思うのです。その、団長の婚約者として。ですから、できればご両親に嫌われない方法を教えていただけると助かります」
 その顔でも充分にジルベルトの両親は好意を示すだろう。だが、ジルベルトはなかなかそれを言い出せなかった。それは、エレオノーラがあまりにも真面目な顔をしてそんなことを言ったからである。